長期の忍耐が必要になってしまった武の王、イェスン・カーンであったが、 長年の宿敵であり最大の不安要素であった明を半分崩壊させた事実は大きい。 モンゴルの兵は9万に膨れ上がり、明の兵は5万を切るようになった。 今回は過剰拡大のせいで引き揚げたが、これからの戦いはよほどのことがなければ数的に負けることはない。 さらに中核州が増えてくれば、収入も増えてくるはずだ。 どちらかといえば今の問題は経済問題となった。
遊牧民は他の国と比較して、約2倍の兵を扶養できる事は述べた、しかし給料は-25%しか減ってくれない。 収入は基本的に少ない地域が多いので、必然他の定住民族に比べ切迫したものになる。 しかも統治技術も低いので、国策の銀行も取れない、税務署も立てられない、そもそも技術費用+50%のペナルティーにインフレが重なり、破滅的に技術成長が遅くなっている。 一応収入総額は世界でも5本の指に入るほどとなり収入も年間1000Dは超えたのだが、全然豊かになった気がしない。
しかし、西のカザフスタンはこちらの戦力を恐れてかあれ以来宣戦布告の気配なし、 南西のティムールも北のモンゴルどころではなく、 南の明、東の朝鮮や満州はモンゴルに朝貢をしている。 つまり今モンゴルには戦うべき国がなくなっていた。
西欧化を目指して政策の制限を突破したせいであちこちで発生する反乱軍を除けは、モンゴル始まって以来の平和な時だ。 本当はどんどん拡張したいところだが、現時点ですでに過剰拡大状態なので、中核州が50%を超えるまで我慢の一手しかない。
しかし、3度の飯より略奪が大好きな戦闘民族、我らがモンゴル民族が南京の茶廊で茶をすすり30年待つなどできるはずもなかった。 10年もたたないうちにあちこちから不満の声が出始める。
まあとは言っても所詮は反乱軍。 勇猛をもって鳴る蒙古軍の敵ではない。 軽くつぶせばいいだけだ。
まさかの事態。 どうやらモンゴルでは戦争をしないことは暗君だということらしい。 後継者が死ぬか反乱軍が起こるかのより厳しい2択が迫られる。
元々遊牧民という名の戦闘民族のライフスタイルには、定期的な略奪があることが前提になっている。 それが止められては生活がおぼつかないということだろう。 定住民では及びもつかない発想である。
…後継者が死ぬか反乱軍が起こるか…、か。 そういえばうちの後継者は今いち出来が良くなかったな… ハーンもまだ若い。ここはひとつ…
数日後、後継者は処刑され、すぐさま次の後継者が宣言された。 どうも遊牧民の後継者は絶えたことがない。 もしやこれを繰り返せば…!
とはいえこんな事を繰り返していってはいつ国が崩壊するか分かったものではない。 また、西欧化を目指すといってもとっかかりの十分に高いイスラム技術をもった国とすら接していないのだ。
西に向かっていくしかないだろう。 まずはカザフスタンを完全に制圧し、西をさらに伺うという戦略を取る。 武に愛された王、イェスン・カーンの真骨頂を見せる時だ。
カザフスタンに宣戦すると、シビーリ、キプチャク・ハン国が結束しモンゴルに対抗する。 中央アジアでの覇権をめぐる戦いの火ぶたが落とされる。 …できる限りゆっくり領土を広げつつ戦わないといけないが。 過剰拡大の足かせが憎らしい。
盟主キプチャクハン国はあいも変わらず東欧諸国と激戦中でこちらに兵を向ける余裕がない。 こちらも中国に反乱鎮圧の軍を残しての戦いであったが、戦いは圧倒的にモンゴル軍の勝利に終わった。 しかし過剰拡大の件もあるので、まずはいったんカザフスタンの土地の半分を奪い、講和した。
すると、最北のシベリアの地に、東欧技術を持つ洲が突如誕生したとの報が入る。 最北の地イドナカルの地で、ギリシャ正教の反乱の結果偶然にトヴェリ公爵領の飛び地が誕生したのだ。 われらがモンゴル領とは目と鼻の先。 これ幸いと西進を再開する。 まずは西欧化に着手する条件を整えなければ。