ロレンツォ3世の最初の仕事は、旧支配層の粛清だった。
シエナで戴冠式をあげた僭主ロレンツォ3世が再びフィレンツェにやってきた。 ポンテッリ派の民兵によって旧支配層はほとんどが処刑されており、市内はあらたな僭主を称える市民で充溢している。 馬上のロレンツォ3世の前に、メディチ家に仕えていた宰相が後ろ手に縛られて引きずり出された。 彼は枢機卿アントワーヌ・ド・グランヴェルだった。
ロレンツォ3世は、小さく頷いてその場を通り過ぎた。 この哀れな枢機卿は、熱狂した市民の手で首をはねられた。
トスカナ公国の政変に、色気をだしたのがスペインだった。 スペインはローマ教皇の配下だったウルビーノ公を傭兵として雇い、騎兵1000を与えてフィレンツェに進撃させた。 ロレンツォ3世はこれを破り、逆にウルビーノを落城させてこれを占領してしまった。
こうしてトスカナ公国はウルビーノを領有した。*1
ロレンツォ3世は大規模な軍制改革を行った。 はじめトスカナのNIは「礼拝の義務化」「芸術の守護者」「冒険的商慣行」「冒険的商業主義」だったが、 「こんな軟弱なNIで戦国時代のイタリアを生き残れるか!」という僭主の一喝により、 トスカナのNIは「大陸軍」「軍事演習」「国民皆兵制」「国立銀行」と一新された。
なお、ロレンツォ3世は元々シエナの貴族だったため、北イタリアの僭主たちにはウケがよかった。 ロレンツォ3世はヴェネツィアやスペインの侵略および教皇とフランスの無理難題からイタリアの諸都市を守ると約束して、彼らの信頼を勝ち取った。
フェラーラ、マントヴァ、モデナ*2、パルマといった北イタリアの諸都市がトスカナと婚姻した。 またそのうち少なくない都市がトスカナと同盟し、同盟しなかった都市もトスカナの独立保障をうけた。 このため、ヴェネツィアやスペインやフランスも、北イタリアの諸都市には手をだせなくなった。
16世紀、トスカナを中心に結成された諸都市同盟