特権の廃止。ここまでくれば後一歩。 |
敵味方相乱れ、次々と敵が襲ってくる中レオポルドは奮闘し、ついには東フランク王国以降、諸侯が獲得していた様々な特権のすべてを奪うことに成功したのである。
今回は離脱した諸侯すべてを併合*3したのでBBRは40を超えました。BBR解消と皇帝権威値のために諸侯を再独立させます。 |
諸侯から特権を奪ったレオポルドは、マインツに帝国貴族(もはや諸侯と呼べる者は皆無であった)を集め 、帝国の再興*4を高らかに宣言したのである。
帝国の再興。 |
ここにホーエンシュタウフォン家の断絶以降、帝国の体をなしていなかった帝国は再統一され、帝国は中央集権的な国家として新たな道を歩み始めたのである。この帝国は、バルバロッサ時代は神聖帝国と名乗っていたが、この頃からは世界帝国を自認するようになり、1525年には正式な国名が神聖ローマ帝国と定められた。
いっきに整理される。 |
神聖ローマ帝国は、レオポルドに続く皇帝たちが内政に力を入れたこともあり、16世紀末にその最盛期を迎えた。しかし、周りをオスマン朝やフランス王国、ロシア帝国といった軍事大国に囲まれるという地政学上の不利や、スペイン植民地帝国の台頭で経済面でも没落し始め、17世紀中頃に起こったオランダ独立戦争により低地諸国を失い、17世紀末には諸州独立戦争と呼ばれる内乱の結果、ドイツ、イタリア、ハンガリーといった国々が帝国から分離することとなり、神聖ローマ帝国は事実上解体した。 現存する神聖ローマ帝国最盛期の建築物には、どれもA・E・I・O・U の文字が刻まれていることが知られている。これはラテン語のAustriae Est Imperator Orbis Universi(オーストリアは全世界の支配者なり)の略とも、Austria erit in orbe ultima(オーストリアは永遠なり)の略とも言われている。帝国の最盛期でもハプスブルグ家の長がオーストリア大公を名乗った証左であるが、A・E・I・O・Uの真の意味は諸州独立戦争で多くの資料が散逸したため、今なお明らかとなっていない。
そんなこんなで、このAARはここで終わりです*5。やや脳内妄想多めでお送りしましたが、いかがだったでしょうか?交易同盟なんかの追加要素を紹介し忘れた気がしますが、これは製品版で体験してね!っということで。ノミネと比べるとゲームも軽いですし、内容以外でもだいぶ改良されていると思います。 HREに興味がある人は、MODの「Sacra Romanum Imperium 」もオススメです。ドイツ共和国だって建国できちゃいますよ!HttT版も出たでよ。 最後に1526年の世界地図などの各種データをば。
帝国の収入は世界1ーーーー!! |
帝国の軍隊は世界1ーーーー!! |
1526年の世界。クリックすると拡大します。 |
では最後までお読みいただき、ありがとうございました。また機会があればいずれ。