【好景気】 第75代ドージェ(元首)レオナルド・バリラ・ロッキが行った大改革は、1539年以降になり、ようやくその効果が目に見えるようになった。
1539年は、統一的交易方針がうまくいったおかげで好景気に沸き、交易効率がさらに上がった。
【市場】 1444年になると、自然発生的に 「各地でも日を決めて商売人が集まって物を売れば、便利じゃないか?」 という声があがり、『市場』*1がたつようになった。
【海外進出】 また、海外進出に目をむけ自由貿易主義を推し進めた結果、海外の貿易中心地に商人が進出しやすくなった。
【運河建設命令】*2 1445年になると、 「陸地でももっと楽に商品を運びたい!」 という声が強くなり、国内で初の運河が建設された。 (もともと、ヴェネツィア自体が運河みたいなものなので、本物の運河を作るのは容易であった。)
【やっぱ環境が良くなきゃね】 このように商業を行いやすいインフラを整えたおかげで、他国の商人がヴェネツィアに関心を示すようになった。
【いつの時代も都会がいいんだなぁ】 商都ヴェネツィアに関心を示したのは商人ばかりではない。 都会に憧れるようになった地方の農民も、ヴェネツィアに移住するようになった。 そのおかげで、短期的には地方で混乱が起こったのであるが・・・。
努力すればするほど暮らしが良くなる、ヴェネツィア市民にとっては良き時代であった。
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