[[遊牧国家のすすめ―DWティムールで世界征服]]

*遊牧国家のすすめ2 継承、そして侵略へ [#f2e52cb3]

**オペレーション・ジハード [#p96d5d5f]

資金を貯めつつ内政に励む。特にエジプトからエチオピアにかけて要塞を建設していく。

1430年
和平が切れたのでマムルーク朝と交戦。せっかくなので併合してしまう。
というのも、その向こう側のチュニジアがカスティーリャによって、カソリックに染められていくのが気にくわない。
植民がおぼつかない程度に弱体化させてやろう。

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|北アフリカがカトリックに侵蝕されつつある。宗教狂いからアフリカの緑を守ろう!|

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1439年
カスティーリャと接触。あちらの兵数は3万だ。しかもアラゴン・ナバラと戦争中。十分いける。
モロッコとアルジェは死守してやりたい。
また、継承争いに備えて軍備を大幅に増強する。
同時期、カラ・コユンルに中核要求二連発。うち一つはCOTのあるアストラハン。
カスティーリャを叩いたら掻っ攫いに行きたい。

1440年
アルジェ・モロッコがカスティーリャに宣戦。この判断は間違っていなかったようだ。
だが、すぐさま和平が結ばれたらしい。お前ら、何がしたかったんだ……

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|カファを奪いに来るカスティーリャ。陸路でどこかへ向かっていたので、せっかくだから反乱軍と戦ってもらう。上陸戦AIがちょっとはマシになったと思ったら、結局これだ。|


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|チュニジアで打ち負かしたカスティーリャ軍を追っていたら、モロッコ近くまで来てしまった。損耗で兵力が半分以下になっているが、今更引けるわけがない。|


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1445年
オスマンに隙を突かれて進入されるも、野戦で勝利して和平。
接したアルジェにも敗北を認めさせて和平。
ポルトガルとカスティーリャがなぜかアルジェ・モロッコ・オスマンに宣戦している。
しかもブルゴーニュのおまけ付き。
カスティーリャ……そんな余裕はないだろうに。

ところで遊牧国家でプレイしていると、急にBBRが跳ね上がることがあるが、これは何だろう。
なぜかBBRが24になっていた。前回も発生したので、詳細が気になる所。
和戦に伴う物とは考えにくく、少なくとも属国化のものではない。

1447年
モロッコに敗北を認めさせて和平。
北アフリカへの拡大はちょっと強引な所があるので、スンニ派国家からは領土を奪わない。
むしろキリスト教になってる州を売りつけたい気分だ。
もちろん前回の轍は踏まないよう、いつ継承権争いが起きても良いように軍を配置している。
デリー・カイロ・アレクサンドリア等基本税の多い州には、常に軍を駐留させたい。

1449年
北アフリカを制圧、この地の信仰は守られた。
モロッコで新たな火種が発生している気もするが、気にしない。
そろそろ代替わりの時期なのだが……まだかな?
東欧ではリトアニアとオスマンが大暴れ。
オスマンには頑張って欲しいけど……リトアニアやばいんじゃないの、これ?
ただし総兵力は5000だった。何があった。

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|北アフリカからカスティーリャを追い出したと思ったら、なぜかモロッコが黄色く染まっていた。|

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|東欧の勢力図。リトアニアとオスマンが大きく立ちふさがっている。あとBBRがなぜか黄色い。何も悪いことしてないのになぜ?|

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**ジャガーノートの紅い道 [#w19d6946]

1450年5月
代替わりを控えてヴィジャヤナガル発見。総兵力4万と、大きく育っている。
適当にあしらって和平を結んでおこう。

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|南インドを制覇し、肥大化したウィジャヤナガル。今にもヒンドゥスタン化しそうだ。させないけど。|


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|ヴィジャヤナガル領マールワで敵先鋒を殲滅。だが、次の瞬間にはティムール領へと叩き返される。それにしてもSSを取ったはいいが、肝心のプロヴィンスがポップアップで隠れてしまっている。これでは何も考えてないことが丸わかりじゃないか。ちなみにカンデシュの一つ北にあたる。|


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同10月6日、スルタン・死去。次代はフサイン一世(5/4/5)
継承して早々に失策してくれた。安定度1低下。
反乱発生は北インド・小アジア・アラビア・北アフリカ。
このタイミングは運がないにもほどがある。しょうがない、ヴィジャヤナガル正規軍にも反乱鎮圧を手伝って貰おう。

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|謀ったようなタイミング。暗殺でもされたんじゃないかってくらいに。すぐさま軍を転進させて北からの暴徒鎮圧を目指す。|

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一時期アラビア半島がストライプに彩られるものの、継承争いが終わる1452年10月までには余裕を持って鎮圧した。
ヴィジャヤナガルも国境線にまで押し返した。
次は……アルジェが黄色に染まっている。和平が切れたらまたカスティーリャ戦か……

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|今回被害が大きかったのは中東付近。中核化にはあと数年かかるので、独立を許すわけにはいかない。|

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1453年
ヴィジャヤナガルへと侵攻。厭戦?そんなの関係ねぇ。
というか、むしろ戦った方が下がる。これ絶対遊牧民とかそういう問題じゃないよね。
カスティーリャと開戦。総兵力9000らしい。北アフリカの反乱でもあったのかな?
しばらく継承の心配もないので、遠慮無く奪いに行く。

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|国境を越えてから、わずか3年で全土を制圧した。もっとも、国境付近で主力を潰したので、後は無人の野を征くだけだったのだが。|

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|北アフリカ侵攻。カスティーリャはアラゴンを呑み込みつつあるので、今が最後のチャンスかもしれない。|

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1454年
スワヒリ発見。今度は容赦なく食い破る。
初期の獲得地域が中核化してきたので、強気に出る。
ただしムガル化は当分先送り。

1455年
フランスがオーストリアと同君連合を成立させた。
恐ろしい知らせかと思いきや、オーストリアが弱体化しておりほっと一息。

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|いつ見てもこの種のポップアップにはヒヤヒヤさせられる。背後ではブルゴーニュが青く染まり、ボヘミアも肥大化。イギリスが成立しかけている。|

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1456年
オリッサと接触。鎧袖一触で蹴散らした。
マニプールの同君連合下位になっていたので、敗北だけ認めさせて和平。
向こう数十年は旧ヴィジャヤナガルの維持と改宗で手一杯と見た。
ヴィジャヤナガル消滅も間近なので、ナグプールに国の焦点を移動させて改宗の助けとする。
黒海沿岸が中核化、キャラックの作成を開始。

1458年
モロッコと接触。カスティーリャに渡る前にいただいておく。

1459年
ポルトガル発見。タンジールを奪い取る。

1460年
オスマンと交戦。どうやらカスティーリャに海軍を根こそぎ沈められたらしい。
いよいよヨーロッパに侵攻する時が来た。
ブルサでオスマンの全軍を撃退した直後に海峡を封鎖、行き場を失ったオスマン軍は降伏した。

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|海峡を封鎖しつつオスマンへ雪崩れ込む。海峡封鎖→移動キャンセルのコンボはプレイヤーチートの疑いが濃厚。|

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1463年
ついにタンジールが屈服。これで北アフリカは全てティムールの支配下に置かれた。
オスマンも主要部を占領し終わり、後は州が転がり込むのを待つだけだ。
マリ遠征を行いたいが、遊牧民は植民できませんとのこと。しょんぼり。
大人しくカステラが道を繋いでくれるのを待つ。

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|レ・コンキスタ完了! 大航海時代まで、背後を脅かされることはなくなった。|

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1465年
上手い具合にオスマンを喰えたので和平。
我々のためにバルカンを改宗しておいてくれるとは、良い国だ。
スワヒリをムタパとの接点だけ残して和平。敗北を認めさせる。
旧スワヒリ領に要塞を築くための時間稼ぎだ。
いつの間にかオマーンとナジュドがスンニ派に改宗している。後エチオピアがアニミズムに。
何があったのだろうか……

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|緑に染まるバルカン。改宗の手間がないのは非常に楽だった。ティムール領の改宗も進み、宣教師が余り始めている。|



[[遊牧国家のすすめ―DWティムールで世界征服]]
[[遊牧国家のすすめ3]]

TIME:"2012-03-19 (月) 22:29:36"

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