[[交易レボルーション]] [[交易革命 理論の実践その2]] *ヨーロッパの嫌われ者に [#a70838e5] **友好度が激減 [#l225eb51] 海外進出をした際に、アシャンティーをなんとなく属国にしたので、悪名が4.0も増えていた。 スワヒリ銀行を利用した際にも、悪名が2.0増えていた。 毎年の友好度の修正は年±1.0程度であるが、これが悪名によってマイナスになっていた。 年-1であっても、50年とか100年経つと、かなりな数字となる。 -100を超えるともはや復活は不可能になってしまうので、気がついたときには手がつけられない状態になっていた。 **破門で友好度激減 [#z27df3f5] ハンザはおとなしい国なので破門を食らうことは無かった。 ところが、主要国家との友好は、計算上の数値を超えて激減している。 どうも、破門を食らうとカトリックの国との友好度が激減するみたいだが、これが原因になっているようだ。 現在、ヨーロッパカトリックでの大国は、イギリス、カスティーリャ、フランス、ブルゴーニュ、ミラノ、バイエルン、ボヘミアがある。 これらの国は、お互いに仲が悪いので、破門合戦を繰り返している。 1550年ごろまでに、イギリスを除く、すべての国が破門を食らっている。カスティーリャは、1,2回だが、ボヘミアやバイエルンは5,6回は余裕で食らっている。 これでは、相手の破門で、友好度が激減するので大国と仲良くすること自体が不可能である。 **友好が築けないのだから [#l4367cef] どうせ、-200の友好度から下に下がる余地は無いのだ。 宗教改革の吹き荒れる1500年代に、友好度が下がるデメリットがないので、さっさと改宗をした。 なお、改宗した際にメリットとしてイギリスとバイエルンとの友好が改善した。 この2国が、私が改宗したあとに、改革派に改宗したのだ。 (ただ、イギリスもバイエルンもカトリックに戻ってしまった) *世界の動き [#cd5154f7] **国家統計表 [#y626aa33] 1550年と1500年の国家統計である |国名|収入|陸軍|海軍|交易|生産|統治|1500年|収入|陸軍|海軍|交易|生産|統治| |&color(red){''カスティーリャ''};|162.5|17|17|16|20|16| |100.0|10|11|12|12|10| |&color(green){''ミラノ''};|79.9|18|17|16|19|22|''↑''|27.8|11|10|12|11|15| |&color(red){''ハンザ''};|73.1|20|21|19|22|20| |46.4|15|15|15|11|15| |&color(green){''明''};|63.8|10|6|5|7|5| |51.5|8|5|5|5|5| |&color(red){''スウェーデン''};|58.2|17|17|16|20|16| |43.3|10|10|12|11|10| |&color(green){''ペルシア''};|55.2|8|8|10|16|7|''↑''|13.9|7|6|5|9|5| |&color(red){''ブルゴーニュ''};|53.1|17|17|17|20|17|''↑''|15.7|11|10|12|11|10| |&color(green){''モスクワ''};|49.8|14|11|12|17|9| |32.5|9|8|10|8|6| |&color(red){''ブルターニュ''};|44.9|18|17|17|20|17|''↑''|17.1|11|11|12|14|10| |&color(green){''ボヘミア''};|42.6|17|17|15|18|16|''↓''|46.1|10|10|12|11|9| |&color(red){''イギリス''};|39.4|17|17|16|20|16|''↓''|36.4|10|10|11|11|11| |&color(green){''日本''};|34.5|7|6|6|14|5| |27.4| | | | | | |&color(red){''チャンパ''};|33.5|6|6|6|8|5| |13.5| | | | | | |&color(green){''ノルウェー''};|32.9|19|19|20|22|19| | |11|10|12|12|9| |&color(red){''ビザンティン帝国''};|31.0|15|11|14|17|9| |10.7|9|9|10|9|6| |&color(green){''バイエルン''};|29.0|17|17|16|19|16|''↓''|46.0|11|10|11|11|10| |&color(red){''フランス''};|28.8|17|17|15|21|17| |11.5|10|10|11|12|11| |&color(green){''デリー''};|28.6|8|7|7|10|6|''↓''|39.8| | | | | | |&color(red){''オマーン''};|26.0|10|10|12|20|9| |11.0|9|9|10|15|7| |&color(green){''フェッラーラ''};|24.9|18|17|19|21|21| | |11|11|12|12|11| |&color(red){''リトアニア''};|23.7|12|10|13|16|9| |18.3|8|7|10|8|6| |&color(green){''アラゴン''};|22.7|17|17|17|21|16| |10.4|10|10|13|14|10| |&color(red){''ムタパ''};|22.5| | | | | | | | | | | | | |&color(green){''アクイレイア''};|22.3|17|17|17|20|16|''↓''|43.7|11|10|11|11|9| ** [#ta779641] **国勢の推移 [#ta779641] イタリアの中堅国家だった''ミラノ''が急激に上昇している。 ミラノは、この時期神聖ローマ帝国皇帝を兼ねており、ヨーロッパの強国の仲間入りをした。 ''ブルゴーニュ''は、フランスとの争いに負け、国家分断の状態であったが、持ち直した。 ''バイエルン''は、ブルゴーニュの侵攻で領土の1/3を失い、国土が分断している。 ミラノに領土を奪われ''アクイレイア''は没落している。 [[交易革命 ]] [[交易レボルーション]] TIME:"2010-08-29 (日) 11:57:09"