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やっぱり強かったオーストリア

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ついに宿敵オーストリアと決着をつける時が来た。 ここに至るまで同盟国ロシアを成長させ、欧州の強国フランスとの同盟も樹立。 一方のオーストリアはイギリスと同盟を結んでいるが、しょせん海洋国家と陸軍国家の意味の無い同盟関係である。 50年後にはフランス・ロシア・ビザンツ帝国に3分割されたオーストリアの光景が目に浮かぶわ! と意気軒昂に宣戦布告。

ビスマルクも裸足で逃げ出す完璧な同盟関係
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開戦早々に西からフランス、東からロシアが猛ラッシュ。 さすがのオーストリアもビザンツ側に回す兵力は無いようで 無人のオーストリア領を駆け抜け1年足らずでウィーンを占領。

さて、後は戦勝点を稼いでと思ったところ、突然フランスとロシアが戦線離脱。 補給線の伸びきったビザンツ軍にオーストリア全軍が襲いかかってくる最悪の展開にorz

なぜか維持消耗しない鬼スタックの敵主力
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チートで陸軍消耗度がゼロ臭い敵主力には歯が立たないので、極力相手にしないように逃げながら なんとか戦勝点60程度で2州割譲にこぎつける。

この戦いで戦争疲労が一気に10を超え、全土が反乱祭りの危機に。 結局、休戦期間明けもまだ戦争疲労があり次戦まで11年も待つこととなる。

どうも10万以上の部隊が敵地で戦闘しているともの物凄い勢いで戦争疲労が溜まるようで 先の戦いのフランス・ロシアの突然の戦線離脱も急速な戦争疲労増加に耐えかねてのようだ。 大国同士の総力戦がここまで厳しいものだとは。

しかしこちらもバカでは無い。 今回の戦いで敵領土内に攻め込む部隊数を絞った方が戦争疲労が溜まらないことがわかったので、 次戦以降はゆっくり包囲戦をするのではなく歩兵の突撃師団で迅速に敵地を占領し、 敵主力は相手にしない作戦を基本とした。

ただ、相変わらずフランスとロシアはむやみに消耗してはすぐに離脱するということを繰り返す。 200年がかりで構築した同盟がここまで無力だと(´・ω・`)

結局、毎回オーストリアとのガチンコとなり、こちらの消耗も激しく思うように相手領土を削れない。 GC完了までにまだフランスとイギリスが控えてることを考えると残り150年あるとはいえ非常に焦る。

見た目は圧勝だがすぐにロシア・フランスが離脱するので結局互角な両国
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冷静に考えてみれば

オーストリアから奪う必要のある地域はスイス・クロアチア方面ぐらいなので、 戦勝点60ぐらいで2州割譲を繰り返せば予定に間に合うことに気がつく。 毎回圧勝しようなんて思わなければ良い話なのだ。 悔しいがローマ帝国復興への残り時間は短い。

30年がかりでスイスとクロアチア方面をやっと獲得
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後はラグーザ・ボスニアを外交併合すればイタリア・バルカン半島の連絡路が開通するので 対オーストリア戦はこれで手打ちとしたい。

これで次の目標はついにフランスである。こちらはオーストリアのように簡単に手打ちとは行かないだろう。 なんせ、領土のほとんどを奪う必要があるからだ。 GC終了までに間に合うのだろうか……。

意外と弱かったフランス

今度は生半可な準備では倒せない相手なので長年の蓄積した戦争疲労が完全に解消するまでの10年間、 フランスとの同盟を解消し、贈り物攻勢で今度はオーストリアとの同盟樹立に全力を尽くす。 そしてついに同盟樹立と思ったら、成立後1秒で同盟破棄されるw

そんな簡単に和解できるはずも無く
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関係改善は不可能のようなのでオーストリアの襲撃を警戒しつつ、フランスとのガチンコを覚悟し宣戦布告。 唯一残った同盟国であるロシアはフランスと同盟を結んでいるが、同じ正教圏との同盟を重視するだろうと楽観していたが結果は残酷だった。

オーストリアの挑発までかぶせられるの図
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どの道、ザポロジアを緩衝地帯化しているのでロシアはどうあがいてもこちら側に攻め込めない。相手はフランスのみだ。 これよりビザンツ帝国は栄光ある孤立政策を堅持することとなる。

さて第1戦の戦況であるが、敵の防衛施設のほとんどが未だレベル1のままであるプロヴァンスが多く、意外に簡単に攻めることができた。

フランスもスペイン・ポルトガルと同じく宗教改革の中心地だったので、現在こそプロテスタントに改宗して国土が安定しているが、100年前まで反乱軍が跋扈している状況だったのでインフラへの投資がとても遅れているようだ。 なので、こちらが相手の防衛線を突破すると後は意外なほどに脆い。

しかも第1戦終了後からオーストリアもフランスへ宣戦布告するようになる。 同盟締結には失敗したが、矛先をフランスに向かわせることには成功したといったところか。

一度体制を崩された国家は本当に脆い。 1714年の第2戦目から1747の第9戦目までこちらは戦争疲労を蓄積しないように 速攻で何度もフランス全土を蹂躙し1747年にはついに敵首都パリを包囲。 フランスは首都を北ドイツに遷都することとなった。

フランスだけど領土はネーデルラントと北ドイツ
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そして続く1749年の第10戦目でパリを割譲させ、フランス全土をほぼ制圧することに成功する。

おそらく、宗教改革が無ければオーストリアのように手強い敵であっただろうが、 INの反乱軍強化の設定がAI国家を弱体化させていることは間違いなさそうである。


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