イタリア王位を戴冠するアレッサンドロ1世
いまやイタリア北部はアレッサンドロ1世によって統一された。<br> ミッション達成のイベントが起こり、ローマやロンバルディアが彼らの中核州になる。<br> アレッサンドロ1世は、自分の傀儡であるローマの教皇に、イタリア王国の成立を宣言させた。
イタリアは大学の国だった。 トスカナ、ピサ、シエナ、マントヴァ、モデナといった諸都市にはゲーム開始時点から大学が建設されている。 大学は年始収入にボーナスがつくだけではなく、月々の統治技術にもボーナスがつく。 イタリアの統治技術はこのためにヨーロッパの最先端をすすんでおり、1664年の時点でイタリアは絶対君主制を採用しつつ、7つのNIを選択することができた。
7つのNI枠のうち、4つは陸軍系技術を選択していた。モラル、マンパワー、トラディッション、そして許容兵力にボーナスがある。 もしもゲーム開始時点でNIにこうした陸軍系技術を採用していなければ、イタリアは大国スペインにけっして勝利することはできなかっただろう。
また、国立銀行はイタリアのインフレをよく抑えてくれ、インフレ率を安定させてくれた。 官僚制もまたイタリアの収入を高めてくれ、これらのNIはイタリア経済の底力になっている。
絶対君主制を採用したイタリアが、北部の諸都市を併合し、スペインからミラノを奪ったことはイタリアの悪評を高める要因になったが、責任内閣制度がこうした悪評をおさえ、イタリアのヨーロッパでの地位を安定したものにしている。
1674年、アレッサンドロ1世が崩御した。 このイタリア建国の英雄の死去に、すべてのイタリア市民が悲しんだ。
あとを継いだのは凡庸なフェルディナント1世だった。 彼は治世の間、ただ宮廷で女官や美食にふけっていただけだったが、アレッサンドロ1世時代に成立した責任内閣が立派に仕事をこなした。
イタリア軍はまず中核州であるクロアチアのイストリア州とヴェネツィアのヴェネツィア州を攻撃し、これを攻略した。
つぎにイタリアは植民地経営にのりだした。 しかし北米も南米もアフリカもインドも、ほとんどが既にどこかの国の領土になっている。 イタリアの入植者たちは彼らの領土を隙間にねじ込むように植民地を探した。
カメルーン、コンゴ、ソマリアの空き地にイタリアの入植者たちは植民地を建設する。 イタリアは奴隷貿易を禁止し、象牙や金を生産することに勤めた。しかし植民地経営は、イタリアに収入よりも維持費のコストをもたらした。
1707年、フェルディナント1世が死去し、ロドヴィコ3世が王位に就く。 彼もあまり統治に熱心とはいえなかったが、責任内閣は有能だった。 ロドヴィコ3世の治世のうちに、イタリアはオーストリア領の中核州を回収する。
そして1735年、イタリア王国にアレッサンドロ1世以来の有能な君主が登場した。
ピエトロ=レオポルト1世である。
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