次のステップはもう北米西海岸である。探検してみたところ、スペインがメキシコ辺りまで来ているだけで、カリフォルニアはまだがら空きである。これで、北米大陸にたどりついたけど、植民する場所が無いなんて悲劇は避けられそうだ。
そして1637年、ついにハワイが中核化する。即座に中米のサユルテカスに殖民を開始して1638年6月7日、植民に成功、スペインと国境を接した。
これによってラテン文明国との隣接という条件を満たした。政策スライダーはとっくに条件を満たしている。意外に盲点になるのは元首の行政能力6以上という条件だが、ここで我が水尾天皇は行政能力8を誇っている。よろしい。ならば西欧化だ。
西欧化による安定度打撃は実に-5である。さらに中央集権リミットによるペナルティも加えて、全土の反乱率が3%まで上昇する。常陸、千島で起きた反乱を制圧していると、朝鮮が宣戦布告してきた。制海権は握ったままなのでどうということは無いが、実にうっとうしい。
朝鮮との戦争を続けながら、安定度が+1まで回復したところで「帝国主義を導入」を採用する。再び安定度打撃-3をくらうが、中央集権リミットが-3になるため、ペナルティが消える。日本の反乱発生率は消え、朝鮮はまたも反乱祭りである。知るか。
ところで、技術グループが「中国」である日本の場合、西欧化には→ムスリム→オリエンタル→ラテンの3段階が必要になる。最初の西欧化でムスリム化しただけでは技術投資の隣国ボーナスは20から40程度しかもらえず、オリエンタル化した場合は下手をするとそれよりも低下する。しかし、3度目の西欧化でラテン化すれば、そこには全技術について隣国ボーナスMAXの100が待っていることになる。毎回の安定度打撃を回復して、1652年1月1日、ついに日本はラテン化を達成した。
16世紀末(1697.8.11)の時点での世界地図は以下のようになった。日本はオーストラリア・ニュージーランド・シベリアの沿岸部を押さえ、欧州勢の大々的な進出をほぼ封じたが、熱帯の島々にスペインとポルトガルの侵入を許している。
南米ではラプラタ・チリ・ブラジル・コロンビアなどの新国家が成立し、結果的にポルトガルの国力は大きく低下した。北米はスペイン・ポルトガル・イングランドの鼎立状態だが、ショーニー(北米先住民・ピンク)がカトリック国として頑張っている。技術レベルもトップクラス。
いつの間にか明が国教を儒教に改宗したため、この頃はずいぶん安定している。それとロシアが成立したのを初めて見た。