[[モンゴル再興 ~DWモンゴル汗国で世界帝国~]] *世界帝国を目指して1535年 [#g6793fd6] |&ref(mongo55.jpg);| |1536年 中央アジア、中華諸地域はことごとくモンゴルのものとなった| ついに悲願の明に勝利し、中華全土、中央アジアを支配した我らがモンゴル。 アジア方面、モンゴルで言うところの「漢地」に関してはかつての元帝国と同等以上の支配域となった。 元々モンゴルも「元」の名を捨てていたわけでなく、クビライの治世ののち、明に北の地に追いやられても、「北元」を名乗り続けていた。 (実際の歴史でも北元が滅ぶのは1600年代になってからになる。) それが元に戻り、北元は「元」に復興し、一方再び漢民族の国は南に押しやられることとなった。 歴史は繰り返す。 **内政事情確認 [#eeec92e7] 1535年現在、経済力に関しては欧州の列強に迫る勢いとなった。 軍事力に関しても、規模については世界屈指の規模となったのだが、この100年で欧州との技術格差はますます開いている。 本来であれば一刻も早く西欧化を進めすぐれた技術力を自らのものにしなければいけないのだが、ついにインフレは50%に達してしまった。 遊牧民の-50%のペナルティと合わせて、単純に西欧諸国の2倍のコストがかかってしまう。 さらに多くの洲を支配しているためのコスト増と合わせると、3倍以上のペナルティを背負っている。 至上命題はとにもかくにも西欧化であろう。 |&ref(mongo56.jpg);| |1536年の列強。軍事経済共にフランスが頭一つぬけている| |&ref(mongo57.jpg);| |軍の規模はモンゴルが世界一となったが、質は雲泥の差だ| ただし、安定度を1回復するのに7年も時間がかかるようになってしまっている。 単純計算で35年。これは長期戦になりそうだ。 **ティムールとの同盟 1536年 [#u6ae1352] まずは地盤固めのために、オゴデイ・カーンは、ティムール朝に使者を送り同盟を締結する。 モンゴルは西のヨーロッパ、ティムールは南のペルシア帝国に対抗するために組んだユーラシアを股にかける同盟だ。 ただし、定住民に対し勝手に始まる侵略戦争では同盟扱いにならないので同盟のメリットがあまりない。 どちらかというと縁戚関係を結び将来に備えたいという意味合いが強い。 息子であるリグダン王子はたぐいまれなる才能の持ち主だが、正妻の子でないため正統性が低い。 これに備えておくにこしたことはないだろう。 |&ref(mongo58.jpg);| |最強の遊牧同盟の誕生| *天才 リグダン・カーン誕生 1542年 [#f1c605aa] 西欧化を進めるオゴデイ・カーンであったが謎の急死を遂げる。 まだ後継者のお披露目も終わっていない最中の出来事であった。 絶え間ない反乱の火の手はモンゴルの支配地域全域に及んでおり、心労とも、反対派の暗殺とも噂された。 そんな中、跡を継ぎカーンの座に就くのは、子供のころから天才と称されたリグダン王子。 そんな中、跡を継ぎカーンの座に就くのは、子供のころから天才と称された若干18歳のリグダン王子。 だがオゴデイの疑惑の死に加え正統であるとはいえない王子の継承に異を唱える勢力が各地で一斉蜂起する。 若くして大国を継ぐこととなったリグダン・カーン 果たしてどんな治世となるのだろうか。 |&ref(mongo59.jpg);| |神に愛されしカーンの誕生。プレイヤー国ではめったにあることのない8/8/9の能力| ----- [[モンゴル再興 ~DWモンゴル汗国で世界帝国~]]へ戻る [[モンゴル再興(16)]]へ進む TIME:"2012-08-18 (土) 08:52:39"