シャルル4世は、国威の回復という父の代からの大事な仕事に取り組んでいた。休戦のために負けを認めるという方法をとったために、プロヴァンスの国威は堕ちるところまで落ちていたのだ。 我が子ルイスに預けた探検事業が心配でないことはなかったが、親らしい心配などしていられるほど状況はゆっくりとは動いてはくれなかった。 それに、探検事業の後方支援は若いリベルタ卿に預けてもよいだろう。ルイスと共に政権入りしたジョルダン・ド・リベルタという青年、彼は拾いものだった。リベルタの爺さんが見込んだだけのことはあったということか。
1420年代後半の西欧はミラノとイングランドがガリアに勢力を伸ばし、四苦八苦するフランスを神聖ローマ皇帝がつつきまわして出来上がった小国乱立状態であったが、一時は強盛を誇ったミラノが教皇から破門を通告されると、オーストリアがミラノ支配下のスイスへ兵を進め、勢いに乗って旧サボイ公領を席巻した。ミラノはスイスとサボイの独立を約しオーストリアに屈した。 ミラノの領地はスイス、サボイの独立で東西に分断された。度重なる戦争で疲弊したミラノに、破門を理由にモデナとマントヴァが宣戦した。ミラノは敗色濃厚で、とてもサボイよりも西の領地に構ってはいられないように見えた。 プロヴァンス伯シャルル4世はこれを好機とみた。ミラノの危機的状況は、プロヴァンスにとってみれば国威を回復する絶好の機会であった。 分断されたミラノの西側は、ドーフィネ、リヨン、オーヴェルニュの3州である。オーストリアと同盟中のスイス、サボイがミラノの通行を許可するとも思えず、万が一許可したとしてもモデナ軍との戦いで手いっぱいのミラノにこちらに回す戦力はあるまい。西の3州を抑えたところでドーフィネの割譲を要求すれば、ミラノは受け入れるだろう。
シャルル4世はミラノの形勢不利と見るや即座にドーフィネの返還を求め宣戦布告した。同盟国であるイングランドとブルターニュは参戦しない代わりに戦費の援助を申し出た。軍を動かさないというのは事実上の同盟の不履行であった。かの島国ときたらなぜこうまで狡猾なのか。シャルル4世は軽い憤りを感じたが、あえて抗議しなかった。先のアヴィニヨン再征服戦争の折、イングランド軍と占領競争をして戦争が長引いた経験がある。今回のような勝てる戦いではあえて競争相手はいないほうがいい。それに戦費の援助はプロヴァンスにとってありがたい。
エクサンプロヴァンスを発してドーフィネまでの道のりは軍の行軍にとってもそう長いものではない。エクサンプロヴァンスから半月もあればドーフィネに軍を展開できる。 史実では後世ナポレオン街道と呼ばれるエクサンプロヴァンスからドーフィネ州の首府グルノーブルへ通じる道をシャルル4世は北へと軍を進めていた。右手にはプロヴァンスから見るよりも大きく迫ってくるように見える大アルプスを背景に小ぶりなロマネスク様式の教会が見える。 生まれて初めて訪れた土地であるにもかかわらず、この地は懐かしい雰囲気を伝えてくる。現代の南仏と呼ばれる地域をオクシタニアどいうリージョンで分けることがある。オック人と呼ばれるプロヴァンスと同じ言葉を話す人々が住む地域だ。オック語の歓迎を受けていたこともその一因であろう。オック語は父シャルル3世の代まで全く知らぬ言語であったはずなのだが、現王シャルル4世には聞きなれた言葉であった。 シャルル4世はまもなく、彼が生まれる前から彼の物であったはずの土地で、彼のものであるはずの街を攻囲させることになる。
アルプス山脈の麓、イゼール川と支流の分岐点に位置し、周囲を大きな岩山で囲まれたグルノーブルは天然の城塞である。4世紀にグラティアヌス帝がこの地を訪れグラティアノポリスと名付けた。ローマ帝国の崩壊後、この都市はブルグント王国の支配下に入り、その後フランク王国のクロテール1世によって征服された。20世紀には第10回冬季オリンピックが開催された場所でもある。シャルル4世の軍はほとんど抵抗を受けずにグルノーブルを攻囲することに成功していた。現代のグルノーブルの観光名所でもある山岳城塞のバスティーユ城砦/Fort de la Bastille (パリにあるかのバスティーユ牢獄/Bastille Saint-Antoineとは別物)はこの時期まだ完成しておらず、ミラノ僭主の代官は町を盾に立てこもるよりなかった。 包囲が完了しても一向に攻め入る様子を見せない王に、連隊長の中にはこの程度の小城なら突撃して踏み潰せましょうぞ、などと具申してきたものもあったが、同胞の解放を掲げた手前、プロヴァンス軍の突撃によってオック人に被害が及ぶのを嫌ったとも、イゼール川の渡河をして味方に被害が出るのを嫌ったとも言われる。いずれにしろシャルル4世はついに市街への突撃を命じなかった。 不服そうな家臣にシャルル4世は言った。 「アルマニャックのジェロー7世もオーヴェルニュへ進軍中と聞く。彼は忠実に義務を果たすであろうし、ミラノ僭主の代官も援軍が来ないとわかっているのだ。籠城の無意味さに気がつけばすぐに開城するだろう。それに、市街へ突撃などしては折角のグルノーブル料理が焦げてしまうではないか。」 国王の軽口に閉口するもの、追従して笑うもの様々だったが、後に続けたシャルル4世の言葉に反論するものはいなかった。
「心配いらん、この戦争は長くは続かないだろうさ。」
日中は常に左舷から陽光を受けている5隻の船は、船首を西に向けていることになる。 プロヴァンスの5隻の船は中緯度とはいえ真夏の日差しを受けながら、西へ西へと進んでいた。風は概ね逆風で、スクエェアマストばかりのプロヴァンス探検艦隊は余り速度を得られないでいた。幸い大きな悪天候に見舞われることもなくアゾレス諸島からコーナー海山群、セーブル島バンクと後に呼ばれる前回探査した航路を抜けて未知の海域へと進むことができていた。
カラックの上甲板中央は前後に比べて低い位置にある。船の真ん中でさらに低い位置にあるということは揺れが少ない。もっとも30mそこそこの船では波高数メートルの大西洋のうねりの前では揺れが少ないといっても気持ちの問題でしかない。 それでも、船酔いは気持ちの持ちようだというギレムの言葉にすがりついて、海兵隊とルイスは一日中上甲板で釣られたマグロのようにしていた。 ハンザ式の舵は船体後部中央にある。この船の舵輪も船尾楼中央にあった。舵をとっているのはこの船の一等航海士で、船長兼提督のギレムはそのすぐ下の日陰で船員を集めてなにやら楽しそうに話をしている。 ギレムの話は面白かった。マルセイユのカモメ亭で聞いた彼のどたばた冒険談にはルイスも大笑いしながら、もっともっとと次の話をねだったものだっだ。 しかし、一向に慣れることのない船酔いで、甲板でマグロになっているルイスには、今はその笑い声さえも恨めしかった。 そんなルイスの視線に気づいたギレムがルイスに聞こえるように大声で言った。 「ねぇ王子、汗には冷たいのもあるんだってそこで知ったわけよね?」 ギレムが出港式典の話をするのは二度目だった。最初はエクサンプロヴァンス号でアゾレス諸島を測量した時、そして第三回探検から船員の半数を入れ替えて旗艦を移したこのラ・マルセイユ号でも同じ話をしていたのだ。確かに自分でもうまいこと言ったものだと少々自慢の笑い話だったのだが、悔しいのはギレムが話した方が数倍ウケルということだった。 ルイスはうまいこと言い返してやろう思ったが、船酔いの苦痛のほうが立ち上がろうとした意思に勝って、甲板に寝転んだまま右手を空に向け親指を立てるのが精いっぱいだった。 そんなルイスの傍らまでやってきたギレムはルイスの顔を覗き込んでこう言ったものだった。 「おや、王子様は酔うということも二つあるということを知りなさったようですねぇ」 上甲板には再び船乗りたちの笑い声が響いた。
「提督!鳥がいますぜ」 メインマスト上から見張りの声がした。 甲板の船員たちがおのおのの方向へきき手で目の上にひさしを作りながら水平線に目を凝らす。ギレムも後鐘楼に駆けあがって単眼鏡を使った。 「鳥がどうしたって?」ルイスは急にあわただしくなったラ・マルセイユ号の様子に船酔いと戦いながら聞いた。 「王子、鳥がいるってことは近くに陸地があるってことです。聖書にも書いてありますぜ。」ギレムが軽口交じりに言った言葉はルイスに電気を走らせたようだった。飛び上ったルイスは先程までの体たらくが無かったことのようにギレムの横まで駆け上がり水平線に目を凝らした。
1433年7月17日、プロヴァンスの探検隊はアゾレス諸島の遥か西で陸地を発見した。 最初は雲の下の雨が作り出す陰影のように見えたそれは、次第に陸地らしいシルエットを見せ始め、今ではくっきりとその植生までがわかるほどになっていた。 「あんまりパラダイスっぽくないな」 それが多くの探検隊員の感想だった。ポルトガルやカスティーリャの冒険家の話では欧州とは全く違う植物と極彩色の鳥、真っ黒な肌の人々がいるということだったが、目の前の陸地は明らかに針葉樹と落葉広葉樹の混生林が海辺まで茂っているし、鳥も見たところ極彩色ではなかった。間違えて欧州に戻ってしまったのではないか?そんなことを言う船員もいたが、一等航海士は西へ向かうだけの航海で間違いようが無いと否定した。もちろん、そう言った船員も太陽の方向と夜の星で間違いなく西に向かっていたことはわかっていた。 探検隊はとりあえず上陸できそうな場所を探した。ほどなくそれに適した入江を見つけ、艦隊は投錨した。 早速上陸すべく、ボートに移乗した随伴の海兵隊が浜辺に到着。久々の陸を満喫しようと艦隊のほとんどの者が上陸して野営することになった。もちろんルイスもギレムも上陸し、久々の陸地を踏みしめていた。 エンリック・ド・シミアヌ卿は海兵隊員数名を選抜すると、海岸から100m程度の範囲を偵察させた。奥地の探索は明日以降にするとして、まずは野営できる程度の安全確保をしようというのだった。 ギレムは今夜は船に戻って寝たほうがよいと思ったが、海兵隊や王子だけでなく、小型のコグの船員たちも久々の陸地を喜んでいたのをみて、「野暮なことはいえねぇな」とだけ口にした。
数日後奥地を探検していた一隊が先住民との接触を報告した。 先住民はミクマクと自らを呼び、この地を「アカティ」だだという。ルイスは新たな土地につけるべき名前を温めてきていた。「理想郷」を意味するギリシャ語のアルカディア/Arcadiaだ。先住民ミクマク族の「場所」を意味する言葉「アカティ」とも一致したことから喜んで「アルカディア」と命名した。転じて後世このあたりをアカディア/Acadienneと呼ぶことになる。
ミクマク族はウィグワムと呼ばれる円形の樹皮小屋に住み、森などで狩猟をして、オジロジカやアメリカクロクマ、ヘラジカやカリブー、鳥類、ビーバー、ヤマアラシなどを狩り、肉は食料にし、毛皮は衣類やモカシンにしていた。農業はトウモロコシなどを栽培し、海でカヌーに乗り魚類を獲ったり、貝の採集などしながら暮らしていた。クジラやセイウチ、タテゴトアザラシ、イルカ、海鳥、ロブスターなども獲っていたと言う。(ウィキペディアより) ミクマク族はカバの木の皮にヤマアラシのとげで象形文字を書く記憶術を持っていた。これに気づいた探検隊に随行した宣教師はこの象形文字を応用して構文を作成できるようにし、教育や宣教に役立てられないかと考えた。 探検隊は、アカディアは気候こそプロヴァンスより寒冷だが、住民も友好的であり概ね植民に適していると判断した。
探検隊はアカディアを後にして陸沿いに南へ向かうことにした。それにしても大きな島である。 10月16日探検隊は大きな川の河口部に中洲のある土地を発見した。中洲への上陸をしている最中に、川上でカヌーを見たと報告があった。どうやらこのあたりの先住民が接触を試みてきたようだ。 ミクマク族のように友好関係を構築しなくてはならない。探検行はまだまだ先がある。
その夜、ルイスは波以外のものに酔うのは久しぶりだったのもあって、いつの間にか気持ちよく意識を失っていた。 体を揺り動かされている感覚にまだ海の上にいるのかと思っていると、耳元で大きな声がしているのに気がついた。 「王子、寝てる場合じゃありませんぜ」 貴族と名乗るのが恥ずかしくなるくらいのがっしりとした体格と野太い声。エンリック・ド・シミアヌ卿だった。 その様子から何かよからぬことが起きそうだと感じたルイスは靴を履いて天幕をでようとした。 船乗りたちを囲うように配置された海兵隊の野営地の北側の森から突如奇声が上がったかと思うと炎をまとった矢が次々に打ち込まれた。 何者かが我が探検隊に襲いかかったのだ。 油断であった。敵はミラノか?フランスか?それともインド人か? 腰の剣に手をかけたルイスは突然抱えあげられた。 「ちょ、シミアヌ卿なにを!」ルイスは悲鳴をあげたが、岩山のような貴族は浜辺まであっというまにルイスを運ぶと、ボートで船へ戻ろうとする船員にルイスを預けた。 「王子は船へ。」 何か言おうとするルイスに 「ここは我らが職場であります。臣下の手柄を横取りするようでは立派な主君になれませぬぞ。」有無を言わさぬ口調でそういうと、船員にボートを出させ、自分はじゃぶじゃぶと海岸へ上がって炎と叫喚の渦中へ戻って行った。
非常に不幸なとても不幸な先住民との接触であった。先住民レナベ族の奇襲攻撃で探検隊は473人の犠牲者をだしてしまった。浜辺にはアカディア族の犠牲者も合わせて千数百の亡骸が散乱していた。ずっと先になってわかったことだが、この戦いの後、この地でレナベ族を見かけたものはひとりもいなかったそうだ。我が海兵隊の反撃によってレナベ族は滅んでしまったのだろうか。 後に判明したのだがこのあたり一帯はレナベ(デラウェア)族の支配する領域であった。探検隊が上陸した島はマンハッタン/Manhattan。島の名は先住民のレナベ(デラウェア)語の「丘の多い島」を意味するマンナハッテ/Mannahate、Manna-hataに由来するとされるが、一説によると「マナハクタニエンク/Manahachtanienk」から来たと説明している。これは「我々がみな、酔っぱらいにされた島」という意味である。(ウィキペディア)
探検隊は今後は海兵隊の人数を増員する必要があると判断。連隊と輸送用のコグを加えるためアゾレス植民地への撤退を余儀なくされた。。
第4回探検ではさらに陸沿いに南へ向かった探検隊であったが、大問題が発生していた。マスコギーという土地で接触したクリークという大部族は探検隊の沖合への停泊と修理用の資材の調達、物資の補給を断っていた(通行許可を拒否)。未知の海域を進んでいるとはいえ、船舶の損耗の激しさは予想以上であり、探検隊は資材を使い果たしていた。ここで修理を行うための資材を手に入れられなければ探検の続行はおろか、アゾレス植民地への帰還もおぼつかない。
探検隊の生き残りのためであるとはいえ気の進まないルイスではあったが、探検隊の首脳の誰もが望みその準備はできているという。ルイスはクリーク族の土地を奪う決意をした。 神の御名においてマスコギーはプロヴァンスの土地であると従軍神父に宣言させたが、敬虔な信者とは言い難い探検隊一行にも、ちょっとだけ気持ちが軽くなる効果くらいはあったのだろうか。名目上の探検隊の指揮権はルイスにあったが、実戦指揮は全てエンリック・ド・シミアヌ卿にゆだねてある。あとはシミアヌ卿がうまくやるだろう。 海兵隊はボートで次々に上陸すると、先住民の村落へと進んでいった。こちらの動向は見張られているだろう。間もなく戦闘が開始されるはずだった。
マスコギーを先住民から奪う戦いはすぐに終わった。ぼろぼろの探検隊艦隊は修理と補給を受けることができたのだが、クリーク族との関係は人と人との最悪の関係、戦争状態に入ってしまった。 当初、直ぐに関係の修復は可能だろうとたかをくくっていたルイスたち探検隊だったが、クリーク族は交渉に応じようともしなかった。考えてみれば昨日まで自分の土地だったところに海の向こうからやってきた得体のしれない人間が、その土地に旗を立てて飾りのついた十字の棒を掲げて「ここはオレたちの土地だよ」と勝手に言い張っているのである。常識的にどう考えても許容できる範疇の話ではない。自分たちの住む町でそんなことをされたら誰だってクリーク族のように腹を立てるだろう。 クリーク族の反撃は欧州の規模で考えても大規模なものだった。 7000人のクリーク族が海兵隊連隊の駐屯地に襲いかかった。大規模な反撃は予想していたが、その前に交渉が成立すると考えていた探検隊はけんもほろろに海上の艦隊へと退却した。 再上陸は無理と判断したエンリック・ド・シミアヌ卿は、マスコギーの一時放棄とアゾレス植民地経由で本国への帰還をルイスに意見具申した。実はこの時クリーク族は北方のチェロキー族に攻め込まれ、追い詰められていたので、洋上でしばらく待機していれば再上陸も可能だったのだが、その時の探検隊には知る由も無かった。
およそ、この戦争は長くは続かない、生誕祭は地元の教会に家族とともに行くことができるだろう、そう言った希望的観測は古来、戦争という巨獣に対する甘すぎる期待として否定され続けてきた。 当初瀕死のミラノからドーフィネを奪うなど簡単なことだと、プロヴァンス首脳の誰もが思っていた。このようなおいしい果実を与えたもうた神に感謝するとまで言って出陣した連隊長もいたそうだが、事態は急変した。国王自ら率いて攻囲していたドーフィネ陥落目前に、ミラノがモデナと休戦。その講和条件でドーフィネを独立させたのだ。 振り上げたこぶしの行き場をなくしたプロヴァンス軍であったが、シャルル4世は迷うことなくそのままドーフィネに宣戦。ドーフィネおよびモデナと戦争になった。 まずは眼前のドーフィネを再包囲し陥落させねばならない。その間に、サボイとミラノの通行許可を取り付けねば、モデナに攻め入ることはできない。リヨンはアルマニャック伯がそのまま包囲を開始したという。周辺諸国の動静が気になる。あまり時間はないようだった。 今度は市街に突撃をしないわけにはいかない。 ドーフィネのベルナ・ド・ボソゼル大公は、後世グラタンの語源となったとされる鍋の底の料理の焦げた部分をこそいで/gratter食す行為をまもなくしなくてはならなそうである。あるいは、彼はその料理の語源を作った男として歴史に名を残すやもしれなかった。 ドーフィネ、リヨンを占領。サボイ、ミラノの通行許可をとりつけ、北イタリアの同盟国マントヴァで軍列を整えたシャルル4世は、モデナに向かい南下を開始した。
探検行から帰還した海兵隊は人員の補充と艦艇の修理を済ませ、出陣の時をまっていた。 数ヵ月前、探検隊がなつかしき故郷プロヴァンスに戻ったときには、戦争が続いていたのも意外であったし、何より戦争の相手が変わっていたのには驚いた。 しかしルイスがさらに驚いたのは、ジョルダンが久々の再会そうそう言った言葉だった。 「結婚相手は船乗りじゃないんだってな?」
シャルル4世と呼応して、モデナに強襲上陸をかけるべくエンリック・ド・シミアヌ卿はマルセイユを発した。確かに南北からの挟撃となる作戦で理に適ってはいるが、海路強襲上陸は危険が大きい。30年前のプロヴァンス独立戦争のときのナポリ王の軍勢がどうなったかという故事がそれを雄弁に語っている。シャルル4世の軍とタイミングを合わせて上陸しないと各個撃破の恐れもある。指揮官には慎重さと果断が要求されるが、シミアヌ卿ならばうってつけであろう。先のフランス戦以来、彼の戦歴には上陸及び撤退戦だけが記されている。 上陸目前の海兵隊員を前にシミアヌ卿が既に子飼いとなった感のある彼の部下たちに、恒例となっている激励のスピーチをしていた。「休養は十分だろう。歩かずに戦場まで連れてきてやったのだから王の軍より活躍してもらわねば余の立場が無い。励め、オックの勇者たちよ。」 海兵隊員たちがこたえ、船上は男たちの歓声に包まれた。 「だが忘れるな、おまえらの死に場所は欧州じゃない。」
ドーフィネ再征服戦争はルイスにとって色々考えさせられる戦争であった。 当初ミラノと戦う時には戦友であったモデナ。そのモデナがプロヴァンスが攻囲して陥落寸前であったドーフィネを独立させて、プロヴァンスが法的に所有できないようにした。 そのモデナのやり口に腹を立てた父王はその場でドーフィネの新政府に宣戦し、独立させたドーフィネと同盟していたモデナとも戦争になった。そして戦争に敗れたモデナはプロヴァンスの属国となってしまった。 (ドーフィネからはリヨンを割譲させて講和したので、ドーフィネを得るにはもう一度戦争しなくてはならないのだが。)
父王がドーフィネを最初に攻囲した時に連隊長の献言をいれて突撃していたら、戦争はこんなに長期化せずに、モデナと戦うことにもならなかったのではないか。 クリーク族との最初の接触の時に躊躇なく海兵隊に攻撃を命じておけば探検隊の死傷者は少なくてすんだのではないか。 しかし、その場合、相手の死傷者は増えていたのではなかったか。 相手も人間なのだから、争わなくてもほかに解決方法があるのではないか。新大陸へ行くまではそう考えていた。しかしそれは違った。理想と現実の違いというものを完全に肌で感じたルイスは、理想という言葉には「甘い」、現実という言葉には「厳しい」という修飾詞しかふさわしいものが無いということを知り、昔にのように戻るには仲間の死を多く見過ぎていた。
その後も新大陸の探検は進んでいた。最初に発見したのは島ではなく、おそらく欧州並みに大きな大陸と呼ぶにふさわしい大きさだということが、沿岸調査をした結果判明したのだ。 今はただNouveau Mondeと呼んでいるが、そのうち名前をつけねばなるまい。 ルイスたち探検隊の5回目の探検は、新大陸のさらなる入植地選定とクリーク族から奪ったマスコギーへの駐留軍の輸送が任務であった。マンハッタン島に上陸し、再度の測量が終わるとシミアヌ卿は陸路を内陸へ、ギレム提督はマスコギーを経由して駐留軍を降ろし、海路をさらに南へ探検することとなった。どちらについていくか迷ったルイスだったが、結論を出す前に、シャルル4世から急ぎ帰国するようにとの手紙がルイスに届けられた。