[[海を渡る大名(9)]] *ビコルカバディ定家列伝 [#v8c85b93] >橘定家は橘宗家の次男として生まれたが、将軍家のしきたりに嫌気がさし、いつも脱走ばかりしていた。 定家は自由を求める男で、そのような仕来たりや掟などは定家を苦しめるものでしかなかった。 親もほとほと困り果て、元に置いておく事を放棄し、分家に養子として出されたのだった。 >退屈な日々を過ごしていたある日、九州にカトリックなる宗教が伝播してきたことを知る定家。 定家は宣教師とも呼べぬ狂信者に接触を図り、海を越えた世界のことを聞いた。 自由を求める定家にとっては挑戦と冒険と未知なることに興味を持ち、 定家はまだ見ぬ土地に心を躍らせ夢に打ち震えたのは当然のことだったと言える。 定家は若くして誓うのだ。将来、この海を越えるのだと。 >数年後、我慢が出来なくなった定家は家臣たちの目を盗み、入植者達の船に乗り込む。 本来ならば露見し、失敗してしまいそうなものだが、分家の養子であり放置されていたこと。 橘氏族がカトリックに改宗したてで、国内の神道勢力を押さえつけるために力を裂いていたこと。 定家自身が才能に優れ、追っ手を上手く撒くことに成功したこと。 何より、入植者達がふとしたことで定家に気を許し同行を拒まなかったこと。 などにより、定家は入植者としてフィリピンの地に降り立つことに成功してしまう。 >そこでビコル族の女性に一目惚れ、都市を作る傍ら結婚までしてしまうのであった。 その際、橘の氏を捨て、土地と先住民から与えられた名を組み合わせて「ビコル・カバディ定家」と名乗ることになった。 >このまま何もなければ仲良くビコル族の下で過ごしたのであろう。 あるいは船に乗って新世界へ出かける一人の冒険者として名を馳せる程度だったのであろう。 >しかし、ある年、橘宗家が断絶してしまうことになった。後継者たる宗家の男子がいないのだ。 遠縁には橘氏族の者はいる。ただし、大名同士で婚姻関係を結んでいた為、他大名の血縁が強い。 このままだと他大名に将軍を乗っ取られるようなものだ。 家臣たちはすったもんだの末、養子に出した定家を見つけ出した。 >宗家の血を引く定家だったが、すでに改名済みであった。 家臣たちは元の橘氏に戻ることを懇願する。 しかし、定家は先住民達の友好の名であり、妻の性を捨てるわけにはいかないと 「ビコルカバディ定家」の名のまま将軍位についた。 >無論反対するものも多かったが、定家は優秀であった。(能力:7-7-8だしね!) 瞬く間に反対勢力を抑え付け将軍の座に正式に就任したが、氏族内には露骨に不満を見せるものも少なくなかった(正当性20) >数奇な運命をだどり、将軍ビコルカバディ定家の列伝は今また再び始まるのであった。 という妄想の元、将軍ビコル・カバディ定家は生まれたのだと脳内保管することにした。 ってかどんな脳内保管しても無理が出るので無茶言うなし。私頑張って保管した! ちなみにフィリピンの先住民は黄色人種なのでそこまで日本人と変わらないはず。 ちなみにビコルカバディ家になった原因は当然ながら後継者がいなかったことである。 後継者がいない場合、「家」は多くの場合変化してしまう。 避けるためには後継者を絶対確保していくしかないだろう。 **海を越える [#vecbd786] 1698年、まず、ビコルカバディ定家は司法制度法の可決と植民地の拡大を実行。 これは日本の土地を越えて見てきた定家らしい政策といえるだろう。 1701年、バンテン、つまりジャワ島西端に交易中心地を作る。 |&ref(tatibana66.jpg);| |重商主義MAXなのでCOTは持っておきたい| こちらはマラッカの交易プロヴィンスを掠め取るために作成。 1705年、ハワイに入植者を送る。海を渡っている最中の橘の姿だ。 |&ref(tatibana67.jpg);| |とうとうココまで着た、でも新世界の探索を採用すればもっと遠くもいけそう| のち、無事に成功。兵士8000人を送って保持を行う。 シベリアのほうへ送っていた入植者から黄金が沸いたとの報告もあった。 シベリアとハワイからアメリカ大陸に入植者を送る準備を行う。 **カトリックの名の下に [#lfc419a2] 1708年 |&ref(tatibana68.jpg);| |遥か、バチカンの地で| 枢軸卿にわが豊後出身の冬家が選ばれる。栄誉である。 枢機卿にわが豊後出身の冬家が選ばれる。栄誉である。 欧州国と同列に、わが国もきちんとしたカトリックの国だと国際社会から認められたのだ。 でうす様も橘を見守ってくれているだろう。 冷静に考えると、日本人のカトリック司祭がバチカンで枢軸卿をやるというとんでもない話だが、橘は成し遂げた。 冷静に考えると、日本人のカトリック司教がバチカンで枢機卿をやるというとんでもない話だが、橘は成し遂げた。 **衝撃の事実 [#hcf7918c] 同1708年 |&ref(tatibana69.jpg);| |衝撃の新事実| 実はビコルカバディの始祖はユリウスカエサルだったんだよ! つまり橘氏族は古代ローマの末裔だったんだよ! ''もはやなにがなんだかわからない。'' フィリピン人と結婚したビコルカバディ定家将軍に、更なる謎の属性が追加されてしまった。 もう収集をつけるのは不可能であるが、あえて他国に知らしめ正当性上昇。何故だ。 誰が信じるんだこれ・・・。どうみても偽書でしょ・・・。 |&ref(tatibana70.jpg);| |1708年、橘氏族勢力図| ちなみに朝鮮にある、1プロヴィンスの白い領土と茶色い領土であるが 白いのがオーストリア、茶色いのがペルシアである。何故だ。 **他の大名たち [#a6e32dbc] ビコルカバディの件で気になったので各大名達の性を調べてみた。 |&ref(tatibana71.jpg);| |藤原:源公任1世。| どうやら源氏に乗っ取られてしまったようだ。藤原氏なのに源性を名乗っている…。 史実の藤原公任(966~1041)が泣いてしまいそうだ。 |&ref(tatibana72.jpg);| |源:清朝頼長1世。| こちらはどうやら満州族の血が入ってるようだ。 お手軽に遊牧民の血を取り入れてる源氏族。どうやったのか多少気になる。 |&ref(tatibana73.jpg);| |平:インハムンダ・ンコモ将門1世。| 将門の名が泣く。どこの国か分からないがイントネーションからして恐らく朝鮮だろう。 どうやら大名達が大陸の血を引くのはこの世界では普通らしい。鎖国なんてなかった。 将軍たる橘が鎖国しなかったからね、仕方ないね。 *海を渡る大名 [#n3af7585] 新世界の探索を採用。これでアメリカ大陸まで入植者の派遣が可能になった。 1712年、日本本土の改宗がほぼ終了。 残り、沖縄とインドネシアのジャワ島に未回収地域が合計3箇所あるだけだ。 ほぼカトリック化は完了したと言っていいだろう。 ビコルカバディ定家はアメリカ大陸への入植を決定する。 しかし、アメリカ大陸西海岸はすでに他国の植民地によってブロックされている。 再度NINJAの力を借りて先住民の蜂起。 フランスの植民地を未入植化。 今こそ海を渡る時! 1714年2月5日ウィチョール及びサユルカテスに入植者派遣。 そして… 1714年11月14日、アメリカ大陸ウィチョールに殖民成功。 この日、大名は海を渡ったのだ。 |&ref(tatibana74.jpg);| |海(太平洋)を渡る大名| ----- [[海を渡る大名]]へ戻る [[海を渡る大名(11)]]へ進む TIME:"2012-09-10 (月) 00:51:27"