1531年の「大改革」で上告禁止法が布告されて以来、 ヴェネツィアでは、宗教に関する最終権限は国家にあるとされた。 それまでも、宗教裁判に対しても政府の裁判官が是としなければ、 その判決は無効となるのがヴェネツィアの裁判であったから、 権限が国家に移っても違和感はないはずだが、市民感情としては受け入れがたいものがあった。
「神のものは神のもとに、国家のものは国家のものに」 聖書の言葉ではないが、政教分離がごく当たり前に浸透しているここヴェネツィアでは、 政府による過度の宗教介入も、神から見放されるのではないかと快く思われていなかったのである。
そのような考えを持つ一人であった第77代ドージェ(元首)マルコ・ドルフィン・ゴンツァーガは 1560年の選挙で当選すると、すぐさま顧問団に神学者ドメニコ・プリウリを迎え入れた。
ドメニコ・プリウリがまず手始めに行ったことは、上告禁止法を廃止*1し宗教問題の最高決定権を 教皇に返すことであった。
【上告禁止法廃止】
また、大司教区を設立*2し、エーゲ海全域にカトリックの教えを広めるのに貢献した。
【大司教区設立】
彼の教義は正当性よりも自由を重視する立場であったから、 改革派やプロテスタントほど過激にはなれなくとも、商業を是とする彼の主張は、 我が国の神学議論に大きな影響を与えた。 政治的な功績とあわせて、国中に評判が伝わったのであった。。
【有名人】
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