[[プレイレポ/聖ヨハネ騎士団東征録]] 前回[[プレイレポ/聖ヨハネ騎士団東征録/Hospitaller(8)]] **防衛戦 [#ld626c4c] BBRが18.8と危険域に達しているので暫くは大人しくしなくちゃなと思っていると 年明け早々の1550年1月2日にシリアがジハードを仕掛けてくる 以前は脅威だった国も今は首都が孤立している状態となっている 早速軍を差し向け各地を占領していると、 同年4月に今度はシャバーンカーラ朝が戦争を仕掛けてくるので こちらにも軍を急がせる |CENTER:&ref(EU3_4.jpg,nolink);| 同年10月、シャバーンカーラ朝の全土を占領し、 領有権放棄と賠償金支払いで講和 |CENTER:&ref(EU3_4.jpg,nolink);| |CENTER:&ref(EU3_5.jpg,nolink);| 翌月にはシリアに領有権放棄と賠償金支払いを要求し終戦となった |CENTER:&ref(EU3_5.jpg,nolink);| **ノヴゴロド浄化 [#gb56cd17] 1551年2月、プロテスタントのブルガリア浄化ミッションを開始 敵国にはノヴゴロドとクロアチアが参戦している 2州国家のブルガリアは翌月に改宗させ講和 |CENTER:&ref(EU3_8.jpg,nolink);| 同年9月、クロアチアにボスニアを独立させ講和する この時点でBBRは15.9とまだ高い状態なので敵領の割譲は厳しい なので第二目標の一つ「異端の浄化」を達成すべくノヴゴロドへの遠征を開始 ボヘミアとリトアニアに通行許可を貰い進軍 差し向けた兵力は6万に対しノヴゴロド軍は4万5千程 |CENTER:&ref(EU3_9.jpg,nolink);| まずは会戦で敵兵力を壊滅させ各地を力攻めで落とし、 兵力が減ったらリトアニア領に退避し回復させるということを繰り返す そして1554年9月、ノヴゴロドをカソリックに改宗させ講和 |CENTER:&ref(EU3_12.jpg,nolink);| これで正教陣営2強の一角が崩れた **第二次対神聖ローマ帝国戦争 [#ie2848cc] |CENTER:&ref(EU3_13.jpg,nolink);| 1555年6月、帝国領からの離脱させるのを忘れていたTemesvar開拓を掲げ 皇帝ボヘミアが宣戦して来る ボヘミアはだいたい1ユニット当り2万5千程で攻めてくるので 今回も前回と同じように兵力を集中させ各個撃破を行っていく 敵軍の撃破は順調に進んでいたが 先のノヴゴロド戦での厭戦感情が癒えておらず 反乱率が上昇してきたのでボヘミア領を3州占領したところで講和 |CENTER:&ref(EU3_14.jpg,nolink);| 今回は100ダカットの賠償金しか得ることが出来なかった **第二次対モスクワ戦争 [#n277461a] 1559年3月、ふとモスクワの方を確認してみると 安定度が-1になり所々農民反乱軍に占領されていた |CENTER:&ref(EU3_16.jpg,nolink);| これは好機と思い軍をモスクワとの国境に移動させる そして1560年3月、モスクワに対し浄化戦争を開始する |CENTER:&ref(EU3_18.jpg,nolink);| 今回は敵に参戦国は無し モスクワ軍は7万2千に対し、こちらは12万と有利な状況であった カスピ海北岸と東岸の二方面から侵攻を開始 北岸から攻め込んだ部隊はモスクワ領北部まで攻め込むことに成功した |CENTER:&ref(EU3_19.jpg,nolink);| |CENTER:(しかし操作ミスで15000の部隊が溶けていたりする)| 1561年7月、モスクワをカソリックに改宗させ講和 これにより正教陣営は崩壊したと言ってもいいだろう **ワラキアは二度死ぬ [#u6ed866a] 1562年10月、ワラキア併合ミッションを開始 敵参戦国はクロアチア、ボスニア、ハンガリー 翌月、ワラキアを併合する 騎士団の都合で併合され数日後に蘇った国は 再度騎士団の都合で消滅することとなった 1563年2月、正教国ボスニアをカソリックに改宗させ講和 これで正教国家はエチオピア一国となった 同月、敵国盟主ハンガリーに25ダカットを支払い講和 騎士団国家は正統性を気にしなくていいから気軽に敗北できて楽である |CENTER:&ref(EU3_23.jpg,nolink);| 今回はほとんど拡張は出来なかったが正教陣営を崩壊させることが出来た BBRも終了時点で6.4となっているので次回は拡張して行きたいところです それでは次回[[プレイレポ/聖ヨハネ騎士団東征録/Hospitaller(10)]]へ TIME:"2014-07-18 (金) 17:30:36"