No.6 ジローラモ・カエターニ時代(1403年-1422年)
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*ジローラモ・カエターニ時代(1403-1422年) [#h8314fb6]
#contents
**現在進行中のミッション [#b87a4428]
-イタリア本土の領土を拡大!(ヴェローナ攻略)
**ジローラモ・カエターニ時代 [#x7f723dd]
ヴェネツィア共和国第63代ドージェ(元首)ジローラモ・コル...
能力的には実に平凡な人物(行政6、軍事3、外交5)であった。
しかし彼は「ヴェネツィアの中興の祖」と呼ばれる。
なぜならば、彼はヴェネツィアの重要な基盤を整えた人物だか...
ヴェネツィア史において彼が元首にあった時代を「ジローラモ...
**成立させた重要な法律・国策 [#u4571191]
そもそもカエターニがドージェに選出された理由は、
逼迫したヴェネツィア共和国財政の建て直しを期待されてのこ...
就任直後に、宣教師派遣費用を抑えるため議会の反対を押し切...
&color(olive,white){''『冒涜禁止法』''};((≪作者注釈1:冒...
またマントヴァから徴税官を招聘し&color(olive,white){''『...
カエターニは、1405年に世界で始めて&color(olive,white){''...
いち早く収入全体の10%を金貨に変えられるようになったため、
他国では硬直しがちな財政政策も、ここヴェネツィアでは自由...
**宗教政策 [#x140197b]
宗教政策を推し進めたのは、ヴェニエル、カエターニと2代のド...
神学者セバスティアノ・サン・パウロの功績が大きい。
宗教の統一は国の安定を図るとの信念のもと、
パウロはギリシア正教を信奉するアテネ、クレタ、アルバニア...
市民を次々に改宗させた。
また、この時代の全ての社会基盤は教会が中心であったにも関...
ヴェネツィアにはいずれの地方にも立派な教会が建っていなか...
このことを問題視したパウロは、巨費を投じて各地に''寺院''(...
1405年に議会に認めさせた。
このため、人々はささいなことでも相談できるようになり、
不満を感じてもすぐに解消するようになった。
この功績が称えられ、パウロは元首顧問を退いた後、
十人委員会からサンマルコ寺院の司教に指名された。
**貿易政策 [#se9413fa]
「貿易こそがヴェネツィアが生きる道である。」
が口癖だったカエターニが最も力を入れたのは、貿易圏の拡大...
交易中心地をヴェネツィア1箇所だけ押さえておくだけで莫大...
''『ヴェネツィア通商同盟』''((≪作者注釈5:通商同盟≫「重商...
西はナバラ、北はノルウェーの毛皮占有権、東はリトアニアの...
手に入れることに成功し、統治の終わり頃にはヴェネツィア市...
収益があげられるまでになった。
副次的な効果としては、交易中心地レベル((≪作者注釈6:交易...
ヴェネツィアの税収も高くなるという結果ももたらした。
&color(olive,white){''【これは1450年のものですが・・・】'...
#ref(./140002_ヴェネツィアの収益基盤.JPG,110%)
だが、このような行為を他の通商同盟国が面白く思うはずはな...
ヴェネツィア商人はリグーリア、リューベック、ノヴゴロド市...
貿易商人を直ぐに送り込めるよう、現金はドゥカーレ宮殿の金...
1417年には、トレヴィザーノに交易拠点を開設し、貿易はます...
&color(olive,white){''【宿場町】''};
#ref(./141708_交易拠点開設.JPG,90%)
**都市政策 [#c1412f0a]
カエターニはヴェネツィアに石橋をかけた人物としても有名で...
14世紀までのヴェネツィアは、ラグーナとラグーナとの間の行...
使う以外に方法がなかった。
しかし、貿易量の拡大に伴い交通量が多くなると、石橋を掛け...
1414年、カエターニは工兵隊に命じて''『首都の改善』''を行...
&color(olive,white){''【工兵隊活躍!】''};
#ref(./141410_首都改造.JPG,90%)
**軍事政策とオスマン帝国、そして・・・ [#k130b2f1]
統治の初期にナポリと争い、イピロスを独立させたのは有名な...
結局はオスマン帝国がイピロスとコルフを侵略するのを
黙ってみているしかなかった。
兵力3,000の国家が兵力52,000の国家に対抗するのは愚の骨頂で...
とは言え、自らなんの軍事行動もしなかったわけではない。
アルバニア地方の近隣であるゼタの住民から、建国以来続く内...
きたときには、軍事行動を起こしゼタを併合している。
但し、この行為は同盟国オーストリアの機嫌を甚だしく害し、...
カエターニは智謀家ニコロ・コンタリーニに命じ、同盟を再成...
オーストリアが応ずることはなかった。
ニコロはこの交渉のせいで過労と心労のため倒れ、帰らぬ人と...
軍事力の重要性を痛感したカエターニは徐々に軍拡を行い、
常時1万の兵力を擁することができるまでとなった。
ヴェローナ侵攻の準備が完全に整ったわけだが、
これを不満に思ったオスマン帝国から『警告』を受け、
カエターニは進軍を命ずることができなかった。
このため、ミラノへの宣戦布告は随分あとの時代まで行われな...
1421年、カエターニは新たに同盟国となったボヘミアから、
ポーランド侵略に対する防衛戦参戦要請を受けた。
「ボヘミアの国力は我が国の防衛力に直結する。」
との言葉を残し、カエターニは自らヴェネツィア軍を指揮しボ...
1422年、彼は遠征先で流れ矢に当たり、北の大地から戻ってく...
----
&size(15){次話「[[No.7 ポーランド史への影響と帝国加盟(14...
&size(15){前話「[[No.5 イピロス解放戦争(1404年7月-1405年...
&size(15){タイトル「[[アドリア海の女王]]」にもどる};
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*ジローラモ・カエターニ時代(1403-1422年) [#h8314fb6]
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**現在進行中のミッション [#b87a4428]
-イタリア本土の領土を拡大!(ヴェローナ攻略)
**ジローラモ・カエターニ時代 [#x7f723dd]
ヴェネツィア共和国第63代ドージェ(元首)ジローラモ・コル...
能力的には実に平凡な人物(行政6、軍事3、外交5)であった。
しかし彼は「ヴェネツィアの中興の祖」と呼ばれる。
なぜならば、彼はヴェネツィアの重要な基盤を整えた人物だか...
ヴェネツィア史において彼が元首にあった時代を「ジローラモ...
**成立させた重要な法律・国策 [#u4571191]
そもそもカエターニがドージェに選出された理由は、
逼迫したヴェネツィア共和国財政の建て直しを期待されてのこ...
就任直後に、宣教師派遣費用を抑えるため議会の反対を押し切...
&color(olive,white){''『冒涜禁止法』''};((≪作者注釈1:冒...
またマントヴァから徴税官を招聘し&color(olive,white){''『...
カエターニは、1405年に世界で始めて&color(olive,white){''...
いち早く収入全体の10%を金貨に変えられるようになったため、
他国では硬直しがちな財政政策も、ここヴェネツィアでは自由...
**宗教政策 [#x140197b]
宗教政策を推し進めたのは、ヴェニエル、カエターニと2代のド...
神学者セバスティアノ・サン・パウロの功績が大きい。
宗教の統一は国の安定を図るとの信念のもと、
パウロはギリシア正教を信奉するアテネ、クレタ、アルバニア...
市民を次々に改宗させた。
また、この時代の全ての社会基盤は教会が中心であったにも関...
ヴェネツィアにはいずれの地方にも立派な教会が建っていなか...
このことを問題視したパウロは、巨費を投じて各地に''寺院''(...
1405年に議会に認めさせた。
このため、人々はささいなことでも相談できるようになり、
不満を感じてもすぐに解消するようになった。
この功績が称えられ、パウロは元首顧問を退いた後、
十人委員会からサンマルコ寺院の司教に指名された。
**貿易政策 [#se9413fa]
「貿易こそがヴェネツィアが生きる道である。」
が口癖だったカエターニが最も力を入れたのは、貿易圏の拡大...
交易中心地をヴェネツィア1箇所だけ押さえておくだけで莫大...
''『ヴェネツィア通商同盟』''((≪作者注釈5:通商同盟≫「重商...
西はナバラ、北はノルウェーの毛皮占有権、東はリトアニアの...
手に入れることに成功し、統治の終わり頃にはヴェネツィア市...
収益があげられるまでになった。
副次的な効果としては、交易中心地レベル((≪作者注釈6:交易...
ヴェネツィアの税収も高くなるという結果ももたらした。
&color(olive,white){''【これは1450年のものですが・・・】'...
#ref(./140002_ヴェネツィアの収益基盤.JPG,110%)
だが、このような行為を他の通商同盟国が面白く思うはずはな...
ヴェネツィア商人はリグーリア、リューベック、ノヴゴロド市...
貿易商人を直ぐに送り込めるよう、現金はドゥカーレ宮殿の金...
1417年には、トレヴィザーノに交易拠点を開設し、貿易はます...
&color(olive,white){''【宿場町】''};
#ref(./141708_交易拠点開設.JPG,90%)
**都市政策 [#c1412f0a]
カエターニはヴェネツィアに石橋をかけた人物としても有名で...
14世紀までのヴェネツィアは、ラグーナとラグーナとの間の行...
使う以外に方法がなかった。
しかし、貿易量の拡大に伴い交通量が多くなると、石橋を掛け...
1414年、カエターニは工兵隊に命じて''『首都の改善』''を行...
&color(olive,white){''【工兵隊活躍!】''};
#ref(./141410_首都改造.JPG,90%)
**軍事政策とオスマン帝国、そして・・・ [#k130b2f1]
統治の初期にナポリと争い、イピロスを独立させたのは有名な...
結局はオスマン帝国がイピロスとコルフを侵略するのを
黙ってみているしかなかった。
兵力3,000の国家が兵力52,000の国家に対抗するのは愚の骨頂で...
とは言え、自らなんの軍事行動もしなかったわけではない。
アルバニア地方の近隣であるゼタの住民から、建国以来続く内...
きたときには、軍事行動を起こしゼタを併合している。
但し、この行為は同盟国オーストリアの機嫌を甚だしく害し、...
カエターニは智謀家ニコロ・コンタリーニに命じ、同盟を再成...
オーストリアが応ずることはなかった。
ニコロはこの交渉のせいで過労と心労のため倒れ、帰らぬ人と...
軍事力の重要性を痛感したカエターニは徐々に軍拡を行い、
常時1万の兵力を擁することができるまでとなった。
ヴェローナ侵攻の準備が完全に整ったわけだが、
これを不満に思ったオスマン帝国から『警告』を受け、
カエターニは進軍を命ずることができなかった。
このため、ミラノへの宣戦布告は随分あとの時代まで行われな...
1421年、カエターニは新たに同盟国となったボヘミアから、
ポーランド侵略に対する防衛戦参戦要請を受けた。
「ボヘミアの国力は我が国の防衛力に直結する。」
との言葉を残し、カエターニは自らヴェネツィア軍を指揮しボ...
1422年、彼は遠征先で流れ矢に当たり、北の大地から戻ってく...
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&size(15){次話「[[No.7 ポーランド史への影響と帝国加盟(14...
&size(15){前話「[[No.5 イピロス解放戦争(1404年7月-1405年...
&size(15){タイトル「[[アドリア海の女王]]」にもどる};
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