モンゴル再興(18)
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[[モンゴル再興 ~DWモンゴル汗国で世界帝国~]]
*治世の時 1560年 [#z46cf29a]
あれから数年、ようやく安定度が-1まで回復したがいまだ帝国...
国家の方針でのペナルティと遊牧民固有のペナルティ、マイナ...
周辺諸国とも定期的かつ自動的に宣戦を行い高まる厭戦感情と...
モンゴル帝国が誇る8万のマングダイ(蒙古弓騎兵)と10万...
だがここは耐え時だ。
国内情勢が安定しさらに技術の西欧化が達成できれば日の目が...
ここは我慢の一手で戦い続ける。
|&ref(mongo70.jpg);|
|1560年におけるモンゴル帝国の反乱発生確率。まるで真っ赤焼...
**日本発見 1561年 [#dda1a3f4]
そんな国内情勢不安定なさなか、ヨーロッパから帰ってきた交...
もちろん東アジアの国である我らがモンゴルは朝鮮経由で日本...
そうでなくとも海戦などした事のない蒙古軍だ、近い国ではあ...
問題なのは、ついに西欧諸国がこの東南アジアに到達したとい...
これはますますもって急がなければならない。
|&ref(mongo71.jpg);|
|島国には興味はないが欧州の軍がアジアを踏み荒らすのは気に...
*クメール朝征伐 1563年 [#t647c23f]
モンゴル帝国の内情を見てか、しばらく大人しくしていた東南...
華南鎮軍として駐在していた5万の蒙古兵で再びジャングルに...
歴代の中華の皇帝は、中原から見れば辺境四方、東の東夷(と...
しかし今や、かつて北狄と蔑まれてきた我らモンゴル族が中華...
そして今南蛮と蔑んできた東南アジア諸王朝に庇護してもらっ...
その筆頭こそがクメール王朝なのだ。
中華を治める王、すなわち皇帝として「南蛮」を征伐しなけれ...
クメール軍自体は相変わらず容易に撃破できるものの、険阻な...
それでも南進を続けクメールの王都プノンペンに入城、国王チ...
このような苦難の地はこちらも支配したくないので本来ならば...
痛し痒しといったところだ。
これでまた今しばらくはおとなしくしているだろう。
|&ref(mongo72.jpg);|
|熱帯ペナルティのある東南アジアはできれば制圧したくない地...
*西欧技術への渇望 1568年 [#f2f1d4d2]
途中で顧問の活躍もあり想定よりは早く安定度が回復しつつあ...
その際に、どの国と接するべきかの検討に入った。
候補は南方からロシアへ侵食しつつあるドイツの大国ボヘミア...
ボヘミア王国は神聖ローマ帝国の構成国であり、大陸軍を擁し...
その上連鎖的にドイツ諸連邦と戦争に突入する危険性は大いに...
一方スウェーデン王国は最も我がモンゴル帝国に近い位置にあ...
他の西欧諸国との関わりが薄い国だ。
国境を接する=即戦争である遊牧民族にとっては都合が良い。
|&ref(mongo74.jpg);|
|ヨーロッパの現状。ボヘミア王国の伸長がすさまじい|
*北海の戦士、極東の戦士 1571年 [#s001e2dd]
スウェーデン王国に向けて征西を開始せよとの命を各戸長に飛...
スウェーデンとモンゴルの支配地域との間にあるスモレンスク...
スモレンスクはモスクワの北東にあるわずか1州の小国で、最...
国王ロスティスラフ3世はモンゴル軍来たるとの報を受けるや...
もちろんこんな小国が欲しいわけではない。
本命は北欧の大国であり西欧技術国であるスウェーデンとの接...
ほどなくしてスモレンスクを吸収、すなわちスウェーデンとの...
しかし今回は戦争をしたいわけではない。
ひと当たりしたのちに講和を打診、モンゴルからの賠償金で手...
いよいよ西欧化への扉が開かれつつあった。
|&ref(mongo75.jpg);|
|バイキング対モンゴル軍団の本当の戦いは今しばらく先になり...
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*治世の時 1560年 [#z46cf29a]
あれから数年、ようやく安定度が-1まで回復したがいまだ帝国...
国家の方針でのペナルティと遊牧民固有のペナルティ、マイナ...
周辺諸国とも定期的かつ自動的に宣戦を行い高まる厭戦感情と...
モンゴル帝国が誇る8万のマングダイ(蒙古弓騎兵)と10万...
だがここは耐え時だ。
国内情勢が安定しさらに技術の西欧化が達成できれば日の目が...
ここは我慢の一手で戦い続ける。
|&ref(mongo70.jpg);|
|1560年におけるモンゴル帝国の反乱発生確率。まるで真っ赤焼...
**日本発見 1561年 [#dda1a3f4]
そんな国内情勢不安定なさなか、ヨーロッパから帰ってきた交...
もちろん東アジアの国である我らがモンゴルは朝鮮経由で日本...
そうでなくとも海戦などした事のない蒙古軍だ、近い国ではあ...
問題なのは、ついに西欧諸国がこの東南アジアに到達したとい...
これはますますもって急がなければならない。
|&ref(mongo71.jpg);|
|島国には興味はないが欧州の軍がアジアを踏み荒らすのは気に...
*クメール朝征伐 1563年 [#t647c23f]
モンゴル帝国の内情を見てか、しばらく大人しくしていた東南...
華南鎮軍として駐在していた5万の蒙古兵で再びジャングルに...
歴代の中華の皇帝は、中原から見れば辺境四方、東の東夷(と...
しかし今や、かつて北狄と蔑まれてきた我らモンゴル族が中華...
そして今南蛮と蔑んできた東南アジア諸王朝に庇護してもらっ...
その筆頭こそがクメール王朝なのだ。
中華を治める王、すなわち皇帝として「南蛮」を征伐しなけれ...
クメール軍自体は相変わらず容易に撃破できるものの、険阻な...
それでも南進を続けクメールの王都プノンペンに入城、国王チ...
このような苦難の地はこちらも支配したくないので本来ならば...
痛し痒しといったところだ。
これでまた今しばらくはおとなしくしているだろう。
|&ref(mongo72.jpg);|
|熱帯ペナルティのある東南アジアはできれば制圧したくない地...
*西欧技術への渇望 1568年 [#f2f1d4d2]
途中で顧問の活躍もあり想定よりは早く安定度が回復しつつあ...
その際に、どの国と接するべきかの検討に入った。
候補は南方からロシアへ侵食しつつあるドイツの大国ボヘミア...
ボヘミア王国は神聖ローマ帝国の構成国であり、大陸軍を擁し...
その上連鎖的にドイツ諸連邦と戦争に突入する危険性は大いに...
一方スウェーデン王国は最も我がモンゴル帝国に近い位置にあ...
他の西欧諸国との関わりが薄い国だ。
国境を接する=即戦争である遊牧民族にとっては都合が良い。
|&ref(mongo74.jpg);|
|ヨーロッパの現状。ボヘミア王国の伸長がすさまじい|
*北海の戦士、極東の戦士 1571年 [#s001e2dd]
スウェーデン王国に向けて征西を開始せよとの命を各戸長に飛...
スウェーデンとモンゴルの支配地域との間にあるスモレンスク...
スモレンスクはモスクワの北東にあるわずか1州の小国で、最...
国王ロスティスラフ3世はモンゴル軍来たるとの報を受けるや...
もちろんこんな小国が欲しいわけではない。
本命は北欧の大国であり西欧技術国であるスウェーデンとの接...
ほどなくしてスモレンスクを吸収、すなわちスウェーデンとの...
しかし今回は戦争をしたいわけではない。
ひと当たりしたのちに講和を打診、モンゴルからの賠償金で手...
いよいよ西欧化への扉が開かれつつあった。
|&ref(mongo75.jpg);|
|バイキング対モンゴル軍団の本当の戦いは今しばらく先になり...
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