[[聖ヨハネ騎士団領AAR]] **仕切り直し [#ief22738] やけに行政官が増えると思って確認したら難易度が簡単になってたので最初からやり直しです。 最初にちゃんと確認しておくべきだった。orz まずは開幕ミッションのMugla征服。多すぎる海軍を解体しつつ進撃。 1357年2月征服完了。 |CENTER:&ref(EU3_1.jpg,nolink);| オスマンの様子を見てみるとブルガリアやアルメニアと戦争中だったのでちょっかい出してみる。 が、アルメニアは数ヵ月後領土を割譲し講和、ブルガリア軍は壊滅状態で翌年には講和。 2プロビ落としていたが全土をオスマン軍が包囲するという事態に、僅かな賠償金を頂き講和となった。 |CENTER:&ref(EU3_2.jpg,nolink);| その後、セルビアやアルメニアと同盟を締結したりミッションをこなしたりしながら1372年までオスマンの影に怯えながら過ごす。 その間の1369年1月、騎士団総長ロジャー2世が亡くなりアントニウス・エマヌエル1世が新総長となった。 |CENTER:&ref(EU3_7.jpg,nolink);| **オスマン包囲網 [#t4f9738a] 1371年8月、同盟国アルメニアから対オスマン防衛戦への参戦要請が来るので受諾。 同盟国セルビアも参戦を受諾、さらにアルメニアの同盟国であるビザンツも参戦する。 これにより、オスマンはバルカンの2帝国と正面でぶつかることになった。 この隙にオスマン影響圏下にあるサルハン征服ミッションも開始する。 1371年12月、サルハン征服完了。 オスマン軍は2帝国との戦いで壊滅、全土を占領されていく。 |CENTER:&ref(EU3_12.jpg,nolink);| |CENTER:画像は間違えてメンテセを属国にした時の物です| 1374年8月、オスマン及びメンテセと講和。 ハミッド及びアンタルヤを獲得、アルメニアも国土を回復させることに成功した。 |CENTER:&ref(EU3_15.jpg,nolink);| |CENTER:再びKNIGHTSの文字を見ることが出来た!| 1375年10月、カラマン併合。 1379年7月、気がつくとビザンツとオスマンが戦争中。オスマンは既に各地を占領されている。 |CENTER:&ref(EU3_17.jpg,nolink);| 1381年4月、民兵法を可決するも数ヵ月後に破棄される。どうやらDaTでは政体が騎士団だと意味無いみたい。 同月、アントニウス・エマヌエル1世逝去。フィリップス1世が総長となる。2代続けて軍人タイプです。 |CENTER:&ref(EU3_18.jpg,nolink);| 1381年5月、ビザンツとオスマンの戦争が終わった所で今度は我々が宣戦。既に虫の息です。 |CENTER:&ref(EU3_21.jpg,nolink);| 1381年6月、国策を採用出来るようになったので軍事演習を選ぶ。これで少しは戦争と反乱軍狩りが楽になると良いなあ。 |CENTER:&ref(EU3_20.jpg,nolink);| 1382年6月、オスマンにハミッドとアンゴラを割譲させ講和。BBRが18と上がってきているので拡張スピードが落ちるかもしれない。 |CENTER:&ref(EU3_22.jpg,nolink);| やり直しになりましたが、なんとか持ち直すことに成功したところで次回[[Hospitaller(2)]]へ TIME:"2014-07-06 (日) 16:54:13"