現在進行中のミッション

シエナ破門戦争勃発

1466年3月、第68代ヴェネツィア共和国ドージェ(元首)ヴィターレ・ドルフィン ナーロは、 居室でゆっくりと午後の紅茶を楽しんでいた。 『度量衡の統一』という大仕事を遂げた直後だったので、 少しぐらいのんびりさせてもらってもいいだろう、とゆったりとしていると ドアをノックする音が聞こえた。

「ドージェ、隣国アクイレイアがシエナに対し破門戦争を宣戦布告したようです。」 「神政を行う国は、破門された統治者を許せないようだね。 加勢する国はあるのかね。」 「アクイレイア側にミラノが、シエナ側に教皇領がつく模様です。」 「やれやれ、我が同盟国(※教皇領のこと)を悪くは言えないが、破門した国にローマ(教皇領)が 加勢するなんて、いったいどっちが教皇なのか分からないな。」

「我が国にはこれで大義名分『同盟』が手に入りますが。」 「いや、まだヴェローナの市民には不穏な動きが見られるから、 軍を動かすにはまだ早い。今回は高みの見物といこう。」

戦況は教皇領を味方につけたシエナ側に有利だった。 シエナ領に上陸したアクイレイア軍を全滅させた教皇領軍は、 そのままミラノ領に進軍しミラノ軍も全滅させた。 1467年8月にはロンバルディアを陥落させ、ミラノを完全併合してしまった。

慌てたアクイレイアは教皇領とシエナに講和を申し込んだが、両国とも聞く耳を持たず、 同年12月には教皇領軍がアクイレイア領イストリアに侵攻した。

「まずいな、同盟国にイストリアを取られてはテッラ・フェルマ(本土)となる土地が減ってしまう。」 「とりあえず教皇領軍先発隊は3,000人のようですから、 アクイレイア軍に蹴散らされたようですが。」 「ローマ(教皇領)の連中に北イタリアに出張ってこられてはたまらん。 アクイレイアに宣戦布告を行う。」

1468年2月、こうして第1次フリウリ征服戦争は開始された。

第1次フリウリ征服戦争

第1次フリウリ征服戦争の参加国は以下の通りである。

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国力からいってアクイレイア側には到底勝ち目のない戦争ではあったが、 彼らは懸命に戦った。

1468年3月、我が国の警戒網の隙をつき、プロヴァンス軍はヴェネツィア領クレタに上陸。 すぐさま陸軍部隊を派遣しプロヴァンス軍を壊滅させたものの、情報の伝達が遅かった ことが自領内への敵の侵入を許す原因となったとして、議会で問題となった。

1468年4月、十人委員会はこの問題に対処すべく、 我が国で初めてヴェネツィアに『郵便局の設立』を行った。

【赤いポストが目印よ。】

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≪作者注釈1:郵便局の設置≫  National Focus関連の施政方針。  採用には「統治10以上」「商業8以上」「金銭20D以上」他が必要。  「(その州の)交易収入+10%」「役人+0.05人」の効果がある。

北イタリア戦線では、早々にアクイレイア軍を壊滅させたあとは、 フリウリ、ゲルツ、イストリアを早々に攻囲し、1469年2月に全都市を陥落させた。

こうなればアクイレイアは我が国の『寛大な』条件を受諾するしかなく、 下記の条件で講和が成立した。

この条約により港が増加すると、 北イタリアの港(ヴェネツィア、ゲルツ、イストリア)がテッラ・フェルマ(本土)の恩恵により受ける利益と、 従来からのレヴァント(地中海)貿易に依存する港(ゼタ、アルバニア、クレタ、アテネ)との利益との間で、 利害の衝突が起きた。

いかにテッラ・フェルマを推進するとはいえ、ヴェネツィアの収益基盤はレヴァント貿易に 代表される交易事業にあることを熟知していた十人委員会は、 1469年4月、交易上の利益を保護するため『スタト・ダ・マル』(海の機構)を新たに制定した。 この海の行政機関の制定により、我が国の交易効率は+10%となり、 ますます交易収入が上がるようになった。

【スタト・ダ・マル】

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≪作者注釈2:スタト・ダ・マル≫  ヴェネツィア特有の施政方針。  採用には「港を有するプロヴィンスを6以上保有」が必要。  「交易効率+10%」の効果がある。

第2次フリウリ征服戦争

1474年2月、第69代ヴェネツィア共和国ドージェ(元首)ヴィターレ・スガイナ スフォルツァは、 アクイレイアとの休戦協定が失効すると同時に同国に宣戦布告した。 首都のあるフリウリ地方だけが領土である国を長く放ったらかしにしておくと、 どこの国の領土にされても文句は言えないからである。

すっかり弱体化したアクイレイアに防衛力はほとんど残っておらず、 1474年9月、アクイレイアはヴェネツィアとの完全併合に同意した。

第67代ヴェネツィア共和国ドージェ(元首)アゴスティノ・コンタリーニ アルドブランディーニの 「テッラ・フェルマ演説」から28年、ヴェネツィアはミッションを達成した。

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