[[遊牧国家のすすめ―DWティムールで世界征服]]

*遊牧国家のすすめ7 [#ndfe8ca0]
*遊牧国家のすすめ7 [#o6d2afe3]

**雄飛の時 [#pf6f27cd]
**雄飛の時 [#m93d6c57]

1651年
どこにも保障されていないモンゴルに、部族間の不和で宣戦。
イギリスと交戦、マリ沿岸を奪い取る。

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|対英戦は順調に推移。といっても、マリとアゾレス諸島しか見えていないが。|

スイスを属国解除して併合。
二倍の兵力差で押し負けたりする。流石グスタフ式歩兵。

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|これだけの戦力差で負けたりする。流石グスタフ式歩兵。|

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|増援を送り込んでどうにか降伏させる。技術の進みが早い小国相手だと、技術差が洒落にならない。|


1653年
カスティーリャから奪えるだけ奪って和平。
マレー周辺、マリ沿岸、マンスターを奪取した。
3州国フィンランドに中核州が2つある。これはもう戦争しかあるまい。

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|フィンランド侵攻。改宗の手間はあるが、中核州が非常に美味しい。|

1654年
ソンガイ発見、交戦。

1656年
ブリテン領マリが完全に屈服。
するとマリにティムール領グレートブリテンとの表記が……なぜだ。
ハウサと交戦する。
ブリテン領マリが完全に屈服。ハウサと交戦する。
マリにティムール領グレートブリテンとの表記が……なぜだ。

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|ソンガイ(占領済み)とハウサ(未発見)。ティムール領の妙な領土表記は、他の植民地でも発生した。|

マラッカ消滅。ブルネイ(リアウ島にいる)およびマタラムと交戦。
ここへ来て軍の増産が追いつかない。
中東から増援が到着次第、島嶼へと派兵する。
欧州がイスラム化したために、資金的には相当余裕が出来ていた。

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|スマトラ島に肌色と紺色が……これは良い踏み台。|

ポルトガルと交戦。マディラとカナリア諸島をいただく。
この2州は、ティムールが新世界へ羽ばたくための橋頭堡となるだろう。
この2州は、ティムールが新世界へ羽ばたくための、橋頭堡となるだろう。

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|マディラとカナリアへ上陸。さしたる抵抗もなく手に入れた。|

1660年
頻繁に逆上陸を仕掛けてくるようになったので、一旦ポルトガル・カスティーリャと終戦。
次に戦うのは、アフリカ内陸部を制圧してからだろう。

イギリスはまだアゾレスが転向しないので放置。

1662年
統治技術が22に。国策として新世界の探索を取る。
アゾレス諸島の屈服を待ってイギリスと和平し、航路の安全を確保した所で探検家を新世界へ向かわせる。

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|新世界の探索を獲得。治安維持のため、増産した兵は東アジアへとばらまいている。ブルネイ・マタラムは制圧済み。|

1663年
カスティーリャ領ブラジルを発見。
カスティーリャ領ブラジルを発見。沿岸を素早く移動して、次々と%%植民地%%''本国''を見つけていく。
イスラムの学問の拠点を建設。暴動発生率マイナス1。改宗成功率も2.5アップ。

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|ブラジル発見。新世界への偉大なる第一歩。|

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|新世界の様子はこんな感じ。遊牧民の定めとして通行許可が取れないため、これ以上の探索は断念した。|

**その&ruby(うみ){蒼海};を渡れ [#n878e5a1]


1668年
イギリスと交戦開始。カリブ海の島々を狙う。

最初の揚陸戦は結構ぎりぎりの戦い。
敵地へたどり着くまでに耐久が50%を切っていたので、強襲で敵要塞を落としたら即船団を寄港させる。
最初の揚陸戦は結構ぎりぎりの戦い。要塞を落としたら即船団を寄港させる。
大陸間戦争はやはり橋頭堡がないと辛かった。

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|4島へ同時上陸。アンティグアの要塞はレベル2のため、攻略は後回しにした。|

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|要塞を落とした時には、艦船の消耗が50%近かった。まさに片道切符。もし攻撃に失敗していたら、貿易風の影響で欧州へは帰れたかどうか。|

1670年
イェムトランドへ国の焦点を移動。

1672年
英領南アメリカへ攻撃開始。植民地パトスへ上陸すると、隣接する首都バンダ・オリエンタルへ攻撃をかける。

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|バンダ・オリエンタルの戦い。イギリスには広大な後背地があるらしい。各個撃破されないよう、慎重に探索を行う。|

1674年
英領パナマのモロン屈服。おかげでグアンダナモに入植中のコルシカと接触できた。
入植が始まっていたマンハッタン・ウナミも奪ってやると、イギリスは完全に沈黙した。

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|コルシカ発見。イギリスなど大国に植民地をばらまかれるのは鬱陶しいが、島国だったら大歓迎だ。|

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|当然本国を落としにかかる。英領バレアレス諸島も包囲中だ。|

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|英領南アメリカの占領は順調に推移。|

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|北米の植民地もいただいた。もうイギリスと和平する必要なんてない。|

1677年
ミルザ2世崩御。
次代はシャー=ルフ2世(7/6/5)で、なんと70歳近い年で即位。
後継者は20代だし、反乱鎮圧に使ってしまおうか……とは思うが、一応継承争いが終わるまでは待っておく。
どのみちすぐに崩御しそうだし。

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|シャー=ルフ2世即位。即座に後継者が出てくれて助かった。|

中国では大反乱が起きているが……
''こんなこともあろうかと''東アジアのほとんどの州に軍を置いておいたので、鎮圧に手間取ることはないだろう。
欧州の富は偉大だったりする。

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|これだけ兵を集めていれば、どんな反乱も数ヶ月で鎮圧できる。おかげで新世界遠征軍が慢性的な人員不足。|

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|さりげなく侵攻していたアフリカ方面。反乱軍に騎兵がいないので、それなりに楽。|

今回の反乱鎮圧では、厭戦が3近くまで上昇した。
激しい戦闘や損耗はないのだが、あまりに反乱の数が多く、兵士の損害の総数はひどいことになっているらしい。
そろそろ遊牧国家の限界かもしれない。

1679年
継承権争い終了。カネム・ボルヌと交戦。
ロレーヌ・マインツと属国解除、交戦。

1681年
次の目標はポルトガル。カスティーリャの方が強いからと日和ったわけではない。
ポルトガル領は中央アメリカとナイジェリア沿岸なのに対して、カスティーリャ領はコンゴ・ブラジルと旧クリーク領だ。
カスティーリャ領に比べてポルトガル領は近くて維持しやすい上、カスティーリャ領を取るとチェロキーと接してしまう。
というわけでポルトガルに侵攻開始。

中央アメリカ南部では途中まで敵兵の姿すら見えず、難なく征服行を続けた。
しかしアフリカでは補給の途絶から恐ろしい消耗に襲われる。

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|中央アメリカ方面。首都周辺だというのに敵兵の姿がない。|

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|一方のナイジェリア方面。マリから陸路で来たのだが、激しい損耗に襲われる。大人しく沿岸まで歩けばよかった。|

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|アメリカの占領を進めていると、どこから来たのかポルトガル軍がホンジュラスに。|

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|あちらがのんびりと包囲してる間に、体制を整えて攻撃する。地形効果もあってなかなかに辛い。|

1682年
象牙海岸でナポリの残党発見。

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|アフリカに残っていたナポリ。可哀想なのでとどめをさしてやる。|

懲りずにアメリカ東海岸に入植するイギリス。植民地維持が難しいので、丁寧に潰してやる。

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|財政難で植民地成長マイナスなのに何をやっているんだか。潰しても潰しても増えるので、しまいには放置へ移行した。どうせ都市にまで成長しないし。|

1684年
予想通りに君主が崩御。
新君主はアフマド2世(6/3/8)。

インドシナの大半が中核化したので多少はマシだが、こうも連続だと気が滅入る。
この頃までに、ポルトガルはカリブ海の島々を除いて制圧していたので後顧の憂いはない。

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|アフマド2世即位。背景はポルトガルの断末魔。|

1686年
継承争い終了。勢いに任せてマヤを侵略する。

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|マヤ侵略。1州国ながらも生き残っていた。|

1687年
教皇領(トリアー)を属国解除。旧世界の大半がイスラム化した今、欧州にカトリックの教皇は必要あるまい。

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|トリアー侵略。こんな小国の軍でも、2個軍団(36個連隊)をぶつけないと倒せなかったりする。もし欧州の属国群がこぞって反旗を翻したら、ティムールの危機かもしれない。|

1688年
ヒューロン・チェロキー発見。ポルトガルの北米植民地が都市化しており、焼き払えなかったのだ。両者に敗北を認めさせて和平。原住民はしばらく保護する方針。

1691年
ブランデンブルグ・ルクセンブルグを相次いで属国解除。
残る属国はポロツクのみ。

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|ブランデンブルグ・ルクセンブルグ侵攻。下手をすればこちらの軍が消滅しかねないので、掃討戦でも手を抜けない。|

**The Longest Day [#c1f46afe]

1692年
カスティーリャと交戦。
北米・南米の大陸部へと上陸を仕掛ける。
北米・南米は無人だった。主力はどうやらコンゴにいるらしい。

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|北米はセミノールへ上陸。チェロキーとの前線だというのに、ここは無人だった。|

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|南米はグラオ・パラでも同じ状況。カスティーリャは本国に戦力を集中しているらしい。|

コンゴ上陸戦。18個連隊相手に、3倍の兵力を投入して惨敗するティムール。
輸送船が60隻しかないのが辛い。

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|太平洋艦隊(ブルネイ攻撃に利用した奴)を使っての威力偵察。この部隊はロアンゴを占領した後、カスティーリャの18個連隊に殲滅される。|

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|大西洋艦隊がカスティーリャ海軍に捕まったおかげで、コンゴ征服は作戦の遅延を余儀なくされる。この物量差で負けるとは……キャラックが1隻鹵獲された。|


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|威力偵察部隊を収容しようと2個軍団で強襲上陸を行うも、これも失敗。おまけに先遣部隊はこの直前に消滅した。|

投入した3個軍団中、2個軍団は幸いにもティムール領ナイジェリアへと転進できた。
現在の兵力で正面からコンゴ攻略を行うのは厳しい。
兵力の回復を待ち、アフリカに増援を送り込みつつ、カリブ海など他方面を切り取って経済封鎖を行う。

1695年
そして準備が調った。ロアンゴへ渾身の強襲上陸を決行する。損耗度外視で、陸路からも兵を送り込んだ。
これで駄目なら打つ手は残されていない。

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|参加兵力は脅威の99個連隊。画面から見切れているが、カメルーンの北にも18個連隊が待機中。|

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|ロアンゴを強襲で落とし、マヨンベへと進軍する。カスティーリャは軍を24個連隊まで増強していた。|

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|すさまじい悪条件の中、ティムール軍は敢闘し……|

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|&ref(Y8SS39.jpg);|

|突撃・粉砕・勝利! 即座に部隊をばらけさせる。もうこんな戦い方はしたくない。著者の厭戦感情はとっくにゼロだ。|

このコンゴ攻略戦とオマーンから来た謎の狂信者軍団のおかげで厭戦はうなぎ登り。
過去最大の&color(red){''4.2''};を記録した。

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|恐ろしい数の狂信者軍団。この方面に兵はほとんど居ない……エジプトとペルシャから持ってくる。砂漠で消耗した所をメッカまで追撃してようやく殲滅した。|

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|すさまじい厭戦感情。遊牧国家のこれは、封建君主制国家の厭戦10台に匹敵する。|

1496年
アクィレイアが教皇領に変態。南アメリカにパーパル・アクィレイアの文字が……。

1697年
東アジア一帯の中核化が終わった。同地域に駐屯する部隊を、損耗に注意しながら中央アジアへと移動させる。
いよいよ遊牧民国家を狩り取る時が来た。
いつの間にかシビーリが崩壊して、キプチャクに反乱・併合されている。

シエンクワーンに国の焦点を移動。

1699年
チェロキー・ヒューロンと交戦。
ヒューロンをサスケハナで抑えつつ、チェロキー攻略を目指す。

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|チェロキー制圧中。北東にはお嬢の植民地が……もちろんマイナス成長。海軍維持費で破産したり、愉快な国である。|

1700年
残り32カ国、120年。
残る大国はインカ・ヒューロン・キプチャクだけとなった。
次の50年でこの3カ国+各遊牧国家を併合し、イギリス・カスティーリャ・ポルトガルとの接点を奪い取る。
その上で出来るだけ早く遊牧国家から脱し、各島国・小国の併合に取りかかる。
一番の難事業は対日本となりそうだ。統一日本になってくれればやりやすかったものを……

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TIME:"2012-04-04 (水) 17:01:32"

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