国名 | 収入 | 技術レベル | 陸軍 | ||||||||
統治 | 交易 | 生産 | 陸軍 | 海軍 | 歩兵 | 騎兵 | 砲兵 | 人的資源 | 合計 | ||
満州 | 627.3 | 9 | 6 | 7 | 7 | 6 | 13563 | 6730 | 0 | 42732 | 20293 |
ノガイ | 214.5 | 4 | 5 | 5 | 5 | 5 | 14000 | 4000 | 0 | 34780 | 18000 |
シビーリ | 63.1 | 4 | 4 | 5 | 5 | 5 | 2876 | 0 | 0 | 10352 | 2876 |
カザフスタン | 75.6 | 4 | 5 | 5 | 6 | 5 | 5000 | 0 | 0 | 13528 | 5000 |
チャガタイ | 79.9 | 5 | 5 | 6 | 5 | 5 | 2000 | 2000 | 0 | 3186 | 4000 |
明 | 1626.4 | 6 | 7 | 8 | 8 | 7 | 47559 | 72901 | 0 | 120422 | 120460 |
朝鮮 | 172.0 | 9 | 10 | 8 | 9 | 8 | 17000 | 3000 | 0 | 30260 | 20000 |
チベット | 118.7 | 8 | 10 | 8 | 8 | 8 | 4000 | 0 | 0 | 7688 | 4000 |
コラサン | 70.5 | 9 | 12 | 10 | 11 | 10 | 8000 | 1000 | 0 | 17264 | 9000 |
皇帝:「世界の全容が分かるようになったの。」 臣下:「1549年11月、他国から『地図』が伝播し、今まで不明だったノガイ、シビーリ領の全容が判明しました。」 皇帝:「ノガイ領は思った以上に広いの。」 臣下:「東欧につながっていると思っていたシビーリもノガイに邪魔されていますね。」 皇帝:「そなたのいう東欧の文明国とやらはどれのことじゃ。」 臣下:「ノガイの左上にあるトヴェリ公国のことです。」 皇帝:「結構遠いがゴールが見えてきたの。」
1548年11月、ケレイを領土化した瞬間に空白地帯に突如出現したシビーリは予想外の敵であった。 他の遊牧民族と全て休戦し全戦力をシビーリに投入、開戦から2年後の1500年にシビーリ軍を全滅させた。 そして、1500年中に全領土を占領した。 やはり戦力集中は大事である。
1553年後半から1554年前半にかけ、5年前に休戦した3ヶ国との戦いが始まる。
【各国軍事比較(1554年1月1日現在)】
国名 | 歩兵 | 騎兵 | 砲兵 | 人的資源 | 合計 |
満州 | 14735 | 6655 | 0 | 43298 | 21390 |
ノガイ | 29307 | 8930 | 0 | 33062 | 38237 |
カザフスタン | 6000 | 0 | 0 | 13552 | 6000 |
チャガタイ | 0 | 0 | 0 | 3186 | 0 |
いまの兵力で特にノガイとぶつかるのは愚の骨頂である。 そこで、以下の方針のもと各国にあたることにした。
(チャガタイ)全土を占領して領土化 (カザフスタン)キプシャクを占領した後すぐに休戦 (ノガイ)カザフと休戦するまではこちらから仕掛けない
1554年5月、キプシャクを占領したのですぐにカザフスタンと休戦。 タシケントにいたノガイ軍に兵を向け皇帝愛新覚羅タイズゥ1世の戦死とともに辛勝するが、 旧シビーリ領で反乱が頻発したため、敗残兵を追うことができず鎮圧に向かう。 その間に、ナディムとチュイを落とされてしまうが、1557年には占領軍を全滅させて領土を取り返した。 その後はなぜかノガイが攻めてこなかったので、フェルガナを落としたところでノガイと休戦した。
別働隊は、もはや国家の体をなしていないチャガタイをゆっくりと落とし、領土化を開始した。
1559年、カザフスタンと休戦明けとなり戦端が開かれる。 今度はノガイと休戦中の間にぼこぼこにする予定である。
【軍事比較(1559年5月14日開戦時)】
国名 | 歩兵 | 騎兵 | 砲兵 | 人的資源 | 合計 |
満州 | 16000 | 7000 | 0 | 43436 | 23000 |
カザフスタン | 8000 | 1000 | 0 | 13578 | 9000 |
奴らにもぼこぼこにされる予感があったのか、5年前に較べて兵力を増強してきている。 だが、2倍以上の兵力差で勝てるわけがなく、開戦して1年たたないうちに全軍を全滅させ領土を占領した。
1563年、ノガイと休戦明けとなり戦端が開かれる。 ノガイとタイマン張るためにシビーリ、チャガタイ、カザフスタンを押さえたのだからここは正念場である。
【軍事比較(1563年7月6日開戦時)】
国名 | 歩兵 | 騎兵 | 砲兵 | 人的資源 | 合計 |
満州 | 22000 | 10000 | 0 | 43192 | 32000 |
ノガイ | 3000 | 1000 | 0 | 43716 | 4000 |
気合入れて兵力増強したのにノガイのこの兵力の少なさはどういうことだ。 どうやら北部の方で反乱が起こって鎮圧に兵力を割かれたらしい。 おまけに、つい最近までボヘミアに喧嘩を売っていたらしくぼこぼこにされたようだ。 敵のピンチは我が軍のチャンスである。
1569年、ようやくノガイ全土を占領。 しかし、反乱軍が竹の子のように湧いてきて鎮圧が大変である。 こんなに広大な領土は必要ないのだが、リャザンにぶつかるまでは我慢の子である。
1577年、ノガイで首長が死亡し部族継承紛争が起こる。 とはいっても首長はいないも同然なので、被害を被ったのは占領を続けている我が国であった。
なかでも一番大きい勢力はカーウルザマに集まった反乱軍で、その数約53,000人。 これでは下手な戦争をやっているよりよほど大変である。
1つ1つ片付けながらも、すべての領土が欲しいわけではないので、 他の国が成立しそうな反乱軍は放っておいて、独立させる戦略を取った。 この時期から約15年は国内の安定度も下がった時期であり、反乱鎮圧に力を注いだ時期でもあった。
1575年、突然、西欧化(イスラム化)*1実施可能のフラグが表示される。
皇帝:「東欧の先進国とやらにぶつかる前に、なぜ突然『西欧化』できるようになったのじゃ。」 臣下:「隣国のコラサン(イスラム教)との技術的差異が25以上になったようですね。」 皇帝:「我が国の技術は、陸軍8・海軍7・交易7・生産7・統治9じゃ。 一方、コラサンの技術は陸軍16・海軍11・交易14・生産13・統治9で、 どの技術も25以上開いておらんではないか。」 臣下:「合計値ですと、我が国38、コラサン63となるので、技術的差異は合計値で判定されるようですな。」 皇帝:「なんにしてもめでたい話じゃ。」
皇帝:「西欧化を導入すると、施政方針に「帝国主義導入」*2の選択肢が出てきたがこれはなんじゃ。」 臣下:「我が皇帝、西部・オリエンタリズム・イスラム教文化圏で用いられている『帝政』*3という政治体制に変更するためのものです。 これを選択すれば中央集権をさらに進めることができ、我が皇帝の権威もますます向上するでしょう。」 皇帝:「そうか。では次に狙うのは帝政化じゃな。」
安定度の回復にひたすら努め、1580年、満州は帝政へと移行した。
臣下:「我が皇帝、新帝国設立おめでとうございます。」 皇帝:「うむ。」 臣下:「従来の専制君主制では中央集権のリミッターが-2でしたが、帝政では-3となりましたので、 軍の近代化(イスラム化)実行に必要な-3まで中央集権を進めてもペナルティを取られなくなるのです。」 皇帝:「そうか。じゃが、わしは難しい政治は苦手じゃ。そんなことはせんでもええ。」 臣下:「・・・我が皇帝の御心のままに。(文武両道の誉れ高い皇太子の代に期待するか)」
1588年、先帝の崩御とともに皇帝愛新覚羅ヤンジョン1世(行政7/外交3/軍事8)が即位する。 彼は、その軍才を生かし「八旗創設」*4及び「民兵法の可決」*5を行った。 さらに、民兵法の可決で中央集権化した権限を生かして「軍の近代化(イスラム化)」*6を実行した。
しかし、あまりの急激な変化についていけない者は多く各地で暴動が頻発、 肥大化した帝国でこれらの暴動を鎮圧するのは多大な労力を要することであった。 1590年、皇帝愛新覚羅ヤンジョン1世は過労で倒れ、在位わずか2年でこの世を去る。 若くして世を去ったこの皇帝には不幸なことに子供がおらず、ここに愛新覚羅家は断絶する。
以降、満州国は愛新覚羅家の遠戚であるホイ家が継承していくことになる。
ホイ家は古くから愛新覚羅家を支えてきた家柄であり、生産・交易関係の政策を担ってきた。 非遊牧国家でありながら遊牧民的気質を有しているこの国で、 「国力増加には経済的な裏付けが必要である」という珍しい考えを有しているこの一族は、 皇帝になる前から様々な施策を担ってきた。
1569年、牡丹江に「交易中心地」を設立*7。 1576年、地方施策方針として「測量単位の統一」*8」を実施。 1598年、第3の国策として「統一的交易方針」*9を選択。 同年、施策方針として「専売条例の布告」*10を実施。 同年、施策方針として「輸入法の可決」*11を実施。
これらの政策はなんの脈略もないように見えるが、 「専売条例の布告」では「交易効率+50%以上」であることが条件の1つであり、 早めに条件をクリアするためには「測量単位の統一」と「統一的交易方針」の導入が必須である。
また、「輸入法の可決」は「生産効率+50%以上」「交易中心地を有していること」「統一的交易方針か合理的商慣習を国策にしている」が条件となる。 「生産効率+50%以上」の条件を早めに満たすには、「測量単位の統一」と「専売条例の布告」の導入が鍵となる。 「交易中心地」設立には金500という大金が必要なため、他の交易中心地で交易額が800を超えた時点ですぐに資金を貯めた。
「第2の国策までに『統一的交易方針』が選択できれば、「測量単位の統一」の時点で経済効率を上げることができたのだが。」 後年、皇帝ホイファファンツァ1世は残念そうに人に語ったと言われているが、 革新主義の追及や宣教師の確保が重要な我が国でそれを実施するのは無理であったであろう。 こうして、きたる17世紀に向けて満州は地盤を固めていったのである。
1554年、海の向こうにある日本(ジーペン)を、カスティーリャという西方の国が発見したらしい。
1560年の満州地図。
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