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17世紀初頭、フランス最初の戦争は、意外にも防衛戦と相成った。
マカッサル 西洋文化に触れたばかりのこの国は、いまだ我々フランスの恐ろしさを知らないようである。
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同盟国のマムルーク朝が参戦。 いまだ地中海側に領土を持ち、うっとおしいなーと思っていたところだ、ちょうどいい。
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防衛戦なので、普通にマムルークから領土を奪うと、悪評3点なのだが・・・
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マカッサルは「聖戦」で開戦しているので、マカッサルにここの領土を割譲させれば 悪評は1点で済むのである。
無論、付き合わされた上に、領土まで取られるマムルークとしては悲惨の一言に尽きる。 こういうことが、プレイヤー側でも起こりうるのがこのゲームの怖いトコ。
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1602年2月 マカッサルにマムルークの2領と自前の3領を割譲させて和平、悪評21.6。 マカッサルを一発併合できれば、そっちを優先させたんだけどねー。
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1607年 ティムールのCOTの一角、ファールスを都市化して奪ったあたりで、 イングランドが、ついにフィリピンに入植を果たす。
これを重く見たフランスは、遊牧民との戦闘を打ち切り、 東南アジア、シベリア、および北米大陸の太平洋側への入植を優先させることを決定した。
うーん、もう一歩でホルムズのCOTも押さえられるところ、残念。
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と、思っていたら、ちょうどそこ2領でペルシアが独立したので、聖戦併合。 生まれたて国家はやっぱりおいしいです。
1611年 悪評の低下もさることながら、新大陸の植民地の都市化と合わせて、防衛施設1の建設が一段落。 太平洋岸に入植中とはいえ、政務官の確保もメドがついた。
また、遊牧民との戦闘も打ち切り、厭戦感情も低下。 絶対君主制に変更した故の正当性の低下も解消。
つまり、ようやく本腰入れて、帝国に宣戦布告する準備ができた、と、いうことである。
でも、その前に・・・
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1614年5月 また国策変更、統治26になり、大聖堂が6個くらい出来ているので「礼拝の義務化」を削除。 替わりに「工兵軍団」を取得してみた。
ドイツ小国連中は、こぞって防衛施設3とか4とかで固めてくる。 いわば要塞との戦いであるとも言える。
その際の兵力減少と、厭戦感情の上昇を抑えられたらいいなぁ・・・ どれだけ効果があるものだろうか・・・?
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1614年9月 いまだ東アフリカで苦戦してるのか、イングランドからウルビーノが独立。 そしてフランスが併合、悪評11.7。
まだ寄り道が続く・・・
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1615年2月 現国王の弟、シャルル死亡。享年36歳。 3-5-4とうんこ能力なので死んでも惜しくないが、後継が居ないのが気掛かり。
開戦の機を伺っていたフランスは、本国に5個師団、10万の兵を揃えていた。
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そして、帝国内部では、プファルツ現皇帝がBBWの真っ最中。 いよいよ、帝国に対して、真っ向から帝国主義で侵攻する時が来た。
相手は、同盟の居ないヘルダーラントと、全土改宗を済ませたブルゴーニュ。 2カ国同時宣戦布告である。
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スイスから警告を受けているが、皇帝と揉めるのを優先したのか参戦無し。 皇帝も防衛に参加せず、さらに権威は地に堕ちたのだった。
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勇猛をもって鳴らしたブルゴーニュ陸軍も、兵力差と技術差の前に一撃で粉砕される。
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1617年9月 両国を併合して、悪評19.1。すぐさま帝国から脱退させる。 だがこれは同時に、ドイツ諸国の警戒感を高める結果につながったのだった。
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1623年5月 属国クロアチアが改革派に改宗。むー。 併合できなくなっちゃったじゃないか。
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1627年7月 そして、最も恐れていた事態に。アンリ=2世ド・ヴァロワ、後継者なく死亡。 享年53歳、在位31年。
病弱が危惧された王だったが、子孫を作る能力に、どうやら欠けていたようである。
続く