[[プレイレポ/応仁の乱2]] #ref(1466.jpg,nolink) 1467年、応仁の乱直前の畿内情勢。 管領細川氏は(画像からは見えないが)摂津に9000の陸軍と大型船5隻からなる海軍を有している。 それに対して有力守護大名の山名氏は、伯耆に8000の陸軍と小型船4隻からなる海軍を有しているにすぎない。 *応仁の乱 [#gf0dc8d7] &ref(a.jpg); 宗全入道です。こんにちは。 &ref(a.jpg); じゃあまず状況説明からいきましょう。 #ref(1466.jpg,nolink) &ref(a.jpg); 山名氏の外交地図です。 &ref(a.jpg); 御覧のように山名氏は伯耆、但馬、石見、安芸の4プロビを有しています。 &ref(a.jpg); その他にも赤松氏の播磨、細川氏の備後がコアプロビとして存在します。 &ref(a.jpg); とりあえず初期配置の四人の外交官をつかって、大内氏と同盟、細川氏と婚姻しました。 &ref(a.jpg); これは周辺の小国を食べている間の予防策ですね。 &ref(a.jpg); 山名氏の周辺には1プロビ国家が3つあります。 &ref(a.jpg); まず山名氏の領土を分断する位置にいる出雲の尼子氏、それから播磨の憎い仇敵の赤松氏、最後に丹後の一色氏です。 &ref(a.jpg); 外交官が二人余ったので、尼子と赤松に宣戦布告しました。のちに一色にも宣戦布告し、これらを併合しています。 #ref(1468.jpg,nolink) 山名氏の外交地図 #ref(1468d.jpg,nolink) 細川氏の外交地図 &ref(a.jpg); で、これが1468年の時点での山名氏と細川氏の外交地図です。 &ref(a.jpg); 山名氏は九州勢のほかに斯波氏、畠山氏と同盟しました。 &ref(a.jpg); 他方、細川氏は九州勢と同盟していますが、その他は関東の上杉氏と同盟しているに過ぎません。しかも四国の河野氏を討伐する過程で将軍足利氏と対立しています。 &ref(a.jpg); これは脳内補完が容易ですね。山名宗全が日野富子と管領斯波氏とむすんで将軍継嗣を有利にすすめ、これに憤った細川氏が挙兵した、という具合ですわ。これは山名氏は善玉ですわ。 &ref(a.jpg); というわけで細川氏に宣戦布告します。 &ref(a.jpg); さきに延ばせば延ばすほど、細川氏に有利になってしまうんです。 &ref(a.jpg); 1468年8月2日、細川氏に宣戦布告。15日には敵の首都摂津を陥としました。 #ref(14680815.jpg,nolink) &ref(a.jpg); この一枚絵には非常にたくさんの情報が詰まっているので解説します。 &ref(a.jpg); まず山名軍の動向ですが、山陽地方の2プロビにそれぞれ騎兵1000ずつ派遣して攻囲状態にしています。 &ref(a.jpg); そうしたうえで13000の本隊は敵の首都摂津に進軍、攻囲、強襲、8月15日にこれを陥落させました。 &ref(a.jpg); 他方、河野氏を攻めるために四国に赴いていた細川軍は、この数日前に河野と和睦、摂津に戻ろうとしますが、阿波で起こった農民反乱に足止めを食っています。 &ref(a.jpg); 細川氏はこの頃、「農民反乱の時代」のイベントが起こるなど、ついていません。他方山名氏は足利氏から婚姻の要請を受けるなど、上り調子です。 &ref(a.jpg); さて、山名氏の次の最善手は何かというと、「待つこと」です。現状細川氏は兵力で山名氏に劣り、経済拠点を押さえられているため戦力増強もままなりません。 &ref(a.jpg); したがって細川氏は野戦で負けるのを分かっていて摂津に攻めかかろうとはしません。ところで四国と本州をむすぶ通路は、九州を除けば摂津しかないため、ここを押さえていれば山名氏は安心です。 &ref(a.jpg); こうしておいて、山陽の2プロビが陥落するのを待てばいいのです。 &ref(a.jpg); しかし・・・ #ref(14681217.jpg,nolink) &ref(a.jpg); 1468年暮れ、山名宗全が陣没します。応仁の乱はその転換点をむかえることになりました。 TIME:"2013-08-16 (金) 22:39:42"