見てるだけ

1453年~1500年

1453年 スタート状況

欧州

 HttTの開始は1399年であるが、ノーマル版と比較検討をしたいため1453年開始とする。  ただし、新世界も無いのに地図の伝播で勝手に植民する国があるので、設定は200年とし、幸運の国は、どれが生き残るか見てみたいので、なしとする。  ノーマルでは飛び地のブルゴーニュがつながっている。フランス・ドイツを勢力圏にする諸国にとっては、非常に脅威になるような気がする。また、神聖ローマ帝国のルールでドイツ諸侯の独立がどこまで維持されるかも気になる。  COTの競争率に、派遣している総商人数がマイナスの影響を与えるので、1プロバンスで交易独占による技術逃げ切りが難しくなっていると思う。  ゲーム速度は、ノーマル比べ、格段に速くなっているので、ストレスは溜まり難い。  栄枯盛衰は世の定め。主要国があっさり滅ぶかもしれない。

1470年

1470.jpg

 英仏は100年戦争を一時休戦期間を含みながら絶賛継続中であり、フランスは2,3州増やした程度。  ハンガリーとボヘミアが地味に領土を増やし、オーストリアにとっては、つらいところか・・・  東方では、リトアニアとモスクワが元気よく成長中。今回のプレイでも連携の取れないイスラム勢が厳しい結果となりそう。  ノーマルに比べ反乱軍が強化されているので、反乱が結構頻発しているのが目に付く。  この時点での収入は国土の広い国、収入の高いCOT内の重商主義国家が続く。

 1470年 国家収入

ブルゴーニュカスティーリャフランスオーストリアオスマンヴェネツィアアラゴンアルザスポルトガルイングランドハンザプロバンスメクレンブルグ
 40.0  39.6  36.7  29.2  27.0  24.8  24.5  22.9  21.8  21.7  21.4  21.2  21.1 

 1470年 COTの状況

ヴェネツィアリューベックリグーリアアントウェルベントラキアノヴゴルド
989.3893.0571.2545.9435.5374.4

1470年~1480年 ボヘミアの伸張

ポーランド

 中東欧では、バイエルン、ボヘミア、ポーランド、リトアニア、オーストリア、ハンガリーなどの中規模国家がひしめいており、どの国が抜け出すのか、他の地域の国も注目をしていた。この地域に統一した王朝ができなければ、東のモスクワやモンゴル系王国、南のオスマン帝国、西の神聖ローマ帝国やフランス・ブルゴーニュの草刈場になるだろう。  バイエルンがリトアニアと人的連合を組んでおり、オーストリアが対教皇・イングランド・ポルトガルと対抗するためハンガリー・ヴェネツィアと同盟を組んでいる。  東西及び南を塞がれたボヘミア王は、隣国であり異教徒の侵入に防戦一方で国力が疲弊しているポーランドに目をつけた。折りしも、ポーランド王がクリミアを地方に遠征をしているときであった。  「ポーランド軍がイスラム連合に大敗北を喫した」との報告をうけたボヘミア王は、無慈悲にもポーランドに侵攻をした。  侵攻の報を受けたポーランド王は「ヨハンよ。ポーランドは何をしたのだ。」と天に向かって叫び、兵とともにイスラム連合に特攻し神に召された。イスラム連合の総大将であるクリミアの将軍は、ポーランド王を哀れみ、王の追悼碑を立てた後、軍をまとめて帰国した。  ポーランドの全土は、恥知らずなボヘミア王のものとなる。

ハンガリー

 ハンガリー王は短慮な人であったと言われている。  ボヘミアの恥知らずな行為に対し、同盟国のオーストリアに諮ることなくボヘミアに宣戦布告した。この突然の宣戦布告は、大義はあったものの、あまりにも唐突であったため、神聖ローマ皇帝のバイエルン公だけでなく、同盟国のオーストリアのパプスブルグ伯にも、無視された。  ハンガリー軍は、急な宣戦布告であったために軍の編成が遅れ、士気の上がっているボヘミア軍に各地で討ち取られた。

 時の神聖ローマ皇帝バイエルン公は、「ボヘミアの行為は神への背信行為である。」と考え、破門にした上で成敗する予定であったと言われている。ただし、教皇への使者がバイエルンから出立した記録はあるが、ローマに到着したと言う記録は無い。何らかの理由で、途中で引き返したのではないかと思われる。  バイエルン公は、帝国の秩序を維持するため、ハンガリーの行為を「私闘」と認定し、ボヘミア王がこれ以上の領土拡張を行わないと宣誓させたうえで、和睦を仲介した。  この後、ハンガリー王は、伯に格下げされた。

フランス地域 天王山

フランス

 「いったい何が起こったのだ。説明しろ!!」  老若を問わず無能な貴族の集まりなのだ。陣幕の中で明快な答えを出せるものがいないことは、叫んだ本人も自覚している。でも、叫ばずにはいられないのだ。  話は3ヶ月ほど前にさかのぼる。  ブルゴーニュ公からフランス王に奇妙な贈り物が献上された。大きさは約10cmの巻貝が真ん中に埋まっている四角く平べったい石だ。  エスカルゴ好きの王でも、石は食えないし、そもそも、この貝には中身がない。  貝以外の部分は、触ればポロポロ崩れるほど脆く、鹿の頭の様に飾ることも不可能だ。  王は、珍妙かつ用途もわからぬ物を贈って来た公の意図がわからなかった。家臣に意見を求めたが、王よりも愚鈍な家臣達から明快な答えは無かった。  適当な解釈が出ては消え、時だけが無駄に流れた。  答えが出ないことに業を煮やしたのか公の使者が答えた。  「貝は大きいですが中身がありません。貝の周りの石は、あまりに脆く貝を支えるだけの能力がありません。貝は王、石は家臣を示します。」  王は、使者を生きたまま釜茹でにするよう命じた。


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