|#ref(./1810.JPG,50%);| |CENTER:1810| *栄光に向かって [#i7999e02] |#ref(./sr111.jpg);| 1399年にスタートした今回の戦いも残すところ9年である。 が、今だ北ドイツおよびウィーン(指摘してくれた人ありがとう)が未回収地域として残っている。 で、まずはウィーンを回収するためにオーストリアに対して最終戦争を仕掛ける。 ビザンツ帝国の陸軍技術は65を超えている一方、オーストリアは未だ55。 現実は残酷であり、開戦当初20万いた敵戦力は6か月後に壊滅することなる。 |CENTER:鬼スタックの敵主力をその半数の戦力で撃破| |#ref(./sr112.jpg);| ~ この戦いによりまずはウィーン東側を割譲させる。 |#ref(./sr113.jpg);| ~ そして和平と同時に再び開戦。 オーストリアは不用意にも4カ国と同盟を結んでおり、それぞれがバラバラの連合なのである。 この戦いが終わっても後2回仕掛けることができるというわけだw |CENTER:1812年 ローマ皇帝マヌエル3世によるウィーン包囲| |#ref(./sr114.jpg);| が、我々に決断を迫るある事実が……… |CENTER:政治とは決断であるとは良く言われることだが| |#ref(./sr115.jpg);| ~ 残り8年あることを考えればBBRW無しでウィーン獲得は出来る。 しかし、我々の最終目標はローマ帝国の完全復活である。 もはや些細なことにこだわる必要は無い。 すぐさまオーストリアの同盟国に宣戦布告。 これより、ビザンツ帝国はBBRWに突入する。 ちなみに国境を接する国家は他に属国とフランス・ペルシアなのであるが、 即座に我が国に宣戦布告した国家は属国のザポロジアのみであった。 どうも我々は強くなりすぎてしまったようだ。 勇敢なるザポロジアは速攻で返り討ちになり再属国化の刑とあいなった。 そして、戦力の壊滅したオーストリアを三度蹂躙。 ウィーン陥落である。 これでオーストリアも他のヨーロッパ主要国と同様に都落ちとなる。 |CENTER:国名はオーストリアだが実態はポーランド| |#ref(./sr117.jpg);| だが、私は追撃の手を緩めない! もう一度宣戦布告し、ハンガリー方面からオーストリアを駆逐する。 ここまでわずか1年足らずの出来事であった。 こんなに楽勝ならもっと早めにBBRWを仕掛けておけば良かったと少し後悔w |#ref(./sr118.jpg);| ただ、オーストリアの同盟国すべてと1度戦ったので次戦は休戦期間が終わる2年後に持ち越しとなる。 その間、今度は休戦期間の終わるフランスや属国として放置していた地域の併合を行う |#ref(./sr11d.jpg);| 北ドイツ方面の回収までもう少しなのだが、フランスは1つの同盟グループにしか属していないのですぐの再戦は不可能。 1816年ということも考えると1度休戦期間破りをする必要がある……… とりあえずは再び宣戦布告が可能になったオーストリア同盟国に宣戦布告。 1818~1819年のわずか半年間にオーストリア全土を3度蹂躙する。 |#ref(./sr11g.jpg);| 続いてフランスに対して休戦期間破りを敢行。 途中、勇敢なるザポロジアが再び宣戦布告をしてきたが、また返り討ちである。 しかし、ザポロジアの勇気はすばらしい。十字勲章ものである。 |CENTER:感動のあまりザポロジアに敬礼してしまった| |#ref(./sr11a.jpg);| ~ 一方、フランスは速攻で4州割譲させる。 |#ref(./sr11h.jpg);| ただ、安定度-5はさすがに辛く全国で反乱軍が蜂起。 全力で鎮圧&安定度回復に投資し、ゲーム期間終了までには安定度+3へと回復させた。 *ラストラン [#nb05565a] |#ref(./sr11b.jpg);| |#ref(./sr11c.jpg);| |#ref(./sr11b.jpg,50%);||#ref(./sr11c.jpg,50%);| もはやローマとは全然関係無いのだが、まだ時間があったので最後に2回オーストリアを叩かせていただいた。 (本当は北ドイツを取りたかったが、各国を属国化していたため属国解除を宣言する外交官の数が足りなかったorz)