パックス・ジャポニカ

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参考資料愛蘭島から首府鹿児島までの"西廻り"航路
 
 

西暦1821年 2月1日 13時00分(日本標準時) 日本共和国 首府鹿児島

 

今、私はニホン共和国 "帝都" カゴシマの一角にある安宿の一室に宿泊している。 理由はもちろん、彼の国のこの度の"ブリテン攻撃軍戦勝記念パレード"を見物するためだ。 私のような"異人"は特に珍しい訳でもないらしく、カターナ船から降り、 市中散策をしていても何の咎めもなかった(何しろ様々な肌の色の人がここで生活している!)。

しかし、彼らの都市は想像に絶する。 まるで古今東西の建築様式を一手に集めて混ぜっ返したかのようだ。 ルネッサンス調に柱と梁が多用されているかと思えば、その上はカワラ。ロココ様式の寝殿造り。モスク屋根の神社。 かと思えば整然とした計画で作られているレンガ敷きの広い大路。 もっと驚いたのが霧を吹きあげながら走る馬の無い馬車(ジョウキ機関とかいうらしい)だ。 センロとかいう軌条の上でしか走れぬらしいが、こんなものは欧州でも見たことが無い。なるほどこれなら馬の糞害も無く、都市も清潔なワケだ。 これだけでも、はるばるアイルランド(彼らの言葉では"アイラン島"となるらしい)から南トウリュウ大陸、スザク大陸を経てこの国に来た甲斐があるというものだ。 だが、彼らが言うには、皇都キョウトや商都オオサカの方がもっと巨大で人も多いらしい。今度機会があれば訪れてみたいものだ。

この国に対する私の興味は尽きない。彼らは、七つの海を支配し、全世界の交易を一手に独占している。 またその領地は全世界にあり、太陽は常にどこかに当たっている。まさに"日出づり沈まぬ帝国"たるに相応しい。

しかし、彼らはどうやってこの大帝国を築いたのだろうか?一体どこで歴史が変わってしまったんだろうか?

 

なぜこんな事になってしまったのだ?

 
ある愛蘭人の手記より
 
 
第1章 事の発端へ

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