ついに悲願の明に勝利し、中華全土、中央アジアを支配した我らがモンゴル。 アジア方面、モンゴルで言うところの「漢地」に関してはかつての元帝国と同等以上の支配域となった。 元々モンゴルも「元」の名を捨てていたわけでなく、クビライの治世ののち、明に北の地に追いやられても、「北元」を名乗り続けていた。 (実際の歴史でも北元が滅ぶのは1600年代になってからになる。) それが元に戻り、北元は「元」に復興し、一方再び漢民族の国は南に押しやられることとなった。 歴史は繰り返す。
1535年現在、経済力に関しては欧州の列強に迫る勢いとなった。 軍事力に関しても、規模については世界屈指の規模となったのだが、この100年で欧州との技術格差はますます開いている。 本来であれば一刻も早く西欧化を進めすぐれた技術力を自らのものにしなければいけないのだが、ついにインフレは50%に達してしまった。 遊牧民の-50%のペナルティと合わせて、単純に西欧諸国の2倍のコストがかかってしまう。 さらに大国であるがゆえのコスト増と合わせると、3倍以上のペナルティを背負っている。 至上命題はとにもかくにも西欧化であろう。
ただし、安定度を1回復するのに7年も時間がかかるようになってしまっている。 単純計算で35年。これは長期戦になりそうだ。
まずは地盤固めのために、オゴデイ・カーンは、ティムール朝に使者を送り同盟を締結する。 元々勝手に始まる定住民に対する侵略戦争ではあまり意義がないが、モンゴルは西、ティムールは南のペルシア帝国に対抗するために組んだユーラシアを股にかける同盟だ。 だが軍事的なメリットいうよりは、どちらかというと縁戚関係を結び将来に備えたいという意味合いが強い。 息子であるリグダン王子はたぐいまれなる才能の持ち主だが、正妻の子でないため正統性が低い。 これに備えておくにこしたことはないだろう。
西欧化を進めるオゴデイ・カーンであったが謎の急死を遂げる。 絶え間ない反乱の火の手はモンゴルの支配地域全域に及んでおり、心労とも、反対派の暗殺とも噂された。 そんな中、跡を継ぎカーンの座に就くのは、子供のころから天才と称されたリグダン王子。
だがオゴデイは疑惑の死に加え、正統であるとはいえない王子の継承に異を唱える勢力が一斉蜂起する。 果たしてどんな治世となるのだろうか。