属州がいっぱい07 第七章 動乱の八年
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*動乱の八年 [#zde13ae7]
**1460年代の概況 [#r5eaade7]
#ref(1465.jpg,right,around,75%,開戦前の勢力図);
1460年代初頭のプロヴァンス伯によるフランス王追放は周辺諸...
フランスヴァロワ王家はカペー朝第10代国王フィリップ3世の子...
これが百年戦争の原因となる。当時のイングランド王エドワー...
名将エドワード黒太子率いるイングランド軍の攻勢の前に、フ...
そのような中で勃興したプロヴァンス伯はイングランド王によ...
1467年1月13日、プロヴァンスはクリークに宣戦。6月9日、マス...
1469年9月25日、イングランドがプロヴァンスに対して交易禁止...
10月1日、プロヴァンスがイングランドの玉座を要求。メアリー...
1470年5月19日、ポワトゥー併合(「オーヴェルニュをマップか...
1471年1月、イングランドがプロヴァンスに対し侵略行為の停止...
2月1日、「ブザンソンの忙殺事件」フランシュコンテでブルゴ...
同日、プロヴァンスはブルゴーニュに対し、卑劣な行為を非難...
翌3月1日レイモン・べレンガー・ド・グリニャン将軍謎の横死。
**動乱の八年の幕開け [#u1d182af]
1471年3月1日、イングランドがブルゴーニュに対する影響圏の...
3月14日ブルゴーニュがフランシュコンテの再征服を理由に宣戦...
8月7日、ヌヴェール攻囲戦終了。ブルゴーニュからヌヴェール...
ルイスはイングランド軍へと矛先を変え、オーヴェルニュ付近...
1472年6月23日クリーク族が宣戦してきたという。しかし今は新...
同日、トリアー大司教カール・ヨーゼフがプファルツ選帝侯フ...
1473年11月、ルエルグの攻囲戦を終えたプロヴァンス軍主力が...
1473年12月、エクスに到着したプロヴァンス軍は先に到着した...
---違うエリアにいる分には全く普通の同盟国軍なのだが、同一...
1474年9月1日、放置していたフランシュコンテがブルゴーニュ...
北方の残存戦力を率いたルイス・フェレ・ド・ラ・グランジュ...
***再起 [#o6aa036c]
-
復仇を導き支えるのは神聖なる愛国心なり
自由よ、愛しき自由よ
汝を守る者と共にいざ戦わん
御旗の下、勝利は我々の手に
敵は苦しみの中、我々の勝利と栄光を
目の当たりにするだろう
#br
#br
#ref(1475.jpg,right,around,50%,存亡の危機か);
1475年中にほとんどの州がイングランドに占領されてしまう。...
サボイはルイスの最初の妻の母国とはいえ、元のサボイ伯の孫...
リグーリアはこの戦争初期にプロヴァンスが占領して現在も1個...
ジェノヴァに駐屯するプロヴァンス第13連隊を預かるベネディ...
そんなベネディットを頼って、敗残の身とはいえルイス2世がや...
家族が退席するのを見送ったルイスは、師団の再編と人員の補...
各地に散っていたプロヴァンス兵がルイスの健在を知って、一...
各連隊の定数の半数にも満たないが、約8000の兵力にまで回復...
戦力の完全回復を待たなかったのは、数日前にイングランド女...
傍らには15歳になった副伯(太子)の小ルイスと、第13連隊長...
プロヴァンスの反撃が始まろうとしていた。
時に1475年9月1日、青い海と青い空は故国へと続いている。
プロヴァンス伯が反撃を開始したころ、プロヴァンス領はほと...
だが希望もある。イングランドの海外領地は長引く戦争でこと...
エクスにとどまる4000のイングランド軍に攻撃をかけ、エクス...
ルエルグを支配していたオックの自由の戦士がルエルグのプロ...
***衝撃 [#pd6dd0a3]
#ref(Cavalerie.jpg,right,around,プロヴァンス軽騎兵?);
1476年4月、ランドックを支配したソッツィーニ派の異端がエク...
1476年6月6日、ルイスは乱戦の中にあった。
エクスからランドックへ逃走した異端者たちよりも先にランド...
プロヴァンス軍は態勢を立て直しランドックの一揆軍と戦闘を...
ルイスは旗本(っていうのかな、西洋でも)数騎を従え戦場を...
ルイスの声に反応した連隊長たちは、指揮下の兵を集めてルイ...
夕刻、ローム川の岸辺は無数の赤い糸を紡いだ血の絨毯のよう...
ブールジュの攻囲戦を指揮するジャン・コケレル将軍4-5-3-0に...
***動乱の8年の終わり [#hb34a42f]
#ref(1479.jpg,right,around,75%,戦後の勢力図);
ルイス2世の戦死にプロヴァンスの民心は大地震を起こし、各地...
1476年7月、全てを作り直さねばならない状況にあったルイス3...
イングランドとの休戦は、相手も条件は同じであるから当分考...
1476年から79年の3年間はイングランドとの戦争というよりはプ...
南西部はフォアが独立した(1479年5月)こともあって、比較的...
1479年7月12日、大陸にあるすべてのイングランド領は反乱軍か...
----
この戦争、動乱の八年は、ある意味長寿世界一は誰だ!だった...
-バイエルン大公アルブレヒト3世1428年10月28日~ 在位43年...
-イングランド女王メアリー1世1430年8月1日~ 在位41年後継...
-プロヴァンス伯ルイス2世1438年3月3日~ 在位33年後継者2回...
果たして生き残るのは誰だ・・・と。
戦争中にメアリー女王は亡くなりますが、戦争じゃなかったら...
ルイスはもう一息で王となれるところだったのですが、残念で...
国王の戦死などというほとんど敗戦みたいな勝ち方でしたが、...
さて、次回からは5人目のルイス(ルイス2世と表示されていま...
#br
**à suivre [#z83a4fad]
-[[属州がいっぱい08 第八章 ラ・アルメ・マルセイエーズ]]...
-[[属州がいっぱい06 第六章 北へ!]]へ戻る
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*動乱の八年 [#zde13ae7]
**1460年代の概況 [#r5eaade7]
#ref(1465.jpg,right,around,75%,開戦前の勢力図);
1460年代初頭のプロヴァンス伯によるフランス王追放は周辺諸...
フランスヴァロワ王家はカペー朝第10代国王フィリップ3世の子...
これが百年戦争の原因となる。当時のイングランド王エドワー...
名将エドワード黒太子率いるイングランド軍の攻勢の前に、フ...
そのような中で勃興したプロヴァンス伯はイングランド王によ...
1467年1月13日、プロヴァンスはクリークに宣戦。6月9日、マス...
1469年9月25日、イングランドがプロヴァンスに対して交易禁止...
10月1日、プロヴァンスがイングランドの玉座を要求。メアリー...
1470年5月19日、ポワトゥー併合(「オーヴェルニュをマップか...
1471年1月、イングランドがプロヴァンスに対し侵略行為の停止...
2月1日、「ブザンソンの忙殺事件」フランシュコンテでブルゴ...
同日、プロヴァンスはブルゴーニュに対し、卑劣な行為を非難...
翌3月1日レイモン・べレンガー・ド・グリニャン将軍謎の横死。
**動乱の八年の幕開け [#u1d182af]
1471年3月1日、イングランドがブルゴーニュに対する影響圏の...
3月14日ブルゴーニュがフランシュコンテの再征服を理由に宣戦...
8月7日、ヌヴェール攻囲戦終了。ブルゴーニュからヌヴェール...
ルイスはイングランド軍へと矛先を変え、オーヴェルニュ付近...
1472年6月23日クリーク族が宣戦してきたという。しかし今は新...
同日、トリアー大司教カール・ヨーゼフがプファルツ選帝侯フ...
1473年11月、ルエルグの攻囲戦を終えたプロヴァンス軍主力が...
1473年12月、エクスに到着したプロヴァンス軍は先に到着した...
---違うエリアにいる分には全く普通の同盟国軍なのだが、同一...
1474年9月1日、放置していたフランシュコンテがブルゴーニュ...
北方の残存戦力を率いたルイス・フェレ・ド・ラ・グランジュ...
***再起 [#o6aa036c]
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復仇を導き支えるのは神聖なる愛国心なり
自由よ、愛しき自由よ
汝を守る者と共にいざ戦わん
御旗の下、勝利は我々の手に
敵は苦しみの中、我々の勝利と栄光を
目の当たりにするだろう
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#ref(1475.jpg,right,around,50%,存亡の危機か);
1475年中にほとんどの州がイングランドに占領されてしまう。...
サボイはルイスの最初の妻の母国とはいえ、元のサボイ伯の孫...
リグーリアはこの戦争初期にプロヴァンスが占領して現在も1個...
ジェノヴァに駐屯するプロヴァンス第13連隊を預かるベネディ...
そんなベネディットを頼って、敗残の身とはいえルイス2世がや...
家族が退席するのを見送ったルイスは、師団の再編と人員の補...
各地に散っていたプロヴァンス兵がルイスの健在を知って、一...
各連隊の定数の半数にも満たないが、約8000の兵力にまで回復...
戦力の完全回復を待たなかったのは、数日前にイングランド女...
傍らには15歳になった副伯(太子)の小ルイスと、第13連隊長...
プロヴァンスの反撃が始まろうとしていた。
時に1475年9月1日、青い海と青い空は故国へと続いている。
プロヴァンス伯が反撃を開始したころ、プロヴァンス領はほと...
だが希望もある。イングランドの海外領地は長引く戦争でこと...
エクスにとどまる4000のイングランド軍に攻撃をかけ、エクス...
ルエルグを支配していたオックの自由の戦士がルエルグのプロ...
***衝撃 [#pd6dd0a3]
#ref(Cavalerie.jpg,right,around,プロヴァンス軽騎兵?);
1476年4月、ランドックを支配したソッツィーニ派の異端がエク...
1476年6月6日、ルイスは乱戦の中にあった。
エクスからランドックへ逃走した異端者たちよりも先にランド...
プロヴァンス軍は態勢を立て直しランドックの一揆軍と戦闘を...
ルイスは旗本(っていうのかな、西洋でも)数騎を従え戦場を...
ルイスの声に反応した連隊長たちは、指揮下の兵を集めてルイ...
夕刻、ローム川の岸辺は無数の赤い糸を紡いだ血の絨毯のよう...
ブールジュの攻囲戦を指揮するジャン・コケレル将軍4-5-3-0に...
***動乱の8年の終わり [#hb34a42f]
#ref(1479.jpg,right,around,75%,戦後の勢力図);
ルイス2世の戦死にプロヴァンスの民心は大地震を起こし、各地...
1476年7月、全てを作り直さねばならない状況にあったルイス3...
イングランドとの休戦は、相手も条件は同じであるから当分考...
1476年から79年の3年間はイングランドとの戦争というよりはプ...
南西部はフォアが独立した(1479年5月)こともあって、比較的...
1479年7月12日、大陸にあるすべてのイングランド領は反乱軍か...
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この戦争、動乱の八年は、ある意味長寿世界一は誰だ!だった...
-バイエルン大公アルブレヒト3世1428年10月28日~ 在位43年...
-イングランド女王メアリー1世1430年8月1日~ 在位41年後継...
-プロヴァンス伯ルイス2世1438年3月3日~ 在位33年後継者2回...
果たして生き残るのは誰だ・・・と。
戦争中にメアリー女王は亡くなりますが、戦争じゃなかったら...
ルイスはもう一息で王となれるところだったのですが、残念で...
国王の戦死などというほとんど敗戦みたいな勝ち方でしたが、...
さて、次回からは5人目のルイス(ルイス2世と表示されていま...
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