アカイア防衛戦争(1399年12月-1401年1月)

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アテネの夕暮れ

ヴェネツィア共和国第62代ドージェ(元首)アントニオ・ヴェニエルは、アテネの埠頭に佇み海を眺めていた。 「エーゲ海の真珠」と称されるこの街は、街並みも郊外に林立する遺跡も美しかったが、 海洋立国で育ったヴェニエルがなにより好きだったのは、夕暮れ時に赤い空を背景とした灰色がかった薄い雲、 葡萄色をした海、白い街並みそしてエーゲ海の緑の島々が織り成すコントラストを港から眺めることだった。

「ドージェ、こちらにいらっしゃいましたか。」 若い男が息を切らしながらヴェニエルに駆け寄ってきた。 彼の名は、セバスティアノ・サン・パウロ。サンマルコの司教の推薦とその不思議な魅力を買い、 つい2ヶ月前に顧問として登用したばかりの神学者である。 この様子では随分自分を探したようだが、暴動でも発生したのだろうか。

「そんなに息を切らして、一体どうしたのだ。」 「ドージェ、大変でございます。ビザンティン帝国が隣国アカイアへ侵攻いたしました。」 「なんだと。」

アカイアは、アテネの南西に位置する。 地中海方面からヴェネツィアに帰るためには、アドリア海から地中海に向けて常に吹き続ける風のために、 途中のいくつもの寄港地に寄らねばならず、アカイアもその一つだった。 同国が侵略されることはヴェネツィア貿易に重大な影響を与えるため、 我が国はアカイアの保護を以前から諸外国に宣言していた。

「オスマン帝国に首都コンスタンチノープルまで迫られる勢いとなり、 ビザンティン帝国も活路を見出しにきたか。 そういえば、我が同胞ワラキアは、確かビザンティン帝国と同盟を結んでいたな。 戦場で相見えてもお互い戦わないよう、ワラキアと密約を結ぶことはできるか。」 「そのことですが、ドージェ。既にワラキアから密使が到着しており、 ビザンティン帝国との同盟を解消したと通知がありました。」 「さすがはワラキア。一流の船乗りは『風読み』に長けているものだが、 海に一切面していない国にも風が読める者がいるのは不思議なものだな。」

ワラキアは、我が国の陸軍改革を嘲笑する国が多い中、いち早くその意味に気付き軍事同盟を求めてきた国である。 その一方、ヴェネツィア通商同盟圏内に所在しながら、北のノブゴロド通商同盟に加盟し、 北方からの干渉を抑えるというしたたかな面を見せる国でもあった。

「隣国アクイレイア、シチリアも出兵を決めたようです。」 「ふむ、アクイレイアも我らと状況は一緒だろうし、長靴の先の石ころどもも中継地点は重要だろうからな。 ただ、海上戦はともかく陸上部隊に奴らの兵力は期待できない。 暴動発生予防が目的だったとはいえ、たまたまアテネに駐軍していたのが幸いしたな。 まずは、早速宣戦布告を行い、アカイアへ侵攻したビザンティン帝国軍を追い払うぞ。」

1399年12月15日、こうしてアカイア防衛戦争(正式名:ビザンティンによるアカイア再征服)は幕を開けた。

【侵攻当日になぜ一瞬にして伝わるのか・・・ きっとこの世界には神の目を持つ神学者が多いのだろう】

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小国の講和条件

1400年1月3日、「アカイアの戦い」でビザンティン帝国軍を破ったヴェニエルは、 勢いにのってビザンティン帝国領モレアまで追撃、 1月20日の「モレアの戦い」でビザンティン帝国軍を全滅させ、モレア市街を包囲した。

「ドージェ、このままモレアを手に入れるのですか。」 「パウロ、私はモレアを領土とする気はない。」 「なぜでございますか。」

「我が国の陸軍は3,000人しかいない。モレアを領土とすれば、少なくとも25年は駐留部隊を常駐させねばならない。 それでは他の地域に派兵する軍隊がいなくなってしまう。 これでは『助言』に向けた方策とは言えぬ。」 「しかし、ビザンティン帝国から『賠償金』の入手は期待できますまい。 『痛み分け』を狙うのでございますか。」

「『領土の割譲』『賠償金』以外にも我らを利する条件はある。

だ。

地味な条件だが、我が国のように軍事力に乏しい国では、 駐留部隊を裂かずにエーゲ海地域の利権を拡大できるメリットは大きい。 だが、これらの条件を飲ませるにはモレアを落とさねばなるまい。」

「さすがは、ドージェ、その見識に深く感服いたしました。」 パウロは感心してみせつつ、内心では、駐留軍のいない不安定な地域に宣教師を呼ばなくてすむと胸をなでおろした。

新たな戦乱

モレアを囲む城壁は意外と堅く、春になり夏を過ぎ秋が終わってもまだ落ちなかった。 「兵糧攻めにすればいつかは落ちる。」 とヴェニエルはゆったりと構え、長期戦を兵士達に指示していた。

ところが、まもなくクリスマスだというある日、ヴェネツィアから早船が到着した。 船から降りてきたのは、芸術家アンセルモ・トレヴィザーノの代わりにこの年の10月から顧問となった 智謀家アンドレア・ロメリーニであった。

「ドージェ、申し上げます。オーストリアがミラノに宣戦布告し、援軍要請が参りました。」 「なんだと!」

「パウロ、モレアには1部隊のみ残し、私はヴェネツィアに帰国する。 モレアが落ちたら、以前に話した条件でビザンティン帝国と講和してほしい。」 「ドージェ、私は武人ではなくそのような役目には向いておりません。」 「ばかなことを言うな。 モレアを落とすのは部隊長でもできるが、講和交渉は宗教者であるそなたでないと務まらぬ。 あとは頼んだぞ。」 ヴェニエルはそういい残し、護衛艦とともにヴェネツィアに向け出航した。

1401年1月15日、モレアは陥落した。翌日、パウロの説得を受けビザンティン帝国は直ちに講和条約を受諾した。 パウロは講和条約を結んだその足でモレア新政府の首脳陣と会談、モレアとの軍事同盟条約も締結した。 かくしてアカイア防衛戦争は終了した。


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