|#ref(./1514.JPG,50%);| |CENTER:1514| *ロシア躍進 [#t4b5a608] |#ref(./sr61.JPG);| |CENTER:対ウクライナ戦(1517)| |#ref(./sr62.JPG);| |CENTER:対キプチャク・ハン国戦(1521)| 1500年代に入ってからロシアからの援軍要請が多い。 ロシア化したことにより中核州が大幅に増えたため、周辺国へ片っ端から宣戦布告している模様。ビザンツも微力ながら援軍を派遣する。 |#ref(./sr63.JPG,50%);| |CENTER:火事場泥棒w| この戦いでカッファの奪取に成功。 またロシア領はさらに巨大化し、キプチャク・ハン国は内乱により衰退の一途を辿ることとなる。 *北アフリカ征伐 [#yd0bf13f] |#ref(./sr64.JPG,40%);||#ref(./sr65.JPG,40%);| |#ref(./sr66.JPG,40%);||#ref(./sr67.jpg,40%);| 一方、ビザンツ帝国では同時期に北アフリカのイスラム勢力残党を順次攻略・併合していく。 その結果、1536年にはアラビア半島の全イスラム国家を属国化。北アフリカはスペイン・ポルトガル領以外をすべて併合。さらにはカイロからマムルーク朝を追放することにも成功。 マムルーク朝はエチオピア近辺の小国へと転落し、最終的にはビザンツの属国として生き延びることとなった。 また、ロシアも一連の対イスラム戦争で順調にキプチャク・ハン国を侵食。 サライまで後一歩のところまで南下している。 が、ここで大きな落と穴が……… *腐ってやがる…。早すぎたんだ。 [#r7e4ae16] |#ref(./sr68.JPG);| |CENTER:1539年 崩れゆくロシア| 確かにここ数年で急激に領土を拡大したのである程度の反乱はあるだろうと予想していたが、これは??? 奪った領土も半分以上が中核州なのでここまで辛いことになる原因はなんなのだと反乱率の内訳をみると。 |#ref(./sr69.JPG);| |CENTER:反乱率40%wwwwww| これは放置しておくとマジでロシアが崩壊してしまうので大急ぎで援軍を派遣。 結局、この大反乱を鎮圧するのに10年を費やすことに。 まさしく『真の敵は内側にあり』である。 *アフリカ大探検紀行 [#k6436533] |#ref(./g1.JPG);| |#ref(./g1.jpg);| 急激な領土拡張と度重なる遠征により財政がひっ迫したビザンツ帝国は、財政赤字解決のため莫大な黄金があると噂される黄金郷エルドラド探索へ部隊を派遣した。 探検隊はアフリカ奥地、スワヒリ・ムタパの地にて黄金郷を発見。 黄金郷の王とみられる人物を発見し、ただちに捕虜とする。 王の軍隊は激しく抵抗したが、馬の存在を知らなかったためビザンツ騎兵隊の前に壊滅する。 現地にて黄金郷の王とみられる人物と遭遇、ただちに捕虜とする。 王の軍隊は激しく抵抗したが、馬の存在を知らなかったため少数のビザンツ騎兵隊の前に壊滅する。 |#ref(./g2.JPG,40%);||#ref(./g3.JPG,40%);| |#ref(./g4.JPG,40%);||#ref(./g5.JPG,40%);| |#ref(./g2.jpg,40%);||#ref(./g3.jpg,40%);| |#ref(./g4.jpg,40%);||#ref(./g5.jpg,40%);| 王は自身の身代金として総額8425ダカット相当の黄金を支払った。 この黄金により、ビザンツ帝国の全土のインフラが整備され帝国の国力は大きく上昇したという。また、大量の黄金がヨーロッパ全土に流通したことにより全ヨーロッパの金価が下落し、大幅な物価上昇がみられた。 この黄金により、ビザンツ帝国全土のインフラが整備され帝国の国力は大きく上昇したという。 また、大量の黄金がヨーロッパ全土に流通したことにより全ヨーロッパの金価が下落し、大幅な物価上昇がみられた。 これを後世の歴史家は価格革命と呼んだ。