[[フランク王国再興]] 前回までのあらすじ イングランドのフィリピン殖民を看過しないフランスは、 植民地主義を名目に宣戦布告。 だが、フランス主力の戦闘用ガレオン船30隻は、ゴールドコーストにおいて撃沈された。 制海権を握られてピンチ!いったいどうなる!? |CENTER:&ref(pist057.jpg,nolink);| まぁ、うちの属国に本国が蹂躙されて、制海権もなにもないのだが。 前にもこんな光景みたことある。 |CENTER:&ref(pist058.jpg,nolink);| 同盟のマクデブルクは属国化。悪評10.3 |CENTER:&ref(pist059.jpg,nolink);| この戦いのさなか、ヴェネツィアが独立。 どうやらアクイレイアとポルトガルが戦争して、その結果らしい。 食指が動く。 |CENTER:&ref(pist061.jpg,nolink);| いっぽうそのころ、フィリピン近海では、うちの輸送船団が たった3隻のガレオン船に負けていた。 おいおい、こんなに弱いか?うちの海軍・・・ |CENTER:&ref(pist062.jpg,nolink);| 1650年9月 なにはともあれ、目的の植民地の破壊は果たしたので、和平。 金を奪って、本土を少し分割。今回はこれで勘弁してやろう。 海軍の負けっぷりに、プレイヤーはけっこう落ち込んでいるのである。 **1651年6月、悪評8.6、対ポルトガル、ヴェネツィア、アクイレイア、ハノーヴァー侵攻 [#nbba3834] |CENTER:&ref(pist064.jpg,nolink);| 悪評も厭戦も冷めやらぬ1年後。 ポルトガルのマダガスカル植民地が都市化しかけているので、戦争せざるを得ない。 |CENTER:&ref(pist065.jpg,nolink);| そのポルトガルは、先ほど独立したヴェネツィアと同盟している。 ヴェネツィアのCOTはどうしても欲しいトコ。 |CENTER:&ref(pist066.jpg,nolink);| そのヴェネツィアは、アクイレイアが保障をかけていた、再征服する気だったのだろう。 この際、こいつは殴っておくしかあるまい。 |CENTER:&ref(pist067.jpg,nolink);| 帝国の一員であるアクイレイアを殴るということは、皇帝が敵に回るということである。 現皇帝のハノーヴァーには・・・あれ、同盟国があんまし居ない。 ついでにこいつにも宣戦布告しとくか。 |CENTER:&ref(pist069.jpg,nolink);| かくして、4ヶ国同時に宣戦布告するに至ったわけである。 まぁ、意外と敵は多くない、大丈夫。 |CENTER:&ref(pist072.jpg,nolink);| マダガスカル沿岸で、輸送船団だけでポルトガル艦隊を撃退。 海軍への不信感が多少やわらいだ、イングランドの海軍がミョーに強いだけだったみたい。 |CENTER:&ref(pist073.jpg,nolink);| 北ドイツでは、皇帝の大軍にリューネブルクが包囲されていたが、当面大丈夫。 北ドイツでは、皇帝の大軍にラウエンブルクが包囲されていたが、当面大丈夫。 属国化したマクデブルク含めて、防衛施設3がある。前線基地としてがんばってもらおう。 |CENTER:&ref(pist074.jpg,nolink);| その隙に、ヴェネツィアから攻略、併合。悪評13.5。 割とここの征服は、ゲーム開始時からの悲願だったからうれしい。 ただ、もう意外と悪評あるなぁ、どうしよう。 |CENTER:&ref(pist077.jpg,nolink);| 開戦から4ヶ月。 戦況はというと、どこももう継戦能力0、まだ何もしてないのに。 ポルトガル-アクイレイア戦争が泥沼だったようで、もうすでに厭戦まみれ。 |CENTER:&ref(pist078.jpg,nolink);| 1652年1月 ポルトガルから5領奪って和平、悪評18.5。 北米がようやく清潔になったのと、地中海と黒海の沿岸をちこっと。 まだ海外領土を持っているので、もう2~3回叩きたいが、今回はここまで。 時は流れて1年後の1652年2月 ついに前線基地を陥落させた帝国軍は、フランス本土へ侵攻。 それを国王、フランソワ・ド・ヌフヴィルが率いる3個師団が迎撃。 |CENTER:&ref(pist082.jpg,nolink);| くっそ弱い。 参加兵力は54,000対35,000。損失は16,000対11,000。 かつての陸軍最強フランスの姿は見る影も無い。 とはいえ、引かせたのだから勝利は勝利、戦いは数なのだよ。 ・・・早くこの元首死なねぇかな・・・。 |CENTER:&ref(pist083.jpg,nolink);| 1653年5月 手薄になった同盟国ホルシュタインを突撃で落とし、改宗させて和平。 厭戦が溜まる・・・ |CENTER:&ref(pist084.jpg,nolink);| そして、皇帝と屈辱の痛み分け和平。 現時点で悪評15.4。ポルトガル領の割譲と植民地の破壊で、思ったより悪評があった・・・ しかも、外交3の元首が悪評減らせないでいるので、開戦から2年経ってこの数字。 しかも、外交3の元首が、悪評減らせないでいるので、開戦から2年経ってこの数字。 明らかに計算ミス、これならば再征服で開戦しとけばよかった・・・ヘタクソである。 長引かせて悪評下げて、1領でも割譲させる手もあったが・・・もうこっちも厭戦がひどい。 今回はミスを認めてやろう。 |CENTER:&ref(pist085.jpg,nolink);| さらに半年後の1654年2月 アクイレイアから4領奪って、悪評22.0、リミットいっぱい。 アクイレイアは本土の主要4領を奪われて、致命的な致命傷を負うことになった。 |CENTER:&ref(pist086.jpg,nolink);| |CENTER:&ref(pist089.jpg,nolink);| だがフランス側の傷も深く、厭戦14.5で、やむなく「コメディア・デラルテ」で凌ぐ始末。 それを見たイスラム連中が策動する。 大国フランスは、いまだ困難の時期のさなかにあった。 続く TIME:"2014-07-14 (月) 01:35:31"