1500年代に入ってからロシアからの援軍要請が多い。 ロシア化したことにより中核州が大幅に増えたため、周辺国へ片っ端から宣戦布告している模様。ビザンツも微力ながら援軍を派遣する。
この戦いでカッファの奪取に成功。 またロシア領はさらに巨大化し、キプチャク・ハン国は内乱により衰退の一途を辿ることとなる。
一方、ビザンツ帝国では同時期に北アフリカのイスラム勢力残党を順次攻略・併合していく。 その結果、1536年にはアラビア半島の全イスラム国家を属国化。北アフリカはスペイン・ポルトガル領以外をすべて併合。さらにはカイロからマムルーク朝を追放することにも成功。 マムルーク朝はエチオピア近辺の小国へと転落し、最終的にはビザンツの属国として生き延びることとなった。
また、ロシアも一連の対イスラム戦争で順調にキプチャク・ハン国を侵食。 サライまで後一歩のところまで南下している。 が、ここで大きな落と穴が………
確かにここ数年で急激に領土を拡大したのである程度の反乱はあるだろうと予想していたが、これは??? 奪った領土も半分以上が中核州なのでここまで辛いことになる原因はなんなのだと反乱率の内訳をみると。
これは放置しておくとマジでロシアが崩壊してしまうので大急ぎで援軍を派遣。 結局、この大反乱を鎮圧するのに10年を費やすことに。 まさしく『真の敵は内側にあり』である。