ヴァロワ王家の断絶により、フランス国内は動揺した。 絶対王政を確立し、MAX中央集権化していたのだから、当然である。
いったい誰が、この広大にして強大な国家の実権を握るのか。
国内の貴族はもちろん、議会、官僚、教会関係者、地方商工会ギルド・・・ それぞれの利害によって手を組み、分裂し、派閥を作って、フランスは分裂するかと思われた。
だが、
すでに貴族中心の国家ではなく(+2)軍は貴族の私兵であった時代はとうに過ぎ去り、 しかも師団化されていたので、最強の勢力というものは存在しなかった。
また教会は、教皇ですらフランスの属下におかれて久しく、何の権限も持たず。 商人達はそれぞれ、自らの交易中心地の保護だけ考えていた。
つまり、どの勢力も強くなかった。
さらに言うなら、どの勢力も現状維持をこそ、望んでいたのである。 安定度プラス状態が200年も続いた国家なんて、こんなもんだろ。
てなわけで
旧王朝と(カスティーリャ王朝も)姻戚関係にある貴族の中で、 人脈と能力に薄く、無害そうな人物を、とりあえず王位につけることにしたのである。
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ヌフヴィル朝はこのような背景にて誕生した。 国王、フランソワ1世は、文句のつけようのない、お飾り元首である。
こんな脳内補完でいいのかな。まさかこんなクソ元首寄越されるとわ。 まぁ、起こってしまったことは仕方ないので、続けます。 ちなみに、カスティーリャの継承も無し。当然か・・・。
それから2年。 いまだ正統性は33しかなく、国内に火種が燻っている状況。 しかし、悪評が下がってきたからには、侵略せざるを得ない宿命にある。
だが、神聖ローマ帝国とガチでまたやりあって、長期化>厭戦まみれとなれば それこそ国家分裂の危機に陥る。
そうなると、やるべき事は一つ。弱い者イジメである。
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いまだに北アフリカに居て目障りな、モロッコ、アルジェ、トリポリを潰す。 あと、メッカ征服して宣教師増やしたいので、イエメンを殴る。
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この時期、この状態でイスラム殴ると、どうせ、いもづる式に交戦国増えるので ならばいっそ、殴りたい国家全部に聖戦をしかけます。
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1629年11月 後継者フランソワ誕生
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息子は有能なようなので、今すぐ成人して継承して欲しい。
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1年後、イエメンから5領奪って、悪評合計18.6
計1年半くらいでカタがついた。
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とある理由から、ワラキア領を手に入れておきたいので、 ついでにカラマン、メンテセ、イエメンを殴ることになった。
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やはり1年後の8月、全部合わせて悪評21.5。 いまだオスマンとか生きてて不満だが、この世界では仕方ない。
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太平洋沿岸も、ほぼ全て殖民完了。 しかし、イングランド植民地への密偵の失敗が続き、独立しかけ・・・ やはり元首が無能だと、全てが滞る。
やむなく、戦争して破壊することに決定。
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ハノーヴァーが現在皇帝やってて、そこから警告を受けていたが、参戦無し。 マクデブルクは属国にでもしておいてやろう。
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イングランド主力艦隊をゴールドコーストにて捕捉。 技術差あるし、余裕ぶっこいてたら・・・
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主力の大型艦30隻、まさかの全滅。 提督つけていたけど、機動が無かったか~。 あと、軍事3のクソ元首のせいだな。
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そんなこんなで、1650年の状況まとめです。
続く