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**新たな交易中心地 [#n186384d]

1450年代のヴェネツィアは、交易中心地としては世界最大の規模となり、
その取引量は1600以上を誇っていた。
扱われる商品の多さから、''『ヴェネツィア通商同盟』''への加入を希望する国・地方は
多かった。

だが、1450年代から60年代にかけ、イタリア北西部からイタリア南部の諸国が
頻繁に戦争を行うようになると、安全性から海路よりも陸路の通商路が徐々に
重視されるようになり、大陸内陸部に新しい交易中心地が作られるようになった。

&color(olive,white){''【1450-70年に新しく出現した交易中心地】''};
-1453年	エルザス(アルザス)
-1465年	ホラント(ホラント)
-1469年	ミュンヘン(バイエルン)
-1470年	ブランデンブルグ(ブランデンブルグ)

これらの交易中心地の出現に伴い、その周辺国は''『ヴェネツィア通商同盟』''から
離脱し新しい交易中心地で商いをするようになった。
そのため1470年代前半には、ヴェネツィア市場における取引量は800程度と
往時の半分にまで激減しており、
また、競争力不足から新たな市場に我が国の商人は食い込めないという状況が発生していた。

「もはやヴェネツィア市場だけで収益を上げられる時代は終わったのだ。」
第69代ヴェネツィア共和国ドージェ(元首)ヴィターレ・スガイナ スフォルツァは、
十人委員会の会合にて委員に語りかけた。

「これからは他国の市場に我らが進出し、利益を上げるべき時代である。
政府としては、そのための政策を行い商人の後押しをすべきだ。」

1473年4月、十人委員会は商業競争力の向上を目的として&color(olive,white){''『合理的商慣行』''};
の導入を決定した。
ノヴゴロド、リューベックからの交易禁止令も解除されたため、商業の拡大に勤しみ
1487年までには派遣可能な全貿易中心地へ商人を配置することができるようになった。

&color(olive,white){''【独占はまだ持ってないけど、ね?】''};

#ref(./148706_埋まった.JPG,90%)

**産業政策と貴族権益の拡大 [#wa696cec]

テッラ・フェルマ(本土)政策には、交易から上がった利潤をもとに本土に投資を行い
産業を活性化させることも含まれる、と考えていたスフォルツァは、
1476年に各地に&color(olive,white){''『工房』''};を建設することを議会に認めさせた。

例えば、毛織物はアレクサンドリアへの重要な輸出品であったが、
これまではフィレンツェ等から仕入れていた。
だが、イタリア半島で頻発する戦争の影響で毛織物産業が衰退すると、
手に入りづらくなっていた。
そこで、ヴェネツィア政府は『工房』を建てて毛織物職人をヴェネツィアやヴェローナに誘致し、
自国内で輸出品を生産できるようにしようとしたのだ。

だが、いくらヴェネツィア政府とはいえ、全ての地方に『工房』を建設できるほど
資金を有しているわけではなかった。

そんなある日、ヴェネツィアの有力貴族がスフォルツァに面会を求めてきた。

「ドージェ、どうやら建設資金にお困りのようですね。』
「いや、全くおっしゃる通りでして。」
「私が250ドゥカート提供いたしましょう。
但し、私の領地の教会の領地と叙任権を今後20年間与えて頂けませんかな。」

&color(olive,white){''【取引条件】''};

#ref(./147708_教会叙任権.JPG,90%)

スフォルツァは頭の中で計算した。

(教会の領地を与えるということは、毎年5%の税収減となる。
ヴェネツィア全体の年間税収は人頭税も含めても200ドゥカート。
20年間で200ドゥカートの減収となるが、
250ドゥカートが現金でいますぐ手に入るのなら、
どちらが得かは考えるまでもない。)

(しかし、この男、計算ができないのか、国家のためにわざとこのような条件を提示したのか・・・
ま、物事は好意的に受け止めるべきか。)

「これは良い申し出。言われる条件は呑みましょう。
ご提供頂いた資金は、すぐに『工房』建設費用に使わせて頂きます。」
1478年8月、こうしてヴェネツィアの全プロヴィンスに工房が竣工した。

**アルセナーレ(国立造船所)の拡張 [#o1d36235]

1486年7月、陸軍と海軍との間でちょっとしたいざこざがあった。
陸軍が「陸軍にも研究費をよこせ。」と要求してきたのだ。
実際には、陸軍に研究費を重点的に配分したかいがあり、4年先の技術が開発できたため、
当分陸軍へ研究費用をまわすのをやめ、その分を海軍にまわしただけなのだが、
陸軍は不満だったようだ。

&color(olive,white){''【軽くみるなよ!】''};

#ref(./148607_軽視される陸軍.JPG,90%)

「ドージェ、いったいどうしましょう。」
「ふむ、ここで海軍に梃入れをすると戦訓が20%を超えアルセナーレを拡張する条件が
一つクリアできるな。」

アルセナーレ(国立造船所)は、ガレー船専用の造船所である。
レヴァント(地中海)貿易では海賊に遭遇する確率も高い。
そのため、ヴェネツィアでは、非常時にはすぐに軍船に変えることのできる
ガレー船を使用するのが主流であった。
国防機密と貿易推奨政策の観点から、ガレー船は全て国有でありアルセナーレで造られていた。

「有事に備えて、ガレー船の建造費用も40%減らせるのは有意義だ。
オスマン帝国の主力艦隊はガレー船だからな。」
「それにあと1年半もすれば、海軍レベルも10になりアルセナーレを拡張できる条件が全て揃う。
陸軍のわがままにつきあってやる必要はない。」

第71代ヴェネツィア共和国ドージェ(元首)ファブリツィオ・ポラーニ オデスカルキは、
そうつぶやくとすぐに陸軍大臣を呼びつけ
「艦隊は我が国の守りの要だ!」
と叱り飛ばした。
この話はすぐに陸軍中に広まり、陸軍はやる気をなくした。

1年半後、ヴェネツィアはアルセナーレの拡張を決定した。

&color(olive,white){''【国営造船所の拡張】''};

#ref(./148801_造船所拡張.JPG,90%)

作者注釈:国営造船所の拡張
 ヴェネツィア特有の施政方針。
 採用には「海軍の戦訓が20以上」「海軍レベルが10以上」が必要。
 「ガレー船建設費用-20%」の効果がある。

**その他の政策 [#c65def59]

1487年9月、ヴェネツィアはテッラ・フェルマ(本土)政策の一環として、
&color(olive,white){''『道路網の整備』''};を決定した。

&color(olive,white){''【全ての道はヴェネツィアに続く】''};

#ref(./148709_道路.JPG,90%)

道路網の整備により、馬車の行き来がしやすくなったことから、
その後各地で交易収入が増加していった。

TIME:"2010-07-24 (土) 23:05:58"

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