しばらく束の間の平和な時が訪れた。 東の満州でナショナリズムが沈静化し安定してきており、大きな反乱はあまり起こらなくなってきた。 さらに改宗もいくつか進み、徐々に満州側での収入が増えつつある。 一方西のカザフスタンは敗北以来反乱を鎮圧できず、遂に新オイラト族の独立を許す。 モンゴル族統一を目指し、さっそく宣戦布告し、統一を目指す。 平和と戦時がすぐに切り替わる。これが遊牧民の生活スタイルである。
あっさりと新生オイラトを完全制圧したものの、 このオイラト戦の最中ついに豪将カイシャン将軍も亡き人となった。 彼こそは中興の功臣、彼がいなければ今のモンゴルはなかっただろう。 もう40代になったハンクルボルギジン・カーンがその葬儀を執り行う。 その息子トルイももう14歳、成人を迎えようとしていた。
筆頭将軍はかつて若き頃チャガタイに辛酸をなめさせられたエルベグ将軍にその座が譲られる、 その副将としてアルスラーン将軍(2/4/2/1)が就任した。 一つの時代が変わろうとしてた。
新オイラトは完全に屈服、その支配下にはいった。 民族統一を目指した我らモンゴルだが、遂にチャガタイ汗国のみとなる。 5年に1度の明との茶番、すなわち新たな朝貢の契約更新をこなしつつ、 ついにチャガタイ汗国に正式に宣戦布告した。
予想通り相手の中央アジア系遊牧民連合が立ち上がる。 欧州やインド、中国の定住の者どもからみればどれも遊牧民族は同じでお互いが仲間だと思っているだろうが、それはとんでもない認識違いである。 遊牧民は大きく分けて、今4つのグループに分かれている。
一つ目は極東系騎馬民族、すなわち我らが東アジア系のモンゴル族。 民族統一を目指し西進している。
二つ目はロシア系騎馬民族、つまりロシアに根を下ろす持つキプチャク・ハン国だ。 彼らは西進を続けヨーロッパを奪取するべく東欧で激闘を切り広げている。 彼らにとっては中央アジアの同胞同士の争いにできる限り煩わされたくないらしく、 出張ってきたことを見たことがない。
3つ目はインドを狙うティムール朝。 分裂を繰り返しつつも、南方のインド、ペルシャ、バルチスタンと戦争を繰り返している。 基本的にはその他の遊牧民同士の戦いには首を突っ込まない。 すぐれたイスラム技術を持ち王朝の体をなす彼らにとっては敵はインドやオスマンであり、 キプチャク同様、北の同胞たちの小競り合いなどどうでもいいことなのかもしれない。
そして4つ目、中央アジアで暮らすいわゆる遊牧民のカザフスタン、ノガイ、チャガタイといったグループ。 こことわがモンゴルは血で血を洗う戦いを繰り広げている。
先のオイラトの併合により、南にも経路ができた。 すなわちチベットを抜き、インドに抜けるルートである。 しかしチベットは同じ仏教徒だがインドは完全に異教徒で異文化。 ただでさえ困窮し日々インフレがうなぎ上りに上がっている我らにとっては荷が重い。 一方西に関して言えば、天山山脈まではモンゴル文化圏の上、さらに先も同グループ文化なので あまり収益の上がらない土地だがその分も加味し勝負できると判断した。
ここは中期的な戦略としては西進策を採ることにする。 長期的に明を打倒する力を得るために、中央アジアの覇権を握ることは必要なのだ。
チベットは鎧袖一触撃破し、あえて残して朝貢を月1.2Dおさめさせている。 今のところ、概ね月3.5Dの朝貢を明に対して行っているので、朝貢の額を減らす効果がある。 これにはけっこう大きな意味がある。
朝貢とは一般の会計の外で行う特別会計のようなもので、すべてを計算した上で引かれるものだ。 つまり永続する分割払いの賠償金と同じものだと思っていい。
「会計に含まれない」という事は、朝貢のマイナス分はインフレの高まる現金化を行って納めなければならないということだ。
我らは月に+3.0の朝貢を明に対して行っている。 額自体は年36Dとそれほど大きいものではないが、インフレの上昇がかなり早まってしまう。 そこでその負担をチベット君に補填してもらおうというわけだ。 上前をはねてそれをさらに献上するというなんとも情けない話ではあるが、遊牧民の生活の知恵と思って我慢の子である。