[[パラド出版社教科書]] *1450年から1500年 [#a1895091] **バルカン三国志 [#x8d88bc4] オスマントルコは、急速に勢力を拡大しアナトリア半島を統一し、1453年には コンスタンチノープルを陥落させ、東ローマ帝国を滅亡しヨーロッパに進出した。 その後も、勢力を拡大し、1454年にはセルビアを滅亡に追いやり、バルカン半 島への足がかりを固めた。 オスマントルコのバルカン半島への浸透に驚異を覚えたローマ教皇は、ハンガ リーからクロアチアを奪取したオーストリアに、バルカン半島の権益と引き替え にオスマントルコ討伐の十字軍を命じた。 #clear |&ref(バルカン三国志.jpg);| |1475年頃のバルカン半島| しかし、オーストリアは、ボスニアに進出したヴェネツィアとバルカン半島 の権益を巡り戦火を交えることとなった。 この戦争で、バルカン半島に戦力の空白域が生じたため、オスマントルコは、 易々とバルカン半島に進出できた。 #clear |&ref(バルカン三国志2.jpg);| |1485年頃のバルカン半島| これに対し、ポーランドがローマ教皇の呼びかけに賛同し十字軍に参加した が、時すでに遅く、オスマントルコのバルカン半島支配が確定した。 この時代の歴史家マキャベリは君主論の中で「君主は、天下の大事には自国 の利害を無視してでも、立ち向かうものである。」と述べ、オーストリアの行 動を非難している。 **百年戦争後の英仏 [#i7e79c40] #clear |&ref(フランス.jpg);| |1485年頃のバルカン半島| 百年戦争が終了したフランスでは、中央集権化を進めフランスの統一を進め た。さらに、1483年に即位したシャルル八世は、フランス領内に残るイギリス 領の回復を目指し、イギリスに宣戦を布告し、優勢に戦いを進めたが、十年後 に戦争を始めたシャルル八世が急逝したため、現状維持で講話した。 (十年戦争・鴨居の講和) 百年戦争終結で職を失ったイギリス人傭兵が、新天地を求めて北回り航路で アメリカ大陸を目指し1459年にニューファーンドランドに到達した。この後、 カナダ地域への植民を進めていくことになる。 **イベリア半島 [#h2c5cc71] 1457年にグラナダを陥落させイスラム国家をイベリア半島から追放し、その ままモロッコに侵攻をした。また、カスティーリャは1466年にギアナに植民を 開始し、ブラジル北部やパナマ方面に植民を開始する。 **ロシア・中央アジア [#l0d59e1e] ロシアでは、キプチャク汗国の間接支配(タタールのくびき)が主であった が、この時代にイスラムから法・経済・官僚機構などの制度が流入し、中央集 権化に成功したカザンが勢力を拡大した。1472年には、キプチャク汗国を倒し タタールのくびきから脱し、イスラム化したモンゴル民族による直接支配に移っ ていく。 ペルシャでは、トルコ民族の白羊朝の支配から脱したペルシャが、1458年に ペルシャを統一し、中央アジアの覇権をティムールと争うことになる。