「閣下。ご結婚なさるのですね。おめでとうございます。」 「ヨハン。2人でいるときぐらい、閣下はやめてほしいな。」 閣下と呼ばれた男は、そう言うと、十数枚の女性の肖像画をヨハンに渡した。 「では、学生時代のようにパウルと呼ばせていただきます。なかなか美人ぞろいですね。どなたを伴侶となさるのですか?」 パウルは、両手を広げ手のひらを上にした格好で、苦笑しながらつぶやいた。 「その中から一人を選ぶのではない。全員と結婚しろと言うことだ。」 「ご母堂様も思い切ったことをされますな。まぁ、毎日とっかえひっかえ、選り取り見取りで、良いじゃないですか。」 「そんな楽なもんじゃない。不満を感じた者が、無い事まである様に実家に伝える事もあるので、不平不満の出ない様に平等に愛せよとのことだ。」 「無い事をある様にですか。私は女に縁がないので関係ないですが、女の嫉妬はそんなに恐ろしいのですか。」 「まったく、恐ろしいものだ。学問選択や移動だけでなく、妻まで自由にならん。上に立つ者はまったく自由が無い。」 オーストリアの窮屈な生活に嫌気をさし、パウルと言う偽名を使ってプラハ大学に通っているころを思い出した。 初日に講堂の横で、授業を盗み聞きしている学生を見つけた。 厳密には大学に通う金が無く、講義を盗み聞きしているので、学生ではなかった。 出自が対照的な二人であったが、なぜが気が合った。 半月後にオーストリア公アルブレヒト4世は、親に連れ戻された。その時、学費の払えない学生に学費を援助して自分の代わりに勉強させたのである。 ヨハンは、大学を卒業した後、パウルことアルブレヒト4世の政治顧問を務めている。 「自由と言う点では、私の様な都市の貧民も最悪ですが、オーストリア公と農奴は同格ですね。移動の自由があるのは商人と旅芸人ですがね」 「商人か。あれは、不思議な人種だな。フランスから来た商人が、私の女性の好みを知っているぐらいだからな。」 「ああ、その話ですか。フランスだけでなく、イタリアにも、ビザンティンまで流れているはずですよ。情報の発信元は、私ですが」 「ヨハン!!どういうつもりだ。それでは、ヨーロッパ中の笑いものではないか!!」 怒るパウルに対して、ヨハンは女性の肖像画を眺めながら、落ち着いて答えた。 「人には好みがあります。せっかくの美人も、好みで無い人には、受け入れられません。閣下の好みは、ヨーロッパ中に知れ渡っています。相手方も、今回の人選で考慮に入れていると思われます。閣下に損がありますか?」 「閣下は止めろ。しかし、とんでもない策略だな。プラハ大学では、そんなことまで教えているのか?」 「この策略は、ベンノ卿の兵法を応用したものです。」 「ベンノか。モンゴルかぶれの堅物だろ。」 「話の例えはわかりにくいですが、的は射てます。スイス遠征の間に彼の考えに触れてみるのがよろしいと思います。」 「ふむ。気は進まぬが努力はしよう。」
1399年11月9日 我が国とサボイの間に姻戚関係が成立。 1399年11月9日 我が国とフェッラーラの間に姻戚関係が成立。 1399年11月9日 我が国とアカイアの間に姻戚関係が成立。 1399年11月9日 我が国とマントヴァの間に姻戚関係が成立。 1399年11月9日 我が国とモンテネグロの間に姻戚関係が成立。 1399年11月9日 我が国とロレーヌの間に姻戚関係が成立。 1399年11月9日 我が国とバイエルンの間に姻戚関係が成立。 1399年11月9日 我が国とバーデンの間に姻戚関係が成立。 1399年11月9日 我が国とプファルツの間に姻戚関係が成立。 1399年12月8日 我が国とアンスバッハの間に姻戚関係が成立。 1400年1月3日 我が国とハンガリーの間に姻戚関係が成立。 1400年1月12日 我が国とマイセンの間に姻戚関係が成立。 1400年1月16日 我が国とラグーザの間に姻戚関係が成立。 1400年5月16日 我が国とチューリンゲンの間に姻戚関係が成立。 1400年7月16日 我が国とモルダヴィアの間に姻戚関係が成立。 1400年10月11日 我が国とトスカナの間に姻戚関係が成立。
オーストリアとスイスの戦力比はあきらかであり、力押しでスイス軍を圧倒し、スイス全土を占領する。 勝利で気が大きくなったアルブレヒト4世は、次のように放言した。 「100年前より反抗しているスイスを屈服させた。このまま支配してしまおう。」 それに対し、陸軍改革論者であったベンノ卿は、次のように諭したと言う。 「公。スイスの国民は、独立心が旺盛です。たとえ支配しても、反抗が絶えず支配は、一時的なものに終わります。支配にかかるコストを考えると、ハプスブルグにとってプラスになるとは思えません。」 「支配のコストか。それならば、間接支配はどうか?」 「公。どのような形であっても、スイスの国民は反抗するでしょう。反乱が起きれば、直接間接を問わずハプスブルグが鎮圧に向かわなければなりません。」 「ふむ。それならば、どうするのだ。我がほうが勝ちを宣言するだけでよいのか?」 「スイス側から侵攻してくることは当分無いと思われますので、われわれとしては、他の地域に力を注力するのがよろしいと思われます。」 「山からノコノコ出てくれば、隠れる場所は無いか。では、そのようにしよう。」 「御意」
スイス遠征から凱旋したアルブレヒト4世を待っていたのは、嫡子が病に臥していると言う知らせだった。アルブレヒト4世が病床に駆けつけたときには、すでに虫の息であり、神への祈りもむなしく、亡くなられた。 いつの世でも、子を亡くした親はつらいものである。アルブレヒト4世も、ショックで数日寝込んだが、その後は、悲しみを忘れるために精力的に仕事に取り組んだ。
1401年の正月。ヨハンとベンノ卿を招き、今後のオーストリアの方向を検討した。 「閣下の遠征中に、フランス連合がイギリスに宣戦を布告しました。狂王*1が原因でございます。イタリア、オランダ、ライン川周辺のドイツ諸侯はどんぐりの背比べごっこを行っております。ヴェネツィアなどで、ガレー船建造の特需に沸いているそうですが、この意図は不明です。」 ヨハンは、ウィーンに行き来する商人から情報を集めており、周辺国の情勢は的確につかんでいる。 「西方で大きな動きはなさそうじゃな。ところでトルコはどうしておる?」 オスマン帝国は、ニコポリス十字軍*2に従軍したアルブレヒト4世にとて、トラウマになっており、気になるようである。 「オスマン帝国はトルコ方面でモンゴルと戦っているようですが、それ以上のことはわかりません。」 トルコの情勢はヴェネツィア経由のため、情報量が少なく、かつ曖昧である。そこにベンノ卿の推察が加わる。 「これは、それがしの推測ですが、ガレー船特需は、イタリア諸侯がオスマントルコに攻める意思があるのかもしれませんな。」 「ベンノ卿。もし、そうであれば、また十字軍か?」 「皇帝*3やジキスムント*4の命に従うドイツ諸侯はいないでしょう。」 ベンノ卿は断言した後は顎鬚を弄っている。 「卿の推察どおりであろう。予も、あの兄弟*5の命令は聞きたくない。しばらくは、大きな動きをしない様にしよう。」 我が子を亡くしたばかりであり、やはり遠征などはしたくないようである。
1401年。ナポリがオスマン帝国に戦線を布告した。翌年にはハンガリーがボスニアに侵攻し、ボスニアの宗主国であるオスマントルコと戦争になった。 ヨーロッパ各地で紛争が絶えない時代であった。
1403年11月。隣国のバイエルンがアンスバッハに侵攻した。 アルブレヒト4世は対応を協議するため、ヨハンとベンノを呼び出した。 「バイエルンがアンスバッハに侵攻した。ヨハン、現況はどうなっている。」 「閣下。バイエルンの味方はマインツのみです。アンスバッハの味方はドイツの諸侯が数国あるのみであり、放置すれば、バイエルンがアンスバッハを併合するでしょう。半年前にお生まれになった嫡子マキシミリアン殿下のご母堂様がアンスバッハの出身であること、アンスバッハに保護を宣言していること、この2点の理由から我が国はバイエルンに戦線を布告するべきです。」 ヨハンの情報分析は的確であり、アルブレヒト4世にとって満足のいく答えであった。 「ふむ。大義は我にあるな。戦争の準備をしよう。」 それに対しベンノ卿は顎鬚を弄りながら呟いた。 「戦争を始めるのは良いですが、どの様な和平を結ぶべきですかな?」 アルブレヒト4世は憮然とした。まだ戦争を初めていないのになぜ和平なのか。 バイエルンに出征するオーストリア軍の参謀にベンノの名前は無かった。
バイエルンとの戦争開始から2年が経ったバイエルンはアンスバッハを併合し、名目の無くなった戦争は泥沼化し、両軍の将兵は疲れていた。 事態の解決を図りたいアルブレヒト4世は、ベンノを呼び出した。 「この戦争は、オーストリアが優勢に進めている。有利な条件で和平してこい。」 「公。この戦争はアンスバッハの独立を守るための戦争です。アンスバッハを見殺しにし、どさくさにまぎれてバイエルンから領土を奪って、他のドイツ諸侯は納得しますか?」 「納得??そんな気の良いドイツ諸侯がいたら見てみたいものだ。」 アルブレヒト4世の言葉に、ヨハンは『目の前に一人いる。』と言いたいのをじっとこらえた。 「公。何も考えずに開戦するからこのような事態となったのです。アンスバッハを独立で手を打つのがよろしいと思います。」 ベンノの言葉は、容赦が無い。 「い、いちおう、考えたぞ。えーい。もう、その条件でよいから、早く和平をして来い」 アルブレヒト4世は、気は短いが、分別は残しているようである。