1402年8月、ドージェ顧問ニコロ・コンタリーニは、ある貿易商人の邸宅の前でゴンドラをおりた。 先日、トレヴィザーノに侵攻したミラノ北方軍を攻撃する傭兵を雇うために、 共和国政府は140ドゥカートの借入を行った。 年間利益が35ドゥカートの共和国政府にとって、140ドゥカートもの金額はけっして小さなものではなく、 金策が重要事項となっていた。 5月のヴェローナの戦いで共和国軍はミラノ北方軍を全滅させたいま、 市民に対し寄付を求めやすい雰囲気が整いつつあった。
彼がこれから訪問しようとしている貿易商人ジローラモ・コルナロ・カエターニは、 ピサの名門カエターニ家の四男である。 我が国の金権主義政策に目をつけ、買収に次ぐ買収でヴェネツィアでの地盤を固めてきた やり手の男だ。
この時期のカエターニ家本家のあるピサは既にミラノ領となっており、 本家の勢いは日に日に落ちてきていた。 (その辺りのことを上手くつければ・・・) ニコロ・コンタリーニは気を引き締めた表情でカエターニ家の門をくぐった。
翌日、十人委員会はカエターニ家から100ドゥカートもの寄付が寄せられたことを 大々的に発表した。 ヴェネツィア市民は 「カエターニが金を出すときには必ず大きな見返りを求めると思っていたが、 国家の非常事態には、見返りを求めず大金を出すのだ。」 と感心し、カエターニ家の株は大きく上がった。
だが、オーストリアに向かう早馬が密かに出発したことを知る者はほとんどいなかった。
【端金さ。】
長く続く戦争の影響で、財務官は急激なインフレの兆しが現れているのに気付いた。 根本的な経済政策転換を行うために、貨幣鋳造官の新設が必要だが、 ドージェ(元首)アントニオ・ヴェニエルはヴェローナ攻略のため長らくヴェネツィアを 離れており、誰に相談すべきか・・・。 財務官が相談したのは、ドージェにかわりヴェネツィアを切り盛りしてきたニコロ・コンタリーニだった。
ニコロ・コンタリーニは智謀家であり、経済問題には詳しくはなかったが、インフレへの対処は 重要なことだとすぐに気付いた。 それは、商都ヴェネツィアで育った者が有する一種の勘とでもいうものであった。
「分かりました。すぐに十人委員会を開き貨幣鋳造官の新設を要請しましょう。」 ニコロ・コンタリーニは答えた。 「どなたか適任者の目星もついておられるのですか。」 「アントニオ・フランジーニという者がおります。 彼はかなり優秀でインフレを年率で0.08%抑えることができます。」 「では、そのこともあわせて十人委員会でお話しましょう。」 数日後、ニコロ・コンタリーニが十人委員会のメンバー宅を訪れる姿があちこちで見られた。
定例の十人委員会にて― 「ミラノからの脅威がなくなったいま、我が国の優先課題は借入金の返済です。 そのためには「支出の抑制」と「収入の拡大」を行わなければなりません。 インフレ対策は喫緊の課題です。」 委員の一人が発言すると、ただ一人を除き全てのメンバーが同意を示した。
「そのような政策を実行すれば、市民からの反発を買い大きな混乱を招き、 税収は落ち込むでしょう。「収入の拡大」どころではない。 それにくらべれば、インフレの上昇によってわずかばかり支出が拡大するのは 大したことではないでしょう。」 反対したのはアンドレア・ロメリーニであった。
「3%ものインフレが大したことではないと。」 最長老の委員が突然怒声を上げた。 「おまえにはヴェネツィア市民としての教養である金融センスもないのか。 愚か者めが! 皆さん、このバカ者はドージェ顧問としての資質に欠くと思いますが、いかがか。」 こうして智謀家アンドレア・ロメリーニは顧問から解任され、 新たに貨幣鋳造官アントニオ・フランジーニが任命された。
だが、ロメリーニの突然の解任は、ヴェネツィア市民の目には不可解に映った。 世間は少なからず動揺した。
【でも金融政策ってよく分からないもんねぇ。】
1403年10月15日、ヴェネツィアでは四年に1度のドージェ改選選挙が行われていた。 とはいっても、ドージェは一度就任すればよほどのことがない限り終身勤めるのが ヴェネツィアの慣例であり、選挙は形式的なものであったから、 アントニオ・ヴェニエルは普段と同じように執務を行っていた。
執務室をノックする音が聞こえ、ニコロ・コンタリーニが入ってきた。 「ヴェニエル様。選挙結果を報告いたします。」 ヴェニエルは、自分を呼びかける声が共和国元首に対する尊称である 「ドージェ」ではなかったことに気がついた。
「新ドージェとして、ジローラモ・コルナロ・カエターニが当選いたしました。」
「私は過去に落選したドージェのように、クーデタを企てたことはないし、王制を主張したこともない。 常にヴェネツィアのために難しいながらも最善の『舵取り』を行ってきたつもりだ。 何がいけなかったのだ。」 茫然としてヴェニエルは訊ねた。
「ロンバルディア征服戦争の折に行った借入金の返済がいまや国家の優先課題であることは、 ヴェネツィア市民に浸透しております。 「支出の減少」と「収入の拡大」のためには宣教師派遣費用の減少と新たな税制度を導入 しなければならない。 ですが、ヴェニエル様、あなたに『冒涜禁止法』と『酒類法』を可決させる行政手腕がありますか。」
「ニコロ、まさか選挙まで工作したのか。」 ヴェニエルは静かに訊ねた。
「ヴェニエル様、我が国のドージェ選挙人の選出方法はあまりにも複雑過ぎて、 工作の余地などないことはよくご存じのはずです。」 ニコロ・コンタリーニは答えた。
こうしてアントニオ・ヴェニエルは失策を犯さなかったにも関わらず、 終生ドージェを勤めることのできなかった初の人物となった。 これ以後、ヴェネツィアから「ドージェ終身制」の慣例は消滅した。
【長すぎるのも良くないですよ。】
次話「No.5 イピロス解放戦争(1404年7月-1405年5月)」に進む
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