プレイレポ/ボルジアの血族

第ニ章へ

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伝 フェデリーゴの肖像画

小話:ルクレツィアの死

1535年夏。 この頃、前摂政ルクレツィアは流行り病を得て表に出なくなる。

床に伏しがちとなり、 顔色はそれ以前の美しい白肌と比べても一層白く、 透き通る程になっていた。

熱に苦しみ、また咳き込みがちではあったが、 不思議と当人の心持ちは明るかったようだ。

うわ言も苦しみを訴える内容のものではなく、

「もうすぐ、もうすぐまた会える・・・・・・」と 喜びの色のあるものだったらしい。

その死の直前、フェデリーゴ公が彼女の元を訪れて人払いをし、 長い時間語り明かしたとの記録が残る。

その内容については同時代ですら不確かな推測に依るしかなく、 今となっては完全に失われてしまっている・・・・・・

第一節

コンドゥルメ元帥.jpg

親政の開始後、フェデリーゴが直ちに始めたのは軍制の改革であった。

フランス-アラゴン両国によるナポリの再征服時、 壊乱するナポリ王軍にあって独り気を吐き、 大いにフェランテ王の延命に貢献した後、 その罪状によって追討を受け亡命してきた、

ナポリの有力貴族コンドゥルメ家の当主、 フランチェスコ・マリーア・コンドゥルメを*1元帥に任命し、

外征に耐えうる軍の構築を模索する。

コンドゥルメ元帥晩年の肖像

それまでのウルビーノ軍の編制は、 ヴェローナの戦い*2での戦訓を受けて、 野戦砲――支配下にあったフェラーラの工廠で盛んに製造されていた――を核として中央部に置き、 それを槍兵や銃兵が守護するという、 さながら移動式の要塞のようなものであった。

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この編制は防御力が極めて高い特徴を持ち、 同数か、やや勝る程度の敵に対しては殆ど被害を出さずに退けている。

野戦後、都市城塞の包囲の段階になると大砲は絶大な効力を発揮し、 包囲戦を主とするイタリア内での戦争においては大変有効な編制であった。

第二節

一方、コンドゥルメ元帥の提言は機動力重視であった。

元帥がナポリ戦争で圧倒的に数において勝る敵軍をしばしば撃退したのは、 迅速に移動し、敵の防備が薄い箇所に部隊を集中させて 初撃で相手の指揮能力に損害を与え、 追撃戦にて戦果を拡大するという戦術によるものであったらしい。

先の編制は防御力こそ高いものの機動力には乏しく、 相手が敢闘精神に欠ける傭兵主体であったこれまでは 防御して居れば相手が攻めあぐね、砲の効果もあり敵を撤退させられたものの、 より強い敵軍と戦うにあたってはそうは行かない、と言うのである。

この提言に、当時、急速にマスケット銃が普及装備となって 銃を主体とした戦術が現実味を帯びたことが加わり、 フェデリーゴはそれまでのものとは全く異なる編制を考案する。

元来は歩兵中の7割程を占めた防御用の槍兵の規模を 5割弱程度にまで縮小。 その主任務を敵軍が崩壊した後の追撃用と定めた。

残りを火器で武装した銃兵とし、 槍兵と銃兵の比率を逆転したのである。

また、鈍重な砲兵の随行は取りやめとし、 状況に合わせて機敏に展開可能なように 移動速度に重点を置いた軽装が主体となった。

隊列.png
2通りの隊列の図。槍兵が最外部を取り囲んでいた以前の構造に対し、
防御力は下がるものの移動の自由度を獲得した。

また、フェデリーゴは、銃兵に単に斉射させるだけであったのを改めて 背面行進と呼ばれる戦術を編み出した。

まず、前列の兵が斉射した後、 その兵はその場に留まって装填するのではなく、 最後尾に移動してから装填を行う。 その間に後列の兵が進み出て斉射して交代、 また次の列が……と繰り返すのである。

これにより間断なく銃撃を行うことが可能になった。

マスケット銃兵.jpg
マスケット銃兵の装填の様子。当時の銃は装填に時間がかかり、
フェデリーゴの革新以前は密の高い弾幕を形成することは不可能とされていた。

フェデリーゴ自身が頻繁に訓練に参加して兵に親しまれることで忠誠心を獲得し、 このような部隊行動を行うための高い練度を成し遂げたとの逸話が残っている。

第三節


*1 ゲーム内では、庶子故にLegitimacyが低いので雇ったGrand Marshal
*2 第一章参照

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