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28歳で王位を継いだルイ=11世・ド・ヴァロワ(4.4.6) 息子シャルルは聡明そうなので、次代に期待したい。
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1429年7月 ブラバント降伏、属国化。 大学のあるプロヴィンスを持っているので、早めに併合したい これで悪評16.9
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1430年12月 開戦から3年後の戦況
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首謀者アラゴンはすでに戦闘不能 和平の申し入れが毎月のようにやってくるが、黙殺する
アヴィニョンが追加で参戦してきたので、こいつの処理に迷う。
こいつは、うちが四方を取り囲んでいる(予定)から、大体敵に回るし 防衛施設3を初期から持っているので、瞬殺して黙らせるのが難しい めんどくさい奴なんだよなぁ。
よし、後顧の憂いはここで絶っておこう。 これで悪評19になり、アラゴンの賠償で土地を奪うのは断念せざるおえないが 仕方あるまい。
治安部隊をそっちに回すのも大変だし イベリア半島からは、今回は土地を奪わないこととする。
そのアヴィニョンの降伏を待ってさらに1年後。 1432年1月
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カスティーリャと和平 内容は賠償金と同盟の破棄という、きわめて軽い処置
カスティーリャ首脳部からは 「これなら3年前に和平してくれてもよくね?」との声が上がったが 今回は半分、戦闘そのものが目的だったからねぇ。(こっちから宣戦したわけじゃないけど)
こうやって叩いておけば、インフレは進むし技術開発は遅れるしで 海外進出に支障をきたすであろう。と、期待したい。
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2ヶ月後、アラゴンと和平 けっこう金を持っていたのが救いだが、もうちょっと懲らしめてやりたかった。 悪評18点がうらめしい。
いっぽうそのころ いくつか上陸部隊を叩いたイングランド戦
スコットランドとの休戦協定5年間の期限切れを前に、首脳陣はあせっていた 結果
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戦勝点11点に対し、20点条件での和平。 うちのプロヴィンスそっちのけで、ポルトガルとウェールズ所有の 本土の中核を外す。 しかも片方ずつ。
これで、遺恨は残るわ、片方しか再征服できないわで、散々であろう。
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この戦い以降、フランス本土の領有権をめぐって イングランドが戦いを仕掛けてくることは無くなった
このカレーの奪還をもって、100年戦争の幕は閉じたのである。 1432年、11月のことであった。
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次のターゲットはミラノである。 マントヴァ、フェッラーラを併合して波に乗っている、帝国内の強豪だ。
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尚、用済みのスコットランドとは、あっさり手を切った。 お呼ばれしても困るのでね。 ブリテン島の支配者になれるかどうかは、君次第だ。
続く