前回終了時から5年が流れ1387年10月、オスマンとの休戦が終了。 残ったオスマン領を切り取る為に宣戦。
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翌年4月にBoluを割譲させ講和。 1389年3月、オスマン宣戦時に付いて来たエルテナに敗北を認めさせ講和するが、 前月にシリアが盟主として参戦している為戦争は継続。アルメニアからアダナを奪い騎士団と国境を接している上、 マムルーク朝を継承して巨大化している。オスマンの脅威が去ったら次の脅威が湧いてきました。
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1390年12月、戦線を維持できそうにないので、シリアに敗北を認め講和。 この戦争中にイベントでビチュニアに中核州を得たので次のターゲットはビザンツさん。小アジアは騎士団の物だ!
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1391年11月、ビザンツがセルビアとの戦争で主力が出払っている隙に宣戦。ビチュニア獲得を目指します。 なお、セルビアとの同盟はいつの間にか切れていました。
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1392年5月、ビザンツの同盟国アルメニアをカソリックに改宗させ講和。
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1395年1月、ビザンツ領3州(小アジア)を占領した所でビチュニアを割譲させ講和。
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時は流れて1402年6月、ビザンツ攻撃ミッションが発生したので宣戦布告。これによりアナトリアに中核州を得た。 敵にはブルガリア、アルメニア、ザイヤーン朝が加わっている。 まずは侵入してくる敵軍を壊滅させる。 1403年11月、ザイヤーン朝と痛み分け。 1403年12月、ブルガリアに敗北を認め講和。 1404年3月、アルメニアを属国にし講和。
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1406年9月、騎士団との戦争で軍が壊滅したところをセルビアに突かれているビザンツと講和。 アナトリアとbalikesirを割譲させる。あとはオスマンを排除すれば小アジアは我々のものとなる!
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1408年1月、フィリップス1世逝去。初めての非軍人タイプの総長である。これでBBRもなんとかなりそう。
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1414年3月、オスマン排除ミッション開始。力攻めで翌月に小アジアを統一する。
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1418年4月、エマヌエル1世逝去。行政・軍事に秀でたラファエル1世が総長となる。
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1419年1月、これまたミッションに従いビザンツに宣戦。7月にエディルネを割譲させ講和。 シリアが強大で東進出来ない為一歩も聖地に近づけずにいる。このまま西欧帰還の旅が始まってしまうのだろうか。
1421年4月、ミッション「ギリシャの人々を救済」を開始。セルビアに宣戦布告。
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情報を確認してみると、どういうことなのかセルビア軍は0人。何があった。
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1423年3月、セルビア領半分を占領(残りは反乱農民が占領)したところで講和。 コザニを割譲、アルバニアとイピロスを独立させる。
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1423年9月、ラファエル1世死去。かなり高能力なグイド1世が総長となる。
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1425年4月、やることが無くて暇なので、名誉戦争CBのあったビザンツに喧嘩を売ることにする。
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1426年5月、ビザンツに各地の領有権放棄と各国との条約破棄で講和する。 さあ、次はブルガリアに突撃!
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…したら総長戦死してしまいました。
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1427年8月、ブルガリアにワラキアを独立させ講和。翌月、敵同盟盟主のノヴゴロドに敗北を認め戦争終結。
バルカン諸国に触手を伸ばし始めた所で次回Hospitaller(3)へ