[[フランク王国再興]]

前回までのあらすじ

イングランドのフィリピン殖民を看過しないフランスは、
植民地主義を名目に宣戦布告。

だが、フランス主力の戦闘用ガレオン船30隻は、ゴールドコーストにおいて撃沈された。
制海権を握られてピンチ!いったいどうなる!?

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まぁ、うちの属国に本国が蹂躙されて、制海権もなにもないのだが。
前にもこんな光景みたことある。

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同盟のマクデブルクは属国化。悪評10.3

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この戦いのさなか、ヴェネツィアが独立。
どうやらアクイレイアとポルトガルが戦争して、その結果らしい。
食指が動く。

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いっぽうそのころ、フィリピン近海では、うちの輸送船団が
たった3隻のガレオン船に負けていた。

おいおい、こんなに弱いか?うちの海軍・・・

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1650年9月

なにはともあれ、目的の植民地の破壊は果たしたので、和平。
金を奪って、本土を少し分割。今回はこれで勘弁してやろう。

海軍の負けっぷりに、プレイヤーはけっこう落ち込んでいるのである。

**1651年6月、悪評8.6、対ポルトガル、ヴェネツィア、アクイレイア、ハノーヴァー侵攻 [#nbba3834]

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悪評も厭戦も冷めやらぬ1年後。
ポルトガルのマダガスカル植民地が都市化しかけているので、戦争せざるを得ない。

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そのポルトガルは、先ほど独立したヴェネツィアと同盟している。
ヴェネツィアのCOTはどうしても欲しいトコ。

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そのヴェネツィアは、アクイレイアが保障をかけていた、再征服する気だったのだろう。
この際、こいつは殴っておくしかあるまい。

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帝国の一員であるアクイレイアを殴るということは、皇帝が敵に回るということである。
現皇帝のハノーヴァーには・・・あれ、同盟国があんまし居ない。
ついでにこいつにも宣戦布告しとくか。

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かくして、4ヶ国同時に宣戦布告するに至ったわけである。
まぁ、意外と敵は多くない、大丈夫。

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マダガスカル沿岸で、輸送船団だけでポルトガル艦隊を撃退。
海軍への不信感が多少やわらいだ、イングランドの海軍がミョーに強いだけだったみたい。

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北ドイツでは、皇帝の大軍にリューネブルクが包囲されていたが、当面大丈夫。
北ドイツでは、皇帝の大軍にラウエンブルクが包囲されていたが、当面大丈夫。
属国化したマクデブルク含めて、防衛施設3がある。前線基地としてがんばってもらおう。

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その隙に、ヴェネツィアから攻略、併合。悪評13.5。
割とここの征服は、ゲーム開始時からの悲願だったからうれしい。

ただ、もう意外と悪評あるなぁ、どうしよう。

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開戦から4ヶ月。
戦況はというと、どこももう継戦能力0、まだ何もしてないのに。
ポルトガル-アクイレイア戦争が泥沼だったようで、もうすでに厭戦まみれ。

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1652年1月
ポルトガルから5領奪って和平、悪評18.5。
北米がようやく清潔になったのと、地中海と黒海の沿岸をちこっと。

まだ海外領土を持っているので、もう2~3回叩きたいが、今回はここまで。

時は流れて1年後の1652年2月

ついに前線基地を陥落させた帝国軍は、フランス本土へ侵攻。
それを国王、フランソワ・ド・ヌフヴィルが率いる3個師団が迎撃。

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くっそ弱い。
参加兵力は54,000対35,000。損失は16,000対11,000。
かつての陸軍最強フランスの姿は見る影も無い。

とはいえ、引かせたのだから勝利は勝利、戦いは数なのだよ。
・・・早くこの元首死なねぇかな・・・。

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1653年5月

手薄になった同盟国ホルシュタインを突撃で落とし、改宗させて和平。
厭戦が溜まる・・・

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そして、皇帝と屈辱の痛み分け和平。

現時点で悪評15.4。ポルトガル領の割譲と植民地の破壊で、思ったより悪評があった・・・

しかも、外交3の元首が悪評減らせないでいるので、開戦から2年経ってこの数字。
しかも、外交3の元首が、悪評減らせないでいるので、開戦から2年経ってこの数字。
明らかに計算ミス、これならば再征服で開戦しとけばよかった・・・ヘタクソである。

長引かせて悪評下げて、1領でも割譲させる手もあったが・・・もうこっちも厭戦がひどい。
今回はミスを認めてやろう。

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さらに半年後の1654年2月
アクイレイアから4領奪って、悪評22.0、リミットいっぱい。

アクイレイアは本土の主要4領を奪われて、致命的な致命傷を負うことになった。

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だがフランス側の傷も深く、厭戦14.5で、やむなく「コメディア・デラルテ」で凌ぐ始末。
それを見たイスラム連中が策動する。

大国フランスは、いまだ困難の時期のさなかにあった。

続く

TIME:"2014-07-14 (月) 01:35:31"

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