パックス・ジャポニカ 肥後、陥落
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[[パックス・ジャポニカ]]
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>「この一つの城の陥落によって、いわゆる戦国時代が始まった...
> ...
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西暦1401年(応永8年) 4月 九州、肥後国矢部 岩尾城本丸
|#ref(Japan_prov_map_higo.png,around,center)|
|参考資料|肥後国(Wikipediaより)|
>「一体、何故…」
> 男は、呟いた。それは純粋な好奇心からの言葉というよりは...
その顔には、およそ戦乱の時代を生き抜いてきた者に特有の、...
その両眼には、今にも陥落寸前の山城が映っていた。本丸以外...
最後の砦たるこの本丸では数十名の手勢が弓持ち刀持ち、絶...
>「惟政(これまさ)、ここまで堕ちたか…!」
> 男は、攻め寄せてきた、彼の甥であり政敵の名前を吠えた。...
ただ、これまでに一度だけ、一族統合の機会があった。まず...
…しかし当時の情勢は、宮方が一時大宰府を攻略し息巻いてい...
ここから男の受難の人生が始まった。
まず、宮方からは実権なき後継者と言われ、相手にされなかっ...
…しかし、兎にも角にも肥後の地の回復に成功し、南北朝の統...
> そう、今日、この日までは。
> あの大馬鹿者が!自分が死ぬのはいい。だが、"外部勢力"を...
家の将来に大きな禍根を残すであろう選択をした、甥の愚かさ...
その内に、甲高い音を立てながら飛んできた火矢が自分の周囲...
こうして周辺に事が及んでから初めて、もうどうしようも無い...
>かくなる上は、潔く戦い、散るしかない。
>そう脳裏を過った瞬間、本丸の正門が慌ただしくなった。突破...
喊声と共に敵兵が門からなだれ込んでくる。背負うその旗から...
手勢が応戦するが圧倒的な数の前に一人一人と討ち取られてい...
敵手の顔を確認した所で、違和感を覚えた。なりは至って普通...
敵が自身の周囲まで迫った瞬間、大音声をあげた。
>「我こそは、肥後国守護の阿蘇大宮司惟村である!討ち取って...
>―1401年(応永8年) 4月17日 肥後国守護、阿蘇惟村はその...
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西暦1401年(応永8年) 5月 九州、筑前国早良郡 姪浜城(...
|#ref(Japan_prov_map_chikuzen.png,center)|
|参考資料|筑前国(Wikipediaより)|
#ref(ritsuryo_kyushu1401_1.png,around,right,島津・肥後侵...
> 九州探題(幕府の九州出先機関)・渋川満頼は城館でその報...
島津が、阿蘇氏の守護する所である肥後国を、旧南朝方の大宮...
そして厚顔にも、その事を認めるように、との書状すら島津、...
それを聞いた時、満頼は最近薄くなってきた頭髪を、さらに掻...
これ以上懸案を持ってきてくれるな、という風に特徴のない顔...
ただでさえ彼の前任者、今川了俊が残してくれた「懸案事項」...
> 前任者、了俊は確かに有能であった。彼のおかげで九州の南...
だが彼は…物事を要領よく解決する、という事は苦手であった。
> 筑前守護の少弐氏との関係が険悪(というか反幕)になった...
その出来事により九州中の守護(味方にすらも)から九州探題...
国人(豪族)同士が、了俊が九州平定のため両者に競争原理を...
そもそも、了俊が九州探題を解任されたのも九州で半ば独立...
> 満頼にしてみればこの阿蘇家の騒動も同様に「困った問題」...
> 別に阿蘇氏の事は良い。惟村は所詮南朝方の息子であるし ...
問題は島津氏である。彼らが最初に日向の北半分、半ば独立国...
だが、その返す刀で阿蘇氏の旧南朝方後継者を支援したこと…こ...
> 惟村が岩尾城戦で討たれ、旧南朝方の惟政が阿蘇の実権を(...
いくら惟政が正統性を自称しても、旧南朝方である惟政を軽々...
しかし…惟村の後継者、一族郎党もろとも、岩尾城で消滅してい...
> それに、もしこれを認めなければ、必ず後ろ盾である島津と...
また、九州も安全とは言い難く、大内氏は衰微寸前、いつ仇敵...
> 満頼はこれらの事を勘案し、苦渋ながらも、室町殿に報告し...
もちろん島津に釘を刺しておく事も忘れない。つまり、これ以...
> 島津も、流石にそこまでは望んではいまい…。
> 今回の事は、単なる守護の「ちょっとした」領土的野心に過...
そう考えることで満頼はこの問題をひとまず頭の隅へと押しや...
だが、頭の奥に押し込む際、残滓が数瞬、脳内に残った。な...
#br
西暦1401年(応永8年) 6月 九州、肥後国矢部 岩尾城、浜...
> 岩尾城は細々と再建されつつあった。
それは岩尾城の居館であり、あれから真っ先に再建された浜の...
> 居館とは、その山城の普段の仕事場所…といった建物である。
山城そのものは軍事的機能が優先されているため、書類仕事と...
そのため、機能的に分離した居館が次第にその麓などに作られ...
> 人々が山城の残骸を撤去し、新たに木壁を打ち据える…。そ...
> こんなはずでは無かった。
> 誰かが自分の顔を見たならば、そう書いてある、と即座に解...
それに、頭痛のタネだった「惟村派」はもう存在しない。だが…
#ref(Shimazu_higo.png,around,right,島津・肥後占領統治);
> 実権だけが無かった。
あったとしても影響力はこの「居館」の中だけであろう。冗談...
まず、この奥部屋のすぐ控えの間では島津方の奉公が控えてい...
そして、館の随所に配置された島津の兵 ―表向きは臣従の姿勢...
極めつけは、館の周辺にて警戒する、100人程の島津家の部隊で...
表向きの理由は「惟村派残党」の「正統後継者暗殺」への警戒...
> 言ってしまえば体の良い「監禁」なのである。
その事に惟政が気付いた時には…時すでに遅かった。
>激怒し、各方面へのシンパに檄文(島津を討てと言った内容)...
あるいは、室町方への島津への懲罰要請を出した事もあった。
かくなる上は、自分と館の手勢で蜂起しようと考えた事さえあ...
> しかし、その試みの悉くが失敗した。
まず書簡は殆どが届く前に没収されていた。届いたとしても南...
室町方にしても、南朝の流れを汲む惟政になど付くはずがない。
蜂起は準備段階で断念した。不穏な空気を感じ取った島津側に...
> つまり自分は、ある程度の正統性を主張するためだけの駒に...
後継者対立の解消は長年の悲願ではあったが、こんな操り人形...
> あんな甘言に乗らなければよかった。つまるところ武力介入...
藁をもすがる気分の俺に話を持ちかけたのも、勢いのある「惟...
> しかし、「奴」とは一度だけ顔を合わせたに過ぎないが、あ...
もしかしたら、肥後だけじゃ済まないんじゃないのか?九州平...
> いや、それだけではない。何かもっと大きな…
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西暦1401年(応永8年) 6月 九州、薩摩国鹿児島 清水城
|#ref(Japan_prov_map_satsuma.png,center)|
|参考資料|薩摩国(Wikipediaより)|
>「探題平定軍だ」
> その言葉を聴いた時、島津久豊は耳を疑った。
何しろ、今しがた来た探題からの返答 ―肥後の現状への追認―...
頭を下げながら、その言葉の意味を理解した。つまり、今すぐ...
…何を言っている?顔中から嫌な汗が吹き出した。
最近の兄上はどうされました…。喉まで来たその言葉を抑え込み...
>「畏れながら…追認が出た以上、領地の平定に尽力すべきかと…」
> もういいのではないですか?これ以上は地方領主の分を超え...
近年の主君の豹変ぶりを間近で見ているからこそ、そんな軽々...
ヘマをして首でも刎ねられようものなら目も当てられない。二...
>「お前は今まで何をやってきた?」
> 頭上から凍るような言葉が掛かった。頭が悲鳴が出そうなほ...
つまりこう言っているのだ。肥後は名目上阿蘇なのだし、反対...
だいいちそれを実行してきたのはお前ではないか。
>「…しかし、"正統"後継者である惟政の、我が家への謀反の意...
>「くどいわ」
> 心臓がひっくり返るようだった。これ以上の反駁は危険だ。
つまり、今の所の優先順位が外征の方が内政より高いというこ...
何故にそれほどに急ぐのか。
>「…兵の準備を致します」
>「よい。下がれ」
> どういった心境の変化か二年前からこの国は大変革を迎えて...
粛清、南方平定、新兵制。そして日向、肥後平定。間髪入れず...
疑念は山ほどある。だがそれを顔に出す事などはしない。静か...
> ここにきての、室町方への反逆に等しい行為…明らかに元久...
前々から、薄々と気がついてはいたのだ。
> あのお方は…天下を獲るつもりだ。
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CENTER:|序章 [[ある愛蘭人の手記>http://stanza-citta.com/...
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RIGHT:※九州の白地図につきましては テクノコ白地図イラスト...
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[[パックス・ジャポニカ]]
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>「この一つの城の陥落によって、いわゆる戦国時代が始まった...
> ...
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西暦1401年(応永8年) 4月 九州、肥後国矢部 岩尾城本丸
|#ref(Japan_prov_map_higo.png,around,center)|
|参考資料|肥後国(Wikipediaより)|
>「一体、何故…」
> 男は、呟いた。それは純粋な好奇心からの言葉というよりは...
その顔には、およそ戦乱の時代を生き抜いてきた者に特有の、...
その両眼には、今にも陥落寸前の山城が映っていた。本丸以外...
最後の砦たるこの本丸では数十名の手勢が弓持ち刀持ち、絶...
>「惟政(これまさ)、ここまで堕ちたか…!」
> 男は、攻め寄せてきた、彼の甥であり政敵の名前を吠えた。...
ただ、これまでに一度だけ、一族統合の機会があった。まず...
…しかし当時の情勢は、宮方が一時大宰府を攻略し息巻いてい...
ここから男の受難の人生が始まった。
まず、宮方からは実権なき後継者と言われ、相手にされなかっ...
…しかし、兎にも角にも肥後の地の回復に成功し、南北朝の統...
> そう、今日、この日までは。
> あの大馬鹿者が!自分が死ぬのはいい。だが、"外部勢力"を...
家の将来に大きな禍根を残すであろう選択をした、甥の愚かさ...
その内に、甲高い音を立てながら飛んできた火矢が自分の周囲...
こうして周辺に事が及んでから初めて、もうどうしようも無い...
>かくなる上は、潔く戦い、散るしかない。
>そう脳裏を過った瞬間、本丸の正門が慌ただしくなった。突破...
喊声と共に敵兵が門からなだれ込んでくる。背負うその旗から...
手勢が応戦するが圧倒的な数の前に一人一人と討ち取られてい...
敵手の顔を確認した所で、違和感を覚えた。なりは至って普通...
敵が自身の周囲まで迫った瞬間、大音声をあげた。
>「我こそは、肥後国守護の阿蘇大宮司惟村である!討ち取って...
>―1401年(応永8年) 4月17日 肥後国守護、阿蘇惟村はその...
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西暦1401年(応永8年) 5月 九州、筑前国早良郡 姪浜城(...
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|参考資料|筑前国(Wikipediaより)|
#ref(ritsuryo_kyushu1401_1.png,around,right,島津・肥後侵...
> 九州探題(幕府の九州出先機関)・渋川満頼は城館でその報...
島津が、阿蘇氏の守護する所である肥後国を、旧南朝方の大宮...
そして厚顔にも、その事を認めるように、との書状すら島津、...
それを聞いた時、満頼は最近薄くなってきた頭髪を、さらに掻...
これ以上懸案を持ってきてくれるな、という風に特徴のない顔...
ただでさえ彼の前任者、今川了俊が残してくれた「懸案事項」...
> 前任者、了俊は確かに有能であった。彼のおかげで九州の南...
だが彼は…物事を要領よく解決する、という事は苦手であった。
> 筑前守護の少弐氏との関係が険悪(というか反幕)になった...
その出来事により九州中の守護(味方にすらも)から九州探題...
国人(豪族)同士が、了俊が九州平定のため両者に競争原理を...
そもそも、了俊が九州探題を解任されたのも九州で半ば独立...
> 満頼にしてみればこの阿蘇家の騒動も同様に「困った問題」...
> 別に阿蘇氏の事は良い。惟村は所詮南朝方の息子であるし ...
問題は島津氏である。彼らが最初に日向の北半分、半ば独立国...
だが、その返す刀で阿蘇氏の旧南朝方後継者を支援したこと…こ...
> 惟村が岩尾城戦で討たれ、旧南朝方の惟政が阿蘇の実権を(...
いくら惟政が正統性を自称しても、旧南朝方である惟政を軽々...
しかし…惟村の後継者、一族郎党もろとも、岩尾城で消滅してい...
> それに、もしこれを認めなければ、必ず後ろ盾である島津と...
また、九州も安全とは言い難く、大内氏は衰微寸前、いつ仇敵...
> 満頼はこれらの事を勘案し、苦渋ながらも、室町殿に報告し...
もちろん島津に釘を刺しておく事も忘れない。つまり、これ以...
> 島津も、流石にそこまでは望んではいまい…。
> 今回の事は、単なる守護の「ちょっとした」領土的野心に過...
そう考えることで満頼はこの問題をひとまず頭の隅へと押しや...
だが、頭の奥に押し込む際、残滓が数瞬、脳内に残った。な...
#br
西暦1401年(応永8年) 6月 九州、肥後国矢部 岩尾城、浜...
> 岩尾城は細々と再建されつつあった。
それは岩尾城の居館であり、あれから真っ先に再建された浜の...
> 居館とは、その山城の普段の仕事場所…といった建物である。
山城そのものは軍事的機能が優先されているため、書類仕事と...
そのため、機能的に分離した居館が次第にその麓などに作られ...
> 人々が山城の残骸を撤去し、新たに木壁を打ち据える…。そ...
> こんなはずでは無かった。
> 誰かが自分の顔を見たならば、そう書いてある、と即座に解...
それに、頭痛のタネだった「惟村派」はもう存在しない。だが…
#ref(Shimazu_higo.png,around,right,島津・肥後占領統治);
> 実権だけが無かった。
あったとしても影響力はこの「居館」の中だけであろう。冗談...
まず、この奥部屋のすぐ控えの間では島津方の奉公が控えてい...
そして、館の随所に配置された島津の兵 ―表向きは臣従の姿勢...
極めつけは、館の周辺にて警戒する、100人程の島津家の部隊で...
表向きの理由は「惟村派残党」の「正統後継者暗殺」への警戒...
> 言ってしまえば体の良い「監禁」なのである。
その事に惟政が気付いた時には…時すでに遅かった。
>激怒し、各方面へのシンパに檄文(島津を討てと言った内容)...
あるいは、室町方への島津への懲罰要請を出した事もあった。
かくなる上は、自分と館の手勢で蜂起しようと考えた事さえあ...
> しかし、その試みの悉くが失敗した。
まず書簡は殆どが届く前に没収されていた。届いたとしても南...
室町方にしても、南朝の流れを汲む惟政になど付くはずがない。
蜂起は準備段階で断念した。不穏な空気を感じ取った島津側に...
> つまり自分は、ある程度の正統性を主張するためだけの駒に...
後継者対立の解消は長年の悲願ではあったが、こんな操り人形...
> あんな甘言に乗らなければよかった。つまるところ武力介入...
藁をもすがる気分の俺に話を持ちかけたのも、勢いのある「惟...
> しかし、「奴」とは一度だけ顔を合わせたに過ぎないが、あ...
もしかしたら、肥後だけじゃ済まないんじゃないのか?九州平...
> いや、それだけではない。何かもっと大きな…
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西暦1401年(応永8年) 6月 九州、薩摩国鹿児島 清水城
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|参考資料|薩摩国(Wikipediaより)|
>「探題平定軍だ」
> その言葉を聴いた時、島津久豊は耳を疑った。
何しろ、今しがた来た探題からの返答 ―肥後の現状への追認―...
頭を下げながら、その言葉の意味を理解した。つまり、今すぐ...
…何を言っている?顔中から嫌な汗が吹き出した。
最近の兄上はどうされました…。喉まで来たその言葉を抑え込み...
>「畏れながら…追認が出た以上、領地の平定に尽力すべきかと…」
> もういいのではないですか?これ以上は地方領主の分を超え...
近年の主君の豹変ぶりを間近で見ているからこそ、そんな軽々...
ヘマをして首でも刎ねられようものなら目も当てられない。二...
>「お前は今まで何をやってきた?」
> 頭上から凍るような言葉が掛かった。頭が悲鳴が出そうなほ...
つまりこう言っているのだ。肥後は名目上阿蘇なのだし、反対...
だいいちそれを実行してきたのはお前ではないか。
>「…しかし、"正統"後継者である惟政の、我が家への謀反の意...
>「くどいわ」
> 心臓がひっくり返るようだった。これ以上の反駁は危険だ。
つまり、今の所の優先順位が外征の方が内政より高いというこ...
何故にそれほどに急ぐのか。
>「…兵の準備を致します」
>「よい。下がれ」
> どういった心境の変化か二年前からこの国は大変革を迎えて...
粛清、南方平定、新兵制。そして日向、肥後平定。間髪入れず...
疑念は山ほどある。だがそれを顔に出す事などはしない。静か...
> ここにきての、室町方への反逆に等しい行為…明らかに元久...
前々から、薄々と気がついてはいたのだ。
> あのお方は…天下を獲るつもりだ。
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RIGHT:※九州の白地図につきましては テクノコ白地図イラスト...
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