モンゴル再興 ~DWモンゴル汗国で世界帝国~

技術の戦い1545年

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1545年 西欧技術、東欧技術、その他で技術格差が明らかに開いてきている

若干18際にしてモンゴル汗国を継ぐこととなったリグダン王子であったが、その優れた軍事的才能により、たちまちのうちに反乱を鎮圧する。

父、オゴデイ・ハーンの時代に安定度は+1まで回復しており、代替わりしてすぐ+2まで回復した。 あともう少しで、隣国トヴェリ公国から東欧技術を学び東欧技術化することができる。 そんな矢先に、衝撃の知らせがハーンのもとに届く。

「トヴェリ公国はキプチャク汗国に併合された由にございます。」

青天の霹靂であった。 あと一歩のところで、東欧技術化の条件の一つが崩れてしまったのである。

いざ、東欧長征 1547年

唯一のチャンスであった東欧技術化への道が閉ざされた。 若きリグダン・ハーンは、ここで歴史的な一歩を踏みだす。

「東欧への長征を開始する。」

反対する大臣たち。 そもそも西のキプチャク汗国を含むカザフスタン以西はすべて反骨精神荒々しいスンニ派の土地である。 ただでさえ反乱頻発、安定度コストが高まっている今、よりいっそう国が危険な事態になるという彼らの意見は至極まっとうなものだった。

だがここで坐していても事態は変わらない。 他国の動きで偶然条件が満たされることもあろうが、それを待ち自分の所領を維持することに心血を注ぐのは、モンゴルの民、モンゴル帝国の本来の姿ではない。 かつて太祖チンギス・ハーンの達した地、ヨーロッパへ踏み出す決意を固める。

モンゴル帝国中の万戸長、千戸長に伝令を飛ばす。 長征の時が来た。

ロシア侵攻 1547年

1547年、キプチャク・カン国に対し部族不和を理由に宣戦布告。怒涛のようにモンゴル長征軍6万がロシアの地になだれ込む。 その上、キプチャクはモスクワ公国、ボヘミア他数カ国と戦争を行っている。そこに後ろからモンゴルが襲いかかったのだ。 タタール人達はあっさりと瓦解し、モンゴル族の兵が無人の野を突き進むがごとく征服を始める。

余談だが、タタール人とは東欧、ロシア地域にすむアジア系民族の総称だ。 その中でモンゴル民族は多数派を占めているため、モンゴル人とタタール人とは、いわば日本人と日系人のような関係といえる。つまり同族で争っているようなものだ。 いずれは同じモンゴルの民として、共に暮らせる日も来るだろう。

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もはやキプチャクは敵ではない、問題はその先だ

ボヘミア王国。 神聖ローマ帝国の一角にして、皇帝を輩出するドイツの大国。 それがこの東欧にまで勢力を伸ばしていたのだ。 状況次第だろうがそれほど遠くない未来に、戦うことになるだろう。

ロシア分割 1548年

各地で押し引きを繰り返しキプチャクの地の制圧行っていると、 南方からボヘミア王国軍がキプチャクの地を侵攻、南部地域を制圧していく。 交易中心地のアストラハンを先に抑えたかったが、ボヘミアに奪取されてしまう。

こちらは征服後しばらく待ち、東欧国家に接触するまで領土を拡大するつもりだがボヘミアも引かない。それどころか植民を開始した。 どうやら奴らは本格的に遊牧民の地に乗り込んでくる腹づもりらしい。 双方にらみ合いが続く。

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南方はボヘミア、北方はモンゴルが占領するに至る

東欧国家との戦い 1551年

にらみ合い後、遂に完全降伏するロシア諸州。 結果、遂に東欧の通商国家ノブゴロドと国境線がつながった。 即時に戦争が開始される。

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いよいよ東欧戦の開始となる

敵軍は約二万、こちらは長征軍6万と、いくら技術格差があってもそう苦戦はしないだろうと思われていた。

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商人の傭兵は約2万といったところだ

蒙古 大敗

敵州ボルガルに侵攻する3万の蒙古軍、1万9千のノブゴロド軍と激突する。 すさまじい大砲の轟音、鳴りやまないマスケット銃の響き、 そこに蒙古騎兵マングダイの短弓から放たれた矢を浴びせかけ、その後ろから槍や楯で武装した蒙古軍の歩兵が突撃する。

圧倒的な大敗であった。

こちらは3万のうち2万の兵を喪失、全滅しないように撤退するのがやっとだった。 相手の被害は約3000にとどまる。

勇猛を持って鳴る蒙古が、アジアの覇者蒙古が、世界最大の軍団を持つ蒙古が、 商人の雇われ兵ごときに子供のようにあしらわれてしまったのだ。

戦略の立て直し

負けたことを嘆いてもはじまらない。 明察なるリグダン・ハーンは直ちに対策に乗り出す。 珍妙な話ではあるが、自称未来から来たという軍略家諸氏の意見を求めた。

彼ら曰く、3倍の兵を当てれば勝利できるという。 しかし、約2万の敵に対し、1州に6万もの兵を集めるのは現実的ではない。 ただでさえロシアの地は扶養限界が低く、そこに異常な数の兵を集めれば厭戦感情が破綻してしまいかねない。

しかし、幸運なことに敵主力は飛び地のボルガル州に孤立しており、本国に戻れないようだ。 そこで、ノブゴロド主力軍とは戦わず敵本国を制圧する分散作戦に打って出ることにした。

ノブゴロドとの講和

敵ノブゴロドの本拠地、バルト海沿岸部に向けて馬を走らせるモンゴル軍。 急ぎ中央アジア方面軍から抜いてきた3万の兵と合流し占領を開始する。 予想通り、主力を欠いた商人達は抵抗することができず次々と諸州が陥落していく。 敵首都にして交易の中心地、ノブゴロドに迫ったところで講和の打診をする。

元々今回の長征の目的は、優れた欧州の技術を「奪う」為に興したものだ。 その目的である東欧技術国との接触はすでに果たした。 休戦期間の5年あれば十分間に合う。

本来であればこのままノブゴロドを完全制圧、西欧技術国のスウェーデン王国に接触するまで占領するのがいいのだろうが、先の敗北のあり様を見て、とても戦いにはならないと判断した。 また、東欧技術になった後で西欧技術の条件を満たすまで相当長い年月がかかる。 無駄に敵を増やすことはない、ノブゴロドを壁にし機会をうかがおう。

この時ノブゴロドはモスクワ大公国からも侵略を受けていた。 彼らにとっては渡りに船だったのか、すぐさま調印の運びとなる。 危機を脱しつつ一応は目的を果たしたとしよう。 今回は戦術で負け戦略で勝った長征だったが、同時にモンゴルの抱える課題も浮き彫りとなった。


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