[[遊牧国家のすすめ―DWティムールで世界征服]] *遊牧国家のすすめ1 第一次侵略 [#ae8e792a] **真のスルタンはただ一人 [#pefb6ab0] というわけでリトライ。 キプチャクとの同君も望み薄、海軍が作れずヨーロッパに進出できず。 さらに先んじてインドを取ると継承者争いで崩壊する……と、序盤ティムールの欠点が大分明らかになった。 当初の目標であった世界征服はなかなか遠そうだ。 だが、ちょっと待って欲しい。よくよく考えたらインドのヒンズー部分は、聖戦CBで切り取れないだろうか? それならばムガール変態した後にゆっくりと、しかも継承反乱なしに征服できる。 ヨーロッパのキリスト教部分も同様だ。 よって、インドはムガール建国に必要なデリー・マハラシュトラで進軍を止めることとする。 そして聖戦CBの使えない、同宗教のスンニ派を優先して狩っていく。 スルタンは世界にただ一人で十分なのだ。 即ち、アフリカ方面への進出である。マレーは……マジャパピトの健闘を祈る。 あと部族国家はもう信用しない。 1400年 ティムール死去。やけに早い。非中核州を切り取る前だったので、反乱発生は一カ所のみ。 初動は完璧にこなした後だったし、ある意味幸運かもしれない。 1401年 シンド・カシミールに朝貢を要求して和平。 デリー方面に全力を向けたいのと、異教プロビをなるべく保持したくない。 カッチのCOTも諦めた。シンド君、頑張って改宗してくれたまへ。 |&ref(Y2SS8.jpg);| |チャンディガル(図中央)まで侵攻するも、オイラトに負けて追い回されるデリー軍を発見。手を下すまでもないと判断したので、一足先にカシミールへ侵攻する。| 西方ではグルジア・ジャライル朝を制圧。 継承争いで小アジアの小国を併呑できずにいたら、オスマンにカラマンを食べられた。 今回のオスマンは何か元気。 |&ref(Y2SS2.jpg);| |グルジアは4州貰えそうだ。このままいけばジェノバのカファも狙える。| 1403年 デリー全土制圧。 ラージプートと接触。早速ムガール化必要州を奪いに行く。 |&ref(Y2SS1.jpg);||&ref(Y2SS9a.jpg);| |デリー侵攻。ここまでは定石通り。南部の二州は壁として残した。| |&ref(Y2SS10.jpg);| |主力を潰しで全土包囲、これはデリーもラージプートも変わらない。欲しい州だけ転がり込むよう、こまめに進捗状況を確認してやる。| |主力を潰して全土包囲、これはデリーもラージプートも変わらない。欲しい州だけ転がり込むよう、こまめに進捗状況を確認してやる。| 1405年 必要州を取ったので、デリーに朝貢を要求して和平。 1406年 ビハール・ネパール・ラージプートに朝貢を要求して和平。 国策を軍事演習に切り替えた。 この時点でインド方面の敵が居なくなった。ヴィジャヤナガルの動きも鈍い。 反乱鎮圧部隊を残して兵を西に回す。 |&ref(Y2SS4.jpg);| |インド方面。隣接した国家には全て朝貢を要求した。朝貢は相手に切られない限り停戦が続くので、扱いとしてはBBRの上がらない属国化か。| 1407年 ナジュドのスンニ派部分をむしり取った後、朝貢を要求して和平。 ヒジャーズと接触し、即座にメッカへと雪崩れ込む。 |&ref(Y2SS3.jpg);| |恒例のアルジャウフ残し。隣国と書いて宣戦布告と読む遊牧国家には、必須と言って良い小技だろう。消滅するはずの国家を延命させているのだ。良心も痛まない。| 1417年 オスマンが鬱陶しくなってきたのでアジアから追い出す事に決定。 小アジアで激戦を繰り広げる。 兵力はこちらが少し勝っている程度だが、小部隊を囮にして防衛戦に持ち込めばまず負けはない。 小アジアには地形効果の高い州が多いのだ。 敗走するオスマン軍を、機動6の鬼将軍で追い回す。 |&ref(Y2SS5.jpg);| |オスマン侵攻。いつ見ても恐ろしい地形効果だと思う。| 1423年 オスマンと和平。ビチュニア以外の小アジアをいただいた。 完全に海の向こうに追いやると、永遠に和平できなくなってしまう。 海峡の向こうでうろちょろされる上、こちらには黒海・地中海沿岸に中核州がないので、艦隊の編制も不可能。 あちらに敗北を認めさせるには、どうしても陸で叩きたいのだ。 1424年 キプチャクがリトアニアとオスマンに押されまくっている。 緩衝地帯が欲しいので、キプチャクから独立したクリミアを属国に。 来年のマムルーク戦に向けて軍を増強する。 1425年 マムルーク朝と開戦。 この頃、インド以外の州を改宗完了。レベル5の神学者を雇ったせいか、やけに調子が良い。 ジャイプールに国の焦点を移してインド改宗を進める。 |&ref(Y2SS6.jpg);| |マムルーク朝の主力を殲滅。これ以後、一切の抵抗がなくなった。| 1429年 イェルサレム・カイロ・アレクサンドリア征服。 過剰拡大が発効。過剰拡大は征服速度の良い目安になる。内政5の君主だから中核州が66%か。 これ以上の拡張は危険なので、マムルーク朝を下したら、初期獲得領に中核の付き始める1450年頃まで内政に励むとしよう。 西欧化が可能になるまでは、こうやって遊牧国家のまま倍々ゲームで征服していくのがいいのかもしれない。 オマーンに朝貢を要求して和平。 |&ref(Y2SS7.jpg);| |カイロ陥落と同時に過剰拡大が発効。内政期に入るので、守りやすい国境を吟味する。| 1430年 マムルーク朝に朝貢を要求して和平。 またしてもカスティーリャへの壁となってもらう。 うーん、アラゴン飲み込む前に叩いてしまった方が良いのかな? |&ref(Y2SS12.jpg);| |イエメンの防衛も考えて、結局アダルまで飲み込むことにした。海峡を挟んで延々にらみ合いを続けるのは辛い。主に反乱鎮圧の関係で。| スンニ派の領土を優先していただいたせいか、今回はやけに金の回りが良い。 体感としてはインド制圧・中東未制圧時に比べて、国境にばらまける兵の数が五割増しくらいにはなっている。 国庫に余裕があることも考えると、実質の国力は二倍ほどか。インド制圧がどれだけ重荷になっていたかがよく分かる。 税収0の州がザラだったからなあ…… [[遊牧国家のすすめ―DWティムールで世界征服]] [[遊牧国家のすすめ2]] TIME:"2012-03-19 (月) 22:01:47"