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半世紀が過ぎ、歴史の節目を迎えたこの時代 フランスがどのような足取りをたどったのか、ご覧いただこう。
まずは
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1450年6月 後継者ルイ(5-4-8)、病没、享年3歳。 長男アンリに続いて、弟ルイも亡くした国王は深い悲しみにつつまれた。
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翌年、1451年2月 3男シャルル誕生
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6-5-5とまぁ、良くも悪くもないが 後継者死亡が続くと不安になるので、元気に育って欲しい。
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かねてからホラントを危険視していたフランスは、 ホラントに対し戦争を起こすなと警告しておりました。
まぁ、当のフランスは10カ国くらいから警告されまくっているんだけど。
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ハンザが破門食らって戦争になり、儲かってて戦争したがってたホラントが、 同盟の名義を得て、ユトレヒト(もしくはミュンスター)にケンカを売ったみたい。
これに先だって、ブラバントを属国併合しているので ユトレヒト、ミュンスターとはお隣さん。
帝国の敵と知りつつも呼び出してきたあたり、けっこうせっぱ詰まっていたのだろうなぁ。 いや、実にいいタイミングで呼んでくれた。
国力差から当然、盟主フランスに交渉権限が委ねられる。
よかろう、ホラントを一発併合して、君たちの不安を解消してやろうじゃないか。 折りしも、度量衡の統一を前に政務官を溜めていたので ちゃんと神聖ローマ帝国から外す準備もできているぞ。
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同盟でついてきたアーヘンを一発併合。
技術ばっかし上がる国、アーヘン。 属国化して飼い殺し、技術ボーナスをいただく手もあったのだが、 どうせベルギーのあたりに治安部隊を置くわけだし、 悪評にも余裕があるので、併合しちゃう。
ちなみに、ホラントはアラゴンとも同盟していたようだが アラゴンは参戦拒否したようだ、ちっ。
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1459年8月 ホラント併合で終戦。悪評13.7 これでまたひとつ、危険な国家が消滅した。順調である。
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南米に入植したかったのだが、海軍技術が足りず。 仕方なくアイスランドに入植するフランス。
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北米大陸の発見は北周り航路でしたの図。
ちなみに、ポルトガル、イングランド、カスティーリャともに 第2国策は「新世界の探索」である。 けっこう危険な状況、新大陸進出は急がねばなるまい。
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1461年4月 念願の度量衡の統一を達成。
資金にも余裕があるので、「国の焦点」を動かし、 新たな交易中心地を作れないかと調査すると、 やけにアントウェルペンの交易額が少ないのに気が付く。
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なんじゃこりゃ。 ほとんどハンザ同盟とヴェネツィア同盟に食われて、こっちに回ってないじゃないか。 特にスコットランド、イングランドの交易は、この時代はこっちだろうに。
おかげで、アントウェルペンの交易額が400Dに満たず。 エリアに新しい交易中心地を立てられないのが判明。
ぬう、こりゃぁ、早急になんとかせねばなるまい・・・ と、思っていた矢先。
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1463年8月 なんかリューネブルクに食われて、ハンザ同盟は消滅したのでした。
タイトルに「ハンザ同盟解体」と銘打ったとて、 プレイヤーがそうしたとは限らないのである。
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かくして、北部の交易状況はいくぶんマシになり アムステルダムに新しい交易中心地が誕生したのでした。
そしてまたフランスは敵意を込めて、ヴェネツィアに警告を飛ばすのである。 「次はお前だ」と。
続く