Httt西欧化条件(まずは中国→ムスリム技術グループ) 中央集権と地方分権が-1より小さい 革新主義と保守主義が-2より小さい 安定3以上 元首の行政能力6以上
サハリン、クリル、台湾など可視範囲にある空白地への入植は進めるが、入植者の供給源は沿岸部の交易中心地による年+0.1効果のみ。よって入植は遅々とした歩みである。
1399年、私は22歳の後小松天皇になっていた。いわゆる転生である。元々、この体に宿っていた魂がどこに行ったのかは、考えると負けな気がするので考えないこととする。ちなみに、彼は歴代第100代の天皇だ。
ゲーム開始直後に始めるのは琉球侵攻である。 確かに「文明国には宣戦しない」と宣言したが、沖縄は日本文化だし、未回収の日本を回収しただけですので悪しからず。 明が琉球の独立保障をする前に宣戦、占領後併合した。
1400年 沖縄の異教徒たちが真の信仰に改宗しました。 1403年 蝦夷地の異教徒たちが真の信仰に改宗しました。
史実では1433年に崩御した後小松だったが、この世界では1407年、30代になったばかりで流行り病にかかって私は二度目の死を迎えた。まだ蝦夷のレベル1防御施設を整え、宣教師を派遣して蝦夷と沖縄に神道を布教しただけだ。史実から一歩も拡大しないままでこの世を去るのは残念だ。
サハリン獲得。
1419年、私は元服したばかりの称光1世に転生していた。 後小松から称光1世までの空位の12年間で、わが国は北方に固有の領土を獲得、日本列島は南北に長くなっていた。これでオハの油田は日本のものだ。将来の禍根をわずかに取り除けたようだ。
1420年、ついに一個目のナショナル・イデア「植民地探検」を獲得。もはや入植者不足は過去のものとなった。内政は優秀な★5クラスのアドバイザーを雇用して順調である。安定度は+3、積み上げた財貨は998ダカットに達している。 1424年、のちの間宮海峡を哨戒していたわが国のガレー船は大陸北方にデレンを発見した。直ちに入植はしない。まずは台湾-スールーの順に入植し、かの地の中核州化を急ぐ。 補給線の届く範囲のプロヴィンスにしか入植できないためだ。南方に中核州を獲得し、将来のオーストラリア植民に備えるのだ。
1419年 クリル獲得。 1430年 台湾獲得。 1440年 スールー獲得。
「国の焦点」の補正効果、植民地成長速度+50%を活用し、最低限のコストで植民地を次々と建設していった。
1451年 デレン獲得。 1464年 ポッセ獲得。 1468年 サハリン・オウラ獲得。
インド亜大陸はデカンが統一、北米ではチェロキーが巨大化していた。この世界ではプランタジネット朝が元気いっぱいらしく、フランスのイングランド領は健在である。カスティーリャはモロッコ、アルジェ、マムルーク朝を駆逐し北アフリカ一帯を領土としている。他人事ながら、カスティーリャによるムスリムのマネジメントが心配である。
50年前に入植したクリルはわが国の中核州となった。完全に二次大戦前の日本を越えた。だがまだだ。俺たちの戦いはこれからだ! と、握りしめた拳を胸に叩きつけた瞬間、私の世界は暗転して三度目の人生が終了した。
1479年 アルバジンスキー、ウズコエ獲得。 1489年 ネルチンスキー獲得。 1490年 メナド獲得。
順調に北方領土拡大中。 崇神はあまりにも皇太子期間が長かったせいか、先代に比べて短い治世であった。四度目の人生が終了した。
1498年 ジュクジュル獲得。 1507年 パプア獲得。 1513年 カガヤン、グアム獲得。
カスティーリャはポルトガルを併合し、アゾレス諸島の所有権も移動した。 これでアゾレス諸島のカスティーリャ中核州化が遅れ、彼らの北米大陸進出も遅れるとみられる。
1517年、交易レベル7、統治レベル9に到達。新しいナショナル・イデア、つまり国策スロットを獲得する条件が整った。交易レベル7は、国策「新世界の探索」の入手条件である。これで征服者や探検家を世界中に派遣し、思うがままに土地を手に入れることができる。 とはいえ、財政的には心配があった。一時は1000ダカットを越えていた国庫の財貨は470ダカットにまで減少していた。陸上兵力37個連隊、艦艇13隻、維持費は50%がデフォルトなのだが、植民地の維持に多額の出費が続いていたためだ。