15世紀中期 近世の足音
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[[船乗りの町]]
|#ref(ヴァスコ・ダ・ガマ.jpg)|
|CENTER:ヴァスコ・ダ・ガマ。インド航路開拓の雄|
#contents
----
**やり手の商人 [#k25b1bd9]
大勢の市民たちが葬列に加わり、故人へ祈りを捧げる。その...
入口から広場にまで黒山の人だかりができていた。
なんといっても、普段ハンブルクに住んでいる市民の他、彼...
が戻ってきているのだ。その存在の大きさがうかがえた。
1450年2月、豪商アルブレヒト・リープ死去。
自らも卓越した商人であるが、後進の教育に力を注ぎ、その...
ベックやヴェネツィア、アントウェルペンといった大商業都市...
5年前に国立銀行の設立に携わってからは隠居していたが、助...
いう。
と、そう感傷にばかり耽ってもいられない。
5月19日、同盟国クレーフェに対し、ミュンスターが宣戦を...
める。クレーフェには北ドイツの諸侯が多く独立保障を宣言し...
を呈していた。
だが、諸侯たちの中には内心の不満が隠せない者たちが少な...
「ハンブルクが盟主だと?」
独立保障を理由に参戦した国より同盟国が優位に立つのは当...
指図するというのか。
|#ref(ミュンスター戦争_2.jpg)|
|CENTER:ミュンスター戦争。オスナブリュックを獲得|
アッカーマン総督はやり手だった。
「戦は喧嘩好きな貴族様方に押しつけましょう。我々商人は美...
歩兵が強行軍でいち早くミュンスター領オスナブリュックを...
任せておけばよい。
翌年5月、オスナブリュックが陥落すると、代表として即座...
オスナブリュックの割譲に加え、725万グルデンの賠償金が支...
手に入れてしまったのだ。諸侯たちは憤懣やる方なかったに違...
アッカーマン総督の手口はとことん実利的だった。これも故...
交易先でのトラブルによりハンブルク商人が追放されかれば...
ミュンスターからの賠償金に加え、国立銀行の設立で国庫は豊...
8月にまたしてもクレーフェがブラバント公の宣戦を受ける...
いる。
|#ref(追放された商人たち.jpg)|
|CENTER:「人の心もお金で買えるんですよ」|
ただし、アッカーマンはわずか一期で退任している。公金横...
られて、選挙が始まるや即座にハノーヴァーへ亡命してしまっ...
**地球は丸かった! [#k237b8c5]
|#ref(コロンブス2.jpg)|
|CENTER:カスティーリャ女王に謁見するクリストフォロ・コロ...
「地球は丸かったんだって」「ハハハ、こやつめ」「何を戯け...
前時代的なハンブルク市参事会はおいておき、ヨーロッパで...
1455年、イスラーム勢力を排除し、フランスと同盟を結んで...
熱情を未知の世界の探索に振り向けた。
冒険者たちの持ち帰った珍奇な産物や大量の金銀はヨーロッ...
新世界へ、東洋へ、未知の世界に対する希求は盛り上がるば...
ポルトガル、フランスといった国々も王家の後援で艦隊を仕立...
新大陸の発見。喜望峰の周回。香辛料貿易。先住民国家への...
夢のように輝かしい冒険譚と、悪夢のように血生臭い征服劇...
ハンブルクにはまだ早いわね。
**どこの市場にもハンブルク商人 [#pdcf816f]
|#ref(イスタンブール.jpg)|
|CENTER:交易中心地イスタンブール。アナトリア・バルカンを...
15世紀半ば、停滞していたヨーロッパの商業活動も息を吹き...
その兆候として、リューベックやヴェネツィアといった大商...
れた。後ポンメルンやラグーザなどである。
また、1465年にアントウェルペンがフランス領となると、ア...
敵対するイングランドなどの商品はそちらへ集められるように...
ほぼ同じころ、オスマン帝国首都イスタンブールにも市場が...
は、名を改めると共に、この新興軍事大国の活力によって繁栄...
こうした世界的な活況と軌を一にして、ハンブルクは各地へ...
国立銀行の設立、自由貿易政策、合理的商慣行の採用、更に...
ヨーロッパ中、果てはイスタンブールやアレクサンドリアま...
「どこの市場に行ってもあの町の商人を見る」とまで言われる...
|#ref(1473_2.jpg)|
|CENTER:1473年の各国収入。ヨーロッパではフランス・カステ...
この豊かな交易収入が更なる発展を生む。
ハンブルクは少しずつだが、上昇気流に乗り始めていた。
LEFT:←[[15世紀前期 海峡戦争(2)]] →[[15世紀後期 世紀...
[[船乗りの町]]
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[[船乗りの町]]
|#ref(ヴァスコ・ダ・ガマ.jpg)|
|CENTER:ヴァスコ・ダ・ガマ。インド航路開拓の雄|
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**やり手の商人 [#k25b1bd9]
大勢の市民たちが葬列に加わり、故人へ祈りを捧げる。その...
入口から広場にまで黒山の人だかりができていた。
なんといっても、普段ハンブルクに住んでいる市民の他、彼...
が戻ってきているのだ。その存在の大きさがうかがえた。
1450年2月、豪商アルブレヒト・リープ死去。
自らも卓越した商人であるが、後進の教育に力を注ぎ、その...
ベックやヴェネツィア、アントウェルペンといった大商業都市...
5年前に国立銀行の設立に携わってからは隠居していたが、助...
いう。
と、そう感傷にばかり耽ってもいられない。
5月19日、同盟国クレーフェに対し、ミュンスターが宣戦を...
める。クレーフェには北ドイツの諸侯が多く独立保障を宣言し...
を呈していた。
だが、諸侯たちの中には内心の不満が隠せない者たちが少な...
「ハンブルクが盟主だと?」
独立保障を理由に参戦した国より同盟国が優位に立つのは当...
指図するというのか。
|#ref(ミュンスター戦争_2.jpg)|
|CENTER:ミュンスター戦争。オスナブリュックを獲得|
アッカーマン総督はやり手だった。
「戦は喧嘩好きな貴族様方に押しつけましょう。我々商人は美...
歩兵が強行軍でいち早くミュンスター領オスナブリュックを...
任せておけばよい。
翌年5月、オスナブリュックが陥落すると、代表として即座...
オスナブリュックの割譲に加え、725万グルデンの賠償金が支...
手に入れてしまったのだ。諸侯たちは憤懣やる方なかったに違...
アッカーマン総督の手口はとことん実利的だった。これも故...
交易先でのトラブルによりハンブルク商人が追放されかれば...
ミュンスターからの賠償金に加え、国立銀行の設立で国庫は豊...
8月にまたしてもクレーフェがブラバント公の宣戦を受ける...
いる。
|#ref(追放された商人たち.jpg)|
|CENTER:「人の心もお金で買えるんですよ」|
ただし、アッカーマンはわずか一期で退任している。公金横...
られて、選挙が始まるや即座にハノーヴァーへ亡命してしまっ...
**地球は丸かった! [#k237b8c5]
|#ref(コロンブス2.jpg)|
|CENTER:カスティーリャ女王に謁見するクリストフォロ・コロ...
「地球は丸かったんだって」「ハハハ、こやつめ」「何を戯け...
前時代的なハンブルク市参事会はおいておき、ヨーロッパで...
1455年、イスラーム勢力を排除し、フランスと同盟を結んで...
熱情を未知の世界の探索に振り向けた。
冒険者たちの持ち帰った珍奇な産物や大量の金銀はヨーロッ...
新世界へ、東洋へ、未知の世界に対する希求は盛り上がるば...
ポルトガル、フランスといった国々も王家の後援で艦隊を仕立...
新大陸の発見。喜望峰の周回。香辛料貿易。先住民国家への...
夢のように輝かしい冒険譚と、悪夢のように血生臭い征服劇...
ハンブルクにはまだ早いわね。
**どこの市場にもハンブルク商人 [#pdcf816f]
|#ref(イスタンブール.jpg)|
|CENTER:交易中心地イスタンブール。アナトリア・バルカンを...
15世紀半ば、停滞していたヨーロッパの商業活動も息を吹き...
その兆候として、リューベックやヴェネツィアといった大商...
れた。後ポンメルンやラグーザなどである。
また、1465年にアントウェルペンがフランス領となると、ア...
敵対するイングランドなどの商品はそちらへ集められるように...
ほぼ同じころ、オスマン帝国首都イスタンブールにも市場が...
は、名を改めると共に、この新興軍事大国の活力によって繁栄...
こうした世界的な活況と軌を一にして、ハンブルクは各地へ...
国立銀行の設立、自由貿易政策、合理的商慣行の採用、更に...
ヨーロッパ中、果てはイスタンブールやアレクサンドリアま...
「どこの市場に行ってもあの町の商人を見る」とまで言われる...
|#ref(1473_2.jpg)|
|CENTER:1473年の各国収入。ヨーロッパではフランス・カステ...
この豊かな交易収入が更なる発展を生む。
ハンブルクは少しずつだが、上昇気流に乗り始めていた。
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