*恵まれた男(1444年5月-1446年6月) [#t49513e9]

#contents

**現在進行中のミッション [#n2012c14]

-イタリア本土の領土を拡大!(ヴェローナ攻略)

**アゴスティノ・コンタリーニ [#e33b9915]

1444年5月、ヴェネツィア市民は第67代ヴェネツィア共和国ドージェ(元首)に
「外交官系候補」アゴスティノ・コンタリーニ アルドブランディーニを選出した。

市民はアゴスティノ・コンタリーニの外交官の経歴に注目し、
''『ビザンティン難民』''((≪作者注釈1:ビザンティン難民≫文化関連の政策。ビザンティン帝国が一定の条件を満たして滅亡した場合、1500年以前であれば、「元首外交能力7以上」の「国威30以上」の欧州キリスト教国が、「役人3人」「外交官5人」を消費することで実行可能。一定期間の間「文化値+0.02/年」「技術開発コスト-5%」「国威+5」の効果がある。仮想史的には、難民を受け入れたかったな・・・))を受け入れる外交能力(元首外交能力7以上)を持った人物であることを
期待していたのだが、皆が彼の能力を見誤っていた。
彼の真の持ち味は優れた統率力と戦術に関する豊富な知識、
そして強運の持ち主であることにあった。

&color(olive,white){''【喜んでいいんですよね?】''};

#ref(./144405_恵まれた男.JPG,90%)


**「オスマンの呪縛」からの解放 [#sdaf7223]

1445年10月、オスマン帝国パディシャー(皇帝)ヌマン1世が崩御した。
皇太子のアリー1世が後を継いだが、当分は摂政評議会が政治を指導しなければ
ならなかった。
なにせ、この皇太子は生後2ヶ月の赤子だった。

しかし、これはヴェネツィアにとっては大変な好機であった。
ヌマン1世の崩御により、これまでヴェネツィアに出されていた「警告」が無効となり、
オスマン帝国は新たな「警告」も「宣戦布告」も出すことが
今後15年間もできなくなったのだ((≪作者注釈2:摂政評議会≫君主が成人(=16歳)になるまでは、摂政評議会が国政を取りしきる。摂政評議会は、一定の外交しか選択できない。AI国にもこのルールは適用されると思われ、「警告」も「宣戦布告」も発動されなかった。))。

「全軍をトレヴィザーノに集結!」
すぐさま命令が発せられた。
それでもアテネ方面に展開させていた兵をトレヴィザーノまで移動させるのに2ヶ月を要した。
準備を万端に整え、1446年1月、ヴェネツィアはミラノに宣戦布告した。
世にいう「ヴェローナ征服戦争」である。

本気になったヴェネツィアにとってミラノなど敵ではなかった。
共和国軍は各地で連戦連勝、ミラノ軍を完膚なまでに叩きのめした。
1446年6月、すっかり士気を挫かれたヴェローナ市民は、
共和国軍に開城し、翌日ミラノとの講和が成立した。

&color(olive,white){''【悲願】''};

#ref(./144606_ヴェローナ陥落.JPG,90%)

1399年に第62代ドージェ アントニオ・ヴェニエルが方針を打ち出してから約50年、
ヴェネツィアは一人の「恵まれた男」の出現により、
ここにやっとミッションを達成することができたのであった。
 
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前話「[[No.9 侵略戦争と破門戦争(後編)(1436年10月-1441年1月)]]」にもどる
タイトル「[[アドリア海の女王]]」にもどる
&size(15){次話「[[No.11 テッラ・フェルマー動かぬ地(1446年6月6日-7日)]]」につづく};
&size(15){前話「[[No.9 侵略戦争と破門戦争(後編)(1436年10月-1441年1月)]]」にもどる};
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TIME:"2010-09-04 (土) 16:59:05"

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