*交易政策の成功(1539-47年) [#fd9a4e0a]

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**大改革の成果 [#d249f9e3]
#ref(./153904_交易政策成功.JPG,right,around,【好景気】,90%);
&color(olive,white){''【好景気】''};
第75代ドージェ(元首)レオナルド・バリラ・ロッキが行った大改革は、1539年以降になり、ようやくその効果が目に見えるようになった。

1539年は、統一的交易方針がうまくいったおかげで好景気に沸き、交易効率がさらに上がった。

&color(olive,white){''【市場】''};
1444年になると、自然発生的に
「各地でも日を決めて商売人が集まって物を売れば、便利じゃないか?」
という声があがり、&color(darkred,white){『市場』};((≪作者注釈1:市場≫「交易21」で採用可能。「人口増加+1%」「(その州の)交易収入+2」の効果がある。))がたつようになった。
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#ref(./154404_交易の拡大.JPG,right,around,また,90%)
&color(olive,white){''【海外進出】''};
また、海外進出に目をむけ自由貿易主義を推し進めた結果、海外の貿易中心地に商人が進出しやすくなった。

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#ref(./154509_運河の設立.JPG,right,around,【運河建設命令】,90%)
&color(olive,white){''【運河建設命令】''};((≪作者注釈2:運河建設命令≫National Focus関連の施政方針。「統治20」「交易20」「海軍15」「役人4人」等が必要。「(その州の)交易収入+0.2」の効果がある。))
1445年になると、
「陸地でももっと楽に商品を運びたい!」
という声が強くなり、国内で初の運河が建設された。
(もともと、ヴェネツィア自体が運河みたいなものなので、本物の運河を作るのは容易であった。)

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#ref(./154712_商人が食指.JPG,right,around,【やっぱ環境が良くなきゃね】,90%)
&color(olive,white){''【やっぱ環境が良くなきゃね】''};
このように商業を行いやすいインフラを整えたおかげで、他国の商人がヴェネツィアに関心を示すようになった。

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#ref(./154710_首都移住.JPG,right,around,【いつの時代も都会がいいんだなぁ】,90%)
&color(olive,white){''【いつの時代も都会がいいんだなぁ】''};
商都ヴェネツィアに関心を示したのは商人ばかりではない。
都会に憧れるようになった地方の農民も、ヴェネツィアに移住するようになった。
そのおかげで、短期的には地方で混乱が起こったのであるが・・・。

努力すればするほど暮らしが良くなる、ヴェネツィア市民にとっては良き時代であった。

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&size(15){「[[No.25 ドメニコ・プリウリの宗教改革(1560-61年)]]」につづく};
&size(15){次話「[[No.25 ドメニコ・プリウリの宗教改革(1560-61年)]]」につづく};
&size(15){前話「[[No.23 冷徹な改革者(1530-34年)]]」にもどる};
&size(15){タイトル「[[アドリア海の女王]]」にもどる};

TIME:"2010-12-03 (金) 13:19:35"

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