[[モンゴル再興 ~DWモンゴル汗国で世界帝国~]]

*蒙古再興(6)遊牧民世界大戦 1518年 [#j542a920]

明との定例開戦を終え、いよいよカザフスタンに宣戦布告。
予定ではチャガタイが参戦する程度だと思っていたのだが…

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|いきなりどえらいことになってしまった。|

盟主の交代&新盟主の同盟者にも参戦が呼びかけられ、
ティムールを除くユーラシア大陸の遊牧民と戦争がおっぱじまってしまった。

敵、スンニ派遊牧民連合の総数は12万!
これはさすがにやばい!!
と思っていたのだが、

盟主キプチャク・ハン国は欧州で対ハンガリー&ボスミア戦のほうが忙しくて東進する余地なし、
カラ・ユユンル朝はトスカーナ、ミラノらイタリア連合と対戦中で、
実質カザフスタンとチャガタイの2万5000だけだった。
相手は大軍だが大半は動けない事がわかり、
なんとなく関ヶ原の戦いの家康のような心境である。


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|連戦連勝、カザフスタンを追い詰める。厭戦は13を突破している|

相手も1枚岩でないことがよくわかったが、これはたまたま運良く勝てたようなもの。
いつ一斉に牙をむいて襲ってくるか分かったものではない。
遊牧民に理屈が通用しないのは自分が一番よく分かっている。

*カザフスタン侵略の障害 [#r00fb514]

もし、カザフスタンだけだったらもっと楽だったろうが、我らモンゴル族の敵に立ちふさがった者がいる。
同じモンゴル民族のチャガタイ汗国だ。
太祖チンギス・ハーンの息子、チャガタイ・ハーンが打ち立てた国。
天山山脈の裾野に居を築き、一大勢力となっている。
我らとは兄弟のようなものだし、実際に同族だ。
ただ、信教がスンニ派である、ただその1点のみでの対立であればよかったのだが、
元々チャガタイと我らの間には浅からぬ因縁がある。
陰謀、暗殺、寝返り。
モンゴル帝国崩壊の一助となった原因がそこにはあり、稀代の征服者ティムールの旧君でもある。


豪将カイシャン将軍は対カザフスタン方面に遠征中、チャガタイ汗国には新人のエルベク将軍(3/3/1/0)に8000の兵を持ってあたらせる。
チャガタイ軍はイェス・カーン(0/3/1/2)自らが率いる。

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|イェス・カーンの得意技は高機動白兵突撃だ|


*同族 [#w93d281f]

まさかの敗退であった。
イェス・カーンは敗退したエルベク将軍の軍を執拗に追撃、完全に壊滅させる。

このままでは頭(カイシャン将軍)を延ばしているすきに、首を食いちぎられることになる。
カザフへ遠征途中のカイシャン将軍を急いで引き戻し、チャガタイ軍に向かわせる。

しかし、イェス・カーンはその高機動を活かし、(遊牧民基準でいえば)重鈍なカイシャン将軍に追いつかせない。
その間に各地に散ばせておいた1000~2000の各地の占領軍を、雑草を刈るがごとく刈り取りまくる。
さすがは覇者の血を引くもの、と感心してはいられない。
ここで時間をおけば、また東方で謀反が起きる。
どうやら朝鮮か明が裏で糸を引いているらしい。
何とも煩わしいことだ。

*結着 [#bcc48685]
とはいえ撹乱はさせられたものの、全体としてはモンゴル優勢に進めていた。
天山山脈のチャガタイ領の手前、カザフスタンが制圧していたモンゴル民族諸州を徐々に開放し始める。

おそらく中央アジアのことなどどうでもいいのであろう、
高厭戦に根負けした敵盟主キプチャク・ハン国が痛み分けを打診してきた。
これ幸いと受諾する。
時は1419年。来年に明の襲来を控えている年でもあったので渡りに船だった。

チャガタイとの戦いは、戦術に負けたが戦略で勝ったという結果で終わったが、
この程度で根をあげるカーンではないだろう。
気をつけなければ。

|&ref(mongo20.jpg);|
|1420年 ついにチャガタイ汗国以外のモンゴル族居住州の統一に成功する|
|1420年 西に大きく前進した。モンゴル族を統一しなければ!|



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TIME:"2012-07-16 (月) 19:17:49"

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