武勇に優れた4代目、イェスン・カーンはたちまちのうちに王位僭称者らを打ち滅ぼす。 だが若きカーンの目はこんな反乱鎮圧には向いていなかった。 すでに彼の眼は遠く南、肥沃なる中原の地を見つめていた。
ここ20年の間にモンゴル平原、満州をはじめとし中核州が増え税収も上がり始めており、 モンゴル軍は今や7万の規模に膨れ上がり、もはや明軍に勝るとも劣らない程となった。 もう、いい頃合いだろう。 遂に明に対し大規模侵攻を行うときがやってきたのだ。
曾祖父が耐え、祖父が興し、父が地盤を固め、息子が征服する。 4代がかりの大征服戦争を今こそ開始する時だ。
継承争いの期間は終わり、直後に明との戦端が切って落とされる。 モンゴルの誇る計装弓騎兵、マングダイ(=東方ステップ騎兵)3万が華北側と涼洲の二手に分かれ、侵攻を開始する。 率いる将軍も白兵戦6といった一線級の将軍たちだ。
明軍主力を一気に打ち破り殲滅、明の軍が再編する前に中原を走り回り敵軍の立て直しを遅らせる。 直後、殺戮軍に続いて後続の制圧軍が占領と略奪を開始する。 目的は開封府、ならびに皇帝の座す南京と定められた。
元を北の草原に追いやった明、だが再び北からの侵略を受ける事になろうとは明の民も思っていなかっただろう。
もちろん明を征服する悲願もあるのだが、正直なところ少しでも収入のある洲を獲って、いまや30%を超えてしまったインフレを何とかしたいという実利的な面もある。 その筆頭に上がるのがなんと言っても交易中心地(CoT)のある南京だ。 収入はモンゴルの諸州の10倍はある。 さらに南方に行けば、唐物、香辛料など、高価値交易品の生産州も多い。 これら裕福な州はなんとしてても奪取したい。
南京、開封府もほどなく陥落、だが蒙古の勢いは止まらない。 各地でさらに侵略、南下を続け、ついに中原は完全に占領下におかれることになった。
遊牧民国家は敵の洲を占領し一定時間たつと勝手に州が転がり込んでくるので、定住民たちのようにいちいち停戦交渉を行い、国境線について協議する必要がない。
つまり、いったん勝ちの態勢になってしまえばどこまでも領土を広げていくことが可能だ。 今まではモンゴル側の、人的資源不足や費用不足により数年で停戦して来たが、休息無しでも戦闘が可能になるほどの人的資源を得た今、戦争をやめる必要がなくなってしまった。
もう一つの戦闘停止要因、厭戦感情に関しても、占領後の略奪により兵士のやる気アップ=厭戦感情が下がるので、こちらも他国に比べ格段に有利だ。 この2つの要素が戦争を継続しながらでも増加させないことが可能になるので、 状況によっては果てしなく戦争が可能になる。
もはや明にはまとまった抵抗をできる州は残っておらず、 このまま一気に明を完全制圧できる、そう確信したイェスン・カーンだった。
さらに2年にわたり戦い続け、遂に華南もほぼ制圧される。 黄河、長江流域の諸都市にはことごとくモンゴルの旗がたなびき、徹底的な略奪により中華の民は恐怖のどん底に叩き込まれる。
明の皇帝、天順帝は南方の雲南に逃げるも、南方の東南アジア諸王朝が落ち目となった明に対し宣戦布告。 周辺諸国に対し無慈悲な圧政を行ってきた報復を明は受ける形となり、もはやモンゴルがとどめを刺さなくても風前の灯となった。 諸行無常とはこのことか。
あとはゆるりと待てば、中華諸州もすすんで我らに恭順するだろう。 我らはついに悲願を達成した、かに思われた…
後は収穫を待つばかりとなっていたカーンの下に、悪夢のような一報がもたらされる
「過剰拡大が発行されました」
あまりのショックにへたり込むイェスン・カーン。 いくつかの洲が恭順し始めたまさにその時、 いつかは来ると思っていたが、最悪のタイミングで来てしまった。 現在、モンゴルは優れた官僚達の努力により、西欧技術を取得するべく遊牧民では考えられない程、中央集権、革新体制に国家方針の舵を傾けていた。 当然反発も大きく、元々の遊牧民ペナルティも相まって反乱確率は+10%を超えてしまっていた。 ここでさらに大幅な反乱確率の増大、収入の減少、安定度コストの増大などが重なることはまさに国家の危機であった。 しかしこれだけの大戦争の実入りである、中華の各州はまだほとんど奪えていない。
他の非中核州を調べたところ、概ねあと20年から30年ほどは中核化までかかるとの見積もりが出た。 いったんこの長征は取りやめにして、明に復興の機会を与えてしまってでも過剰拡大を防ぐ手に出るか、 ここを逃さず過剰拡大の痛みに耐えつつも領土を奪い取るかの判断を迫られることとなった。
旧チャガタイ領を独立させて…等の手も考えられたが、ここまで育ててきて、ナショナリズムを解消させてきた苦労を無にすることもできない。
ここはかつての金と南宋の時代のように、中華を2つに分けることにした。 長江以北はモンゴルのものとし、長江以南は放棄する。 ここですべてを無しにしてしまっては、死んでいった兵達や先祖に示しがつかない。 かといってすべてを獲ってしまっては、過剰拡大が何年続くか想像もつかない。 20年、中核州が増えてくる20年耐えるしかない。 ハーンの位についてわずか10年、まだまだ若く、武勇にも優れたイェスン・カーンにとってはあまりにも辛い決断だった。
2年後、北部の各州が帰順する中、適切なタイミングで講和を切りだす。
この国境線、まさに金を滅ぼしたモンゴルと、南宋そのままの形だ。 歴史もまた繰り返すのか。